第4話 南条里志の休日~Encounter~

「輪行」という言葉がある。折りたたみ自転車を使って各地を旅することだ。僕は輪行が大好きだ。ただ車や公共交通機関を使って移動するだけでは味わえない爽快感と、その土地の空気がたまらなく気持ちいい。

 僕は普段から自転車でいろんなところに行っている。冬の間は危険だから車で行くところも、雪が解け、そろそろ本格的に走れるようになってきた。

 4月のある土曜日。僕はいつもの折り畳み自転車に乗って街を駆け抜けていた。中学の時から乗っている、いわば「愛機」だ。家出をした時、当てもなくさまよっていた時、ラジオ局に初めて行った時、大学に入学した時……いつも僕のそばにいた。この自転車は、もはや僕の体の一部と言っても過言じゃない。ちなみにこの自転車の特徴は、全体的な設計がオフロード寄りになっていることだろう。普通のタイヤの自転車にすることも考えたけど、すでにママチャリを1台持っているため、どうせなら遊んでしまおうと考えた。

 その自転車に乗って、僕は軽快に街を走り抜ける。さすがにロードバイクほどの性能は出ないが、それでもママチャリよりは加速性能はいいし止まりやすい。何より、ゆっくり走りやすいのだ。ゆっくりと、だけど軽快に。

 そうこうしている間に、目的地に着いた。

 成海市公民館。図書館や会議室、小体育館、さらにはホールも備えた多目的施設だ。

 僕はそこで、市国際交流協会がメインとなって立ち上げた、外国人児童への学習ボランティア「おひさまくらぶ」の一員として活動している。

 小さい頃の僕の夢は、悩みを抱えた子供たちをサポートすることだった。そしてその夢は今、思わぬ形でかなっている。ひとつは、音楽の非常勤講師だ。表現について学ぶ傍らで、僕は何か一つ教員免許をとろうと思っていた。実際に学校で働くつもりはなかったが、教員免許があれば何かと有利になるかもしれないと考えたのだ。幸い、僕はピアノを弾くことができた。そこで音楽の教員免許を取ることに決めたのだ。そして努力の末に、中学・高校の教員免許を取得した。そんな中、飯野から成海第一中学校で働いてほしいと依頼が来た。最初はラジオの仕事を続けたいという思いがあり断ったが、第一中では非常勤講師は兼業も可能であるという話を聞き、あくまでもラジオの仕事が第一だと念押ししたうえで、この依頼を受けた。初めての今年は中学1年生と2年生をそれぞれ1クラスずつ受け持っている。

 そしてもうひとつが、この「おひさまくらぶ」のサポーターとしての活動だ。大学1年のころからの友人から誘われてやってみたが、これがものすごく楽しく、気づけば5年目に突入していた。その友人は就職のために隣の県に引っ越してしまったが、そこまで距離が離れているわけではないため、今でも月に1回くらい顔を見せてくれる。

 今回は僕の休日の話。中国から来た中学1年生の女の子を救うための、長い長い休日の話。


「おっはよー…って早っ!まだ全然時間あるよ!?」

 交流協会の中の会議スペースに入った時、僕は驚いた。まだスタートまで15分もあるというのに、もう子供が来ていたのだ。

「えへへ…だって、ちょっとでも勉強、進めておきたいですから。」

 そう言って、彼女はニコッと笑った。彼女の名前はひーちゃん。高校1年生だ。本名は知ってるけど、こっちの方が呼びやすい。彼女はイラン人と日本人のハーフである。大人しくて、恥ずかしがりやで、健気で、可愛い。可愛いというか、綺麗と言った方が正しいかもしれない。性格はまだまだ子供らしいのに、どこか大人びた雰囲気を出しているのだ。日本語は日常会話程度なら全く問題なし。英語は超絶上手い。

