7
久保田は隠し持っていたナイフを振り回しながら吟嬢に襲いかかった。
突然の事なので自分と中取の反応はワンテンポ遅れた。発柴は実に穏やかな寝顔を浮かべ絶賛気絶中で役立たず。誰も間に合わない。
マズい。またやり過ぎてしまう
彼女は久保田のナイフを紙一重で回転しながら躱す。まるでダンスでも踊るかの様な華麗なステップで。次の瞬間グラスの中身を久保田の顔にかけた。目に入ったワインを拭おうと、久保田の動きが止まった所を間髪入れず右手刀でナイフを叩き落とた。そして、そのままの流れで、久保田の後頭部を抱え込み顔面に飛び膝蹴りを叩き込みノックアウト。
勝負あり、彼女の勝ちだ。明らかに過剰防衛である。久保田はその場に崩れ落ちた。自分はため息混じりに彼女に駆け寄る。
「吟嬢大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないわよ!ワインが無駄になったじゃない!勿体ない!」
「………そうですか。でも毎回言いますがやり過ぎですよ」
「いいのよ。かよわい女性に手を上げてるんだから!」
「…吟さん。あんたすげぇな。空手でもやってたのか?」中取目を丸くして尋ねる。
「はい。前に本で読んで勉強しました。でもやっぱり本の通り動くのは難しいですね。どうしても足運びとか我流になっちゃいます。勉強し直さないと。あっ、私の空手歴は半年なのでまだまだですね」
「…世間ではそれをやってるとは言わんよ。全くどこまでも破天荒なお嬢さんだよ」
「……うっ」久保田の意識が戻った様だ。
「……小説の様には上手く行かない物だな。あと少しで騙し通せたのにな…。貴方をアリバイの証人として巻き込んだのがそもそもの失敗でしたか」
「久保田さん。最後に聞かせて下さい。何故お兄様を殺したのですか?少なくても今の貴方があるのはお兄様の力による所が大きい筈です。感謝はしても恨む事はないのでは?」吟嬢が問いかける。
「……解っていないな。だからだよ。小さい時から、何をやっても兄さんが上だった!僕がどんなに頑張ろうとも必ず上には兄さんがいる。出来る兄、出来ない弟、この構図は変わらなかった。あんたには一生解らない感情だろうな」
「だからと言って殺すのですか?貴方に手を差し伸べ続けてくれたお兄様を?お兄様はそんな感情抜きで貴方に接してくれたのではないのですか?」
「僕は一度も助けてくれとは頼んではいない!兄さんが勝手にした事ばかりだ!僕は1人で何とか出来たはずなのに。その余計なお節介の所為で僕がどれだけ惨めな思いにさせられたか!」
「……そこまで歪んだ受け取り方しか出来ないのですか?お兄様はきっとなんの見返りも求めていなかった筈では?只々貴方の事を気に掛けての……」
「煩い煩い煩い!お前の物差しで語るな!1番近い存在、それも遺伝子レベルで同じなのに絶対に勝てない。作家になり名を上げてもそれでも変わらない!何時までたっても『さすが真一君の弟ね』だ!馬鹿にするな!
これ以上どうすればいい?もう、消すしかないだろ!殺すしかないだろ!ここまでの判断をさせられた、この屈辱お前にわかるか!わかってたまるか!お前の常識を押し付けるな!」
「あまえるな!」吟嬢は吠えた。
「そんな理屈は私が許さない!悔しいから、辛いから、悲しいからって他人を傷つけて良い道理などありはしない!」彼女の剣幕に久保田は気圧されている。
「貴方は自分がどう思っているかだけを気にして、お兄様が貴方をどう思っていたかを解かろうともしていない!そんな貴方にお兄様の善意を、お節介などと言う権利はない!」
「だから、それはお前の常識で……」
「お黙りなさい!」完全に吟嬢のペースだ。
「私は常識で話しているのでは無い!
今の私は酩酊状態!ただの酔っぱらいです!いつの時代も酔っぱらいは常識の外の存在。酔ってる人に常識、理屈をを説いた所で無意味なのは自明の理!
そして!酔っぱらいは本音しか言わない!故に真実しか語らないのです!今の貴方は酔に任せて理屈を押し付ける人と同様です!恥を知りなさい!」
「なっ、何を言って……」
「お前の完敗だよ。諦めな。話は署でいくらでもすればいい」中取は久保田に手錠をかけた。
「おい!発!いい加減起きろ!行くぞ!」
中取のだみ声に驚いて飛び起き、彼は去って行った。最後までずっと驚いていたな。お疲れ様。
彼女としては珍しく感情的になっていた。まだ興奮が収まらないらしく肩で息をしていた。………そうか……。兄か。自分と重ねる所かあったのか。だからあんなにも感情的になったのか。
「吟嬢、お疲れ様でした。かなり酔も回っていますね?無理せず後は任せて寝てもらって結構ですよ」息がまだ荒い。目も若干涙ぐんでいる?
「私は許せなかった。久保田さんがお兄様の気持ちを一方的に悪意ある物として捉えていた事が。久保田さんに手を差し伸べた事は……間違いなくお兄様の『意思』。その真意は解らないにしても……、勝手に決め付け、排除する様な事は…あってはならない。だ…から………スースー……」
やはりそうか…自分の兄を重ねていたか。吟嬢お疲れ様でした。今はゆっくり休んで下さい。
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