「で、ひーちゃん何やってるの?」

「数学やってて…」

「どれどれ……ああ、絶対値の話か。でもこれもう学校で習った?」

「習ってないですけど、予習したくて。」

「ほーう。熱心だねえ。よし、いきますか!」

 そこから絶対値について教え始めたのだが……実は僕、数学は大の苦手なのである。教科書や答えを見ながらいつも悪戦苦闘しながら教えている。今日もそんな感じだった。

「…で、こういう時は両辺を2乗すれば絶対値が外れ…るんだよね!?展開しちゃって大丈夫だよね!?」

「わ、私に聞かないでください…」

「いやいや、間違ったこと教えられないから結構不安なんだよ!?ってか何で教科書載ってないの?いや載ってる。載ってないはずがない!」

 教科書をパラパラとめくる。あった。

「やっぱり合ってた!よかった~。」

 そんな感じで僕が教えていると、コンコンとドアがノックされた。

「失礼しま~す。」

「は~い。あれ、水谷さん?あ、もしかしてぼく交通費受け取ってませんでしたっけ……?」

 水谷祥子みずたにしょうこ。1年前からおひさまくらぶの担当となった、交流協会の若手職員だ。短大を出たって聞いてるから、下手すると同い年か僕より年下なのかも。

「あ、いえいえ。そうじゃなくて…」

「?どうかしました?」

「実は今日、新しい子供さんが来ることになって……」

「えー!やったー!どんな子ですか?」

「それが…ちょっといろいろ問題がありまして…」

「問題?それは、問題児ということですか?それとも、」

「それとも、の方です。具体的には彼女、日本語ペラペラなんです。それで、受け入れるかどうか迷ってて……南条さん、どうしましょう?」

 ボランティアにもいろいろ事情がある。介護、仕事、引っ越し……今や、定期的にここに来るメンバーの中では、僕が一番キャリアが長くなってしまった。もちろん、不定期で来る人の中には僕より長い人もいるけれど。そのため、生徒の受け入れについて、ある程度は決定権を持っているのだ。

「うーん、でもその子、一応外国人なんですよね?」

「ええ。中国人の子で、日本で生まれて、中国でずっと育ってきました。日本にもしょっちゅう旅行に来てたみたいです。」

「向こうで日本語習ってたってわけでもないでしょう?」

「はい。日本語はマンガとアニメで勉強したみたいです。」

「じゃあいいんじゃないですか?とりあえず受け入れてみて、意見が出てきたらみんなで話し合いましょうよ。今までもそうしてきましたし。」

「あ、ありがとうございます!」

「で、その感じだとまだなんかあるっぽいですけど?」

「はい。実は、私たちに全く心を開いてくれないんです。」

「ほう?」

「質問には答えてくれるんですけど、自分から何かを言うことはないです。あと、感情表現も乏しいというか……保護者の方によると、日本に来る前はものすごく明るい子だったらしいですけど……」

「へえ……面白そうじゃないですか。その子。わかりました。ちょっとやってみます。」

「はい。今日お一人で大変だと思いますけど、もしヘルプが必要ならおっしゃってください。じゃあ、その子が来たら連れてきますね。」

「はい。よろしくお願いします。」

 水谷さんが出て行った。

「……というわけで、ひーちゃんごめんな。もしかするとしばらく一人で勉強させちゃうかもしれない。」

「いえ……気にしないでください。」

「ありがと。分かんないところあったらいつでも聞きなよ?」

「はい。」


 そして10分くらいたったころだろうか。

「南条さん。」

「はーい。例の子、来ました?」

「ええ。香音ちゃん、入っておいで。」

 水谷さんの後ろから、女の子が緊張した面持ちで入ってきた。

「今日から新しく来ることになった、川崎香音かわさきかのんちゃん。今中学1年生です。」

「はじめまして。川崎香音です。」

「はじめまして~!サポーターの南条里志です!花音ちゃん、これからよろしくね!」

「……」

 沈黙。これが心を開いてくれないってやつか。

「…と、とりあえず中入りな?ね?」


 それから2時間。ひーちゃんと香音ちゃんに勉強を教えて、今は休憩時間。

 僕はそれとなく聞いてみる。

「ねえ、香音ちゃんって漫画とかアニメ好きなんだっけ?」

「……」

 返答はなかったが、こくり、とうなずいてくれた。

「どんなのが好きなの?アクション系?恋愛もの?」

「……深夜アニメ。」

「へえーっ、中学生で深夜アニメか。」

 意外だった。深夜アニメは中学生にも人気があるとは。てっきりこういうのって、高校生くらいから見るのかと思ってた。

 勝手な思い込みは、視野を狭める。

 そういえば、彼女のリュックにはアニメのキーチェーンがたくさんつけられていた。この絵柄から察するに……

「……萌え系?」

 僕がそうつぶやいた途端、香音ちゃんの顔が急激に赤くなった。ボンッとかそんな感じの擬音が付きそうなくらいに。

「…もしかして、恥ずかしがってたりする?」

「……」

 相変わらず返答はないが、目をぎゅっとつぶりながらこくこくと何度もうなずいた。ああ、可愛いのう。

「別に恥ずかしがらなくていいよ~。僕の知り合いにもそういうの好きな奴いるし。」

 事実、大学のパソコン研究会はオタクの集まりだった。その中には当然二次元オタクも含まれるわけで。そいつの選ぶアニメや漫画はどれもとても面白く、一気に二次元の沼にハマったやつもいた。ただ、どうやら僕はそういうのに流されにくいらしい。何のオタクにもならなかった僕は、サークル関係者・非関係者問わず「最後の良心」と呼ばれた、らしい。欲を言えば、僕も何か没頭できる趣味を持ちたかったのだけど。

 こんど、あいつに面白いアニメ聞いてみようかな。

「今や日本ではオタクなんて当たり前にいるんだから、気にすることないって。もっと堂々としていいと思うよ。

 ところでさ、中学はどこ通ってるの?」

「…成海第一中学校。」

「…え?それ本当?」

 香音ちゃんがこくりとうなずいた。

「…一応聞くけど、何年何組?」

「?…1年2組。」

 どういうことだこれは。

 1年2組。それは僕が音楽の授業を受け持っている二つのクラスのうちの一つだ。そういえば確かこのクラスはまだ一度も授業をしていない。だから僕もこの子のことを知らなかったのか。

「…初めまして。1年2組の音楽の授業を担当します、南条里志です。」

「…え?」

 香音ちゃんがポカンとしている。当然だ。目の前にいるこの男が自分のクラスの授業を受け持つ教師だなんて、誰が思うだろうか。

「…音楽の、先生?」

「…うん。」

 ああ、めっちゃ気まずい。まさか新しい生徒とこんなとこで出会うなんてなあ…そりゃあ、お互い気まずいよねえ…

 だけど、香音ちゃんが次に発した言葉は意外なものだった。

「先生、助けてっ!」

「へっ!?」


 その日の夜。僕はアパートに帰って、今日の事を思い出しながら考え込んでいた。


 あの後、僕と香音ちゃんは、交流協会のミーティングルームに移動し、一対一で面談をした。

「…いじめられてるのか。外国人だからって理由で。」

 香音ちゃんは暗い表情でこくりとうなずいた。

 香音ちゃんは入学早々から、いじめを受けていた。理由は単純明快で、外国人だから。どうやら、外国人のくせに日本語が話せるのが、気に食わなかったらしい。だけどそこには、世間の中国への悪印象というものもあったのだろう。

 中国でいじめを受けたことのなかった香音ちゃんの心は、急速に傷つき、消耗した。そして、感情を表に出せなくなった。

「……わたし。」

「ん?」

 香音ちゃんがうつむきながら呟いた。

「わたし、日本人は、みんな優しいと思ってました。だけど……そうじゃ…なかった……!怖いよ…もう行きたくない……先生、たすけてよおっ……!」

 香音ちゃんの目から、涙がこぼれた。必死の叫びが、僕の胸に突き刺さる。

 僕はただ、彼女をぎゅっと抱きしめることしかできなかった。


「…とはいえ、今の僕に何ができるんだろう……」

 僕は考え込む。生徒に直接的に話をすることも考えた。だけどそれは、ますます事態を悪化させる恐れがある。かといって、このままでは……

 考えて、考えて、考えて。それでも答えは出ない。

 気づけば夜の1時。僕は、いつの間にかギターをつま弾いていた。

「…ん?ギター?」

 そこで僕はあることを思い出した。僕は初回の授業で、ギターやピアノの弾き語りをしようと考えていたのだ。

「…これだ。」

 そして僕は、アパートのある住人たちに声をかけた。


 2日後の月曜日。1年2組の音楽の授業の時間だ。

 僕は2組の生徒たちの前に立った。そこには香音ちゃんも、どこが悲しそうな表情で座っていた。

 始業のチャイムが鳴る。

「起立!礼!お願いします!」

「おねがいしまーす!」

「はーい、お願いします!じゃあみんな座っていいよ~。

 皆さん初めまして!今年、みんなの音楽の授業を受け持つことになりました、南条里志です!22歳で、今年大学を卒業しました。僕は普段、ラジオ局でパーソナリティーをしているのですが、非常勤の先生として、ここで音楽の授業もさせてもらうことになりました!1年間よろしくお願いします!」

 パチパチパチパチ!みんなから拍手が起こる。いつもならうれしいけど、今日はどこか嬉しくなかった。

「さて突然ですが、今日は授業やりません!今日はみんなに、中学生のうちにぜひ聞いてもらいたい曲を届けたいと思います。実は僕ね、ギターとピアノ弾けるんだよ。だからね、今日はみんなに演奏してあげちゃうよ~!ただね、一人じゃやっぱきついんで、サポートメンバーを呼んできました!

 まずは、普段何をしているかよくわからない自称俳人、近山勇士!」

 近山勇士。僕の住むアパートの住人。自称俳人。実はパソコンの操作が大の得意で、今回は主にDJとコーラス役だ。

「そして、普段はFMマリンブルーのラジオパーソナリティー、とってもかわいい女の子、星野なぎさ!」

 星野汀。アパートの住人の中で唯一姫ちゃんと会ってなかった住人。とはいえ先日あっさり対面を果たした。実はピアノとギターが弾ける。今回は両方を担当してもらう。

 僕はアコースティックギターを準備する。

「さて、1曲目は元気のいい曲から行きましょう!スキマスイッチで、『全力少年』!」

 僕はギターを弾き始める。そこに、星野ちゃんのピアノが重なる。

 今回演奏するのは、「DOUBLES BEST」に収録されているアコースティックバージョン。本来の物とは雰囲気がかなり違う。だけど、アコースティックにはアコースティックの味がある。そう思った僕は、あえてこのバージョンを生演奏することにしたのだ。

 サビに突入し、僕の歌声に近山のコーラスが混ざり合い、新たな音を紡ぎだす。テンションが上がってくる。ギターを弾く手に、力が入る。そしてそのまま、曲が終わりを迎える。

 拍手が沸き起こる。どうやら一発目は上々だったようだ。

「ありがとう!さてそれじゃあ次の曲。最近僕ね、『ナノ』っていうアーティストにハマってるんですよ。もうね、とにかくかっこいい!初めて聞いた時アニソンだなんて思いもしなかったもん。動画サイトからデビューしたアーティストだそうですが、ネットの力も侮れないなあって思いました。そんなことを感じた1曲です。ナノで、『Now or Never』!」

 この曲は星野ちゃんはお休み。代わりに近山がパソコンを操作し音源を流す。大学時代に、この曲をコピーして演奏したことがあった。その時に練習用に収録したインスト音源を利用したのだ。CDの音源を使うと、どうしてもナノさんと僕の声がかぶって聞き取りづらくなってしまうしね。ま、それはそれで面白いんだけど。

 2番の後半部、英語歌詞が連続する部分に突入した。ここはとにかくスピードが速く、僕も何度も練習して、やっとものにした。それでも、本人に比べればまだまだ発音が甘い。もっと練習しないとねえ……

 そんな事を思っていたら、いつの間にか一気に突き進んでいた。最後の英語をきっちりと決め、曲が終わった。

「さて、3曲目は音楽の授業らしい曲を一つ。この曲は高校の音楽の教科書にも載ってるんだって。高校に入ると多分音楽でギターやると思うんだよね。その時この曲を演奏してくれたら、うれしいなあ…なんてね。ちなみにこの曲は僕も大好きです。この曲聴いた瞬間にファンになっちゃったもん。

 それではお聞きください。GONTITI、『放課後の音楽室』。」

 僕が主旋律を、星野ちゃんが伴奏部を演奏する。なんといってもこの曲の演奏には、二人の息の合ったギタープレイが欠かせないのだ。その点、僕たちは偶然にも、この曲を弾き慣れていた。

 後半部に入り、近山のピアノも入ってくる。本当はピアノを入れる予定はなかったのだが、近山がたまにはピアノを演奏したいと言い出したので、ここで弾いてもらうことにしたのだ。ピアノは別になくてもいいのだが、あった方が原曲のリアリティが増す。

 3人の息の合った旋律は、ゆっくりと終焉に向かった。

 生徒たちから、これまでとは違う拍手が起こる。演奏技術に聞きほれているというか、そんな雰囲気の拍手だった。

 さて、ここからが本番だ。次の曲こそ、僕が一番演奏したかった曲だ。

 僕はプリントを配りながら皆に問いかける。

「さて、次の曲は、今日の授業で一番僕が演奏したいと思っていた曲です。

 突然ですが、みんなは『Bars and Melody』っていうグループ、聞いたことがあるかな?」

 生徒のみんなが首をかしげる。当然だろう。日本での知名度は非常に低いのだから。

「Bars and Melodyは、イギリスの音楽グループ。ラップ担当のレオンドル・デブリーズ君と、歌唱担当のチャーリー・レネハン君の二人組ユニットです。イギリスのオーディション番組、ブリテンズ・ゴッド・タレントで一躍注目を浴びました。この時確かレオンドル君が13歳、チャーリー君が15歳だったかな。

 さて、彼らのデビュー曲である『Hopeful』という楽曲。実はこの曲、レオンドル君のいじめの体験をもとに書かれた曲です。」

 いじめ。その言葉に、みんなの雰囲気が変わった。

「レオンドル君は、学校でひどいいじめを受けていた。それだけじゃなく、毎日起こる夫婦げんかで、ものすごいストレスを感じてたんだ。想像できないだろ?ただでさえいじめで辛いのに、親にも自分の辛さを打ち明けられないなんて。その後、レオンドル君の両親は離婚し、いじめはますますエスカレートした。

 そんな中で彼はチャーリー君と出会った。はじめはインターネットで、そして現実で。2人はすぐに意気投合した。そして生まれたのが、『Hopeful』だ。この曲にはいじめ反対の思い、そして希望をもって今を生きてほしいという思いが込められている。

 そのプリントに書かれた歌詞をじっくりと見てみてほしい。そして、自分たちの行動を、もう一度振り返ってほしい。」

 そこで僕は一度言葉を切った。



「この曲を聞いて、君たちの考えが少しでも変わってくれれば、うれしいです。」



 僕はギターを弾き始める。この曲は僕の知る限り、アコースティックバージョンが存在しない。だから、メロディーを耳コピして演奏している。

 正直、きつかった。慣れない英語のラップ、手探りで弾くギター。もうやめようかと思ったこともあった。だけど、これぐらいしないと、彼らの気持ちは変わらない。その一心で、必死で練習してきた。星野ちゃんがギターの演奏を代わることを提案した。だけど僕は、それをあえて断った。すべてを一人で演奏することに、こだわった。

 僕の中の本能が暴れだす。

 ただ群れることしかできない愚かなガキたちよ、よく見ておけ。群れて、いじめなどという愚かな行為をする奴より、一人でも必死で頑張っている奴の方が、よっぽどマシなんだよ!かっこいいんだよ!すげえんだよ!

 全ての想いをギターにぶつけ、歌に乗せる。ほんのひとかけらでもいい。この想いが届くことを祈って。

 曲が終わる。熱い沈黙が、音楽室に広がった。

 うつむいている生徒がいた。涙を流している生徒がいた。じっと目を閉じている生徒がいた。生徒みんなが、自分の行動を思い返していた。それと同時に、彼らの感情は静かに爆発していた。

 僕は言う。

「みんないいかい?いま改めて、自分たちの行いを振り返ることができた。それはつまり、君たちが大きな坂を乗り越えたということだ。

 今日から、もう一度始めよう。今日からもう一度、1年2組というクラスを作っていこう。みんな一緒に、誰一人欠けることなく。」

 僕と星野ちゃんのギターが、成長した彼らを包み込む。

 最後に選んだ曲は、Do As Infinityで「陽のあたる坂道」。ほかの曲に合わせ、この曲もアコースティックバージョンを選んだ。

 2つのギターに、僕の歌声と近山のコーラスが見事にシンクロする。

 余韻を残しながら、曲が終わった……かに見えた。いや、確かに曲は終わった。

 突然ドラムの音が響く。生徒たちが驚く。

 僕たちは冷静に楽器を変える。僕と星野ちゃんはエレキギター、そして近山はベース。

 ドラムの音が止まった。さあ、始めよう。

 星野ちゃんのギターが轟く。近山のベースが唸る。パソコンと繋がっているスピーカーからは再びドラムの音。それらをまとめ上げるかのように、僕のギターが響く。

 最後の最後のサプライズ。ついさっき演奏することを決めた曲だ。

 Base Ball Bearで、「Changes」。

 今日の授業で、みんなの中で何かが変わっただろう。そんなみんなに、エールを送りたい。その一心で、僕は歌った。


 そしてその後の話。

 この授業の後、いじめはぴたりと止んだ。そして、香音ちゃんは笑顔を取り戻した。初めて出会った時の暗さが嘘のように、明るく元気な子になった。彼女の本来の性格が、戻ってきた。

 僕はそれを見て、そっとつぶやいたんだ。

「よかったね」って。


 こうして、僕の休日が、また一つ終わった。気持ちを切り替えて、今日も僕は、みんなに向けて声を届ける。

「さあ始まりました、10代応援ラジオグリーンウェーブ!パーソナリティーの、南条里志です!」

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