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 翌日、約束の時間の2時間前に車で出発した。吟嬢は気怠そうな顔をしているが、ちゃんと午前中には起きてきた。2日酔いになってないだけマシだろう。自分は久保田に付いて調べた事を話し始めた。


 「名前は久保田。これは本名かどうかはわかりません。下の名は勿論わかりません。日本人の若い男ですね。昨日吟嬢が電話で話したからこれは間違いないでしょう。

 ただし本人についてわかっているのはこれだけです。本人の希望で個人情報は極端に制限されています。メディアの前に出ることは勿論、編集者ですら会うのはまれという話です。基本はメールのやり取りで、どうしても面会が必要な時はマネージャーの佐浦という男性が代わりに会うといった徹底ぶりです」

「そんな久保田に会える私達はかなり貴重な体験な訳ね」

「そうなりますね。そんな人前に絶対に出ないという秘密めいた所が人気に拍車をかけています。

 しかし、初めから人気があった訳で無いようですね。デビューしてから5年になりますが初期の作風は陰鬱な1人語りで、ストーリーも有って無いようなものでした。これが全く売れず、話題にも上がりませんでした。これを自費出版で3年間続けています。よく資金が持ったものです。

 そして4年目。今までとガラッと作風をミステリーに変えてヒットを飛ばします。俗に言う『無いシリーズ』ですね。これは自分もオススメなんで時間があれば読んでみて下さい。このヒットの後、正式に出版社のから作品を出すようになります」

「そして、今に至るわけね。その佐浦って人は何者なの?」

「はい。これも余り情報が無いんですが、久保田の昔からの知り合いだそうです。デビュー当時からマネージャーをしているみたいですが、なんの記録も残ってないので調べようが無いんです。

 ただ、この佐浦。かなりのやり手ですね。テレビへの代理出演でも全く臆する事無くこなしますし、何より久保田の売込みが上手い。実際、佐浦がメディアに出るようになってから久保田の過去の作品がまた売れだしましたから。久保田の人前に出ないと云う戦略も実は佐浦の考えじゃないかといった噂も出るくらいですからね」

「ふーん…」聞いてるのか聞いていないのか、曖昧な返事をして彼女は黙ってしまった。


 1時間半後久保田のマンションに到着した。地上30階はあるであろう高級マンションだった。そこの最上階に久保田の部屋がある。

「へぇー、凄い所に住んでますね」ため息混じりに呟いた。

「そうかしら?これくらいは普通にじゃない?大学の寮もこんな感じだったわよ。もうちょっと小さかったけどね」

「はぁ……」ため息が大きくなる。これだから金持ちの『普通』は嫌いだ。


 エントラスのインターホンで久保田の部屋を押す。が、何回押しても返事がない。

「吟嬢、間違ってないですか?」

「そんな訳ないわよ。数字の暗記は得意なの知ってるでしょ!少し早いからまだ寝てるのかもしれないでしょ。少し待ちましょう」

 10分、20分、30分とインターホンを鳴らしたが、変わらず返事はない。いよいよどうしようかと思案していた所に見た事のある男性がやって来た。自分は記憶の中から必死に探り出そうとした。その男が久保田の部屋の番号を押している所が見えた。

「あっ!」まさか、あの男は佐浦だ。

「吟嬢。あの人佐浦ですよ」小さく耳打ちする。

「本当?」

矢張り何回コールしても返事がないので佐浦も仕切りに首を傾げている。

 吟嬢はチャンスとばかりに佐浦に近寄っていった。

「失礼ですが佐浦さんですか?」

「……はい。そちらは?ファンの方ならお断りですよ」訝しげに吟嬢をみる。

「すいません。探偵の清水川吟と申します」彼女は名刺を差し出した。

「ああ!吟さん!話は伺ってました。すいませんでした。邪険な態度を取ってしまって。最近押し掛けのファンの子が多いもので。

 でもおかしいなぁ。久保田居ないみたいなんですよ。何回コールしても出ないんです」

「私達もかれこれ30分は待っているですけど、同じですね。佐浦さん久保田さんの携帯はお持ちですか?」

「そうですね。かけてみます」


「ダメですね、おかしいなぁ。久保田は滅多な事がない限り部屋から出るなんて事の無いんですが。

 …しょうがない。管理人室に合鍵があるので、それで直接行ってみましょう」


 それから管理人に合鍵を借り3人で久保田の部屋へ向かった。佐浦、吟嬢、自分の順だ。部屋の前まで行くと佐浦はノブに手をかけて押したり引いたりしてみた。しかし部屋の鍵は掛かっている様で、ノブをいくら回しても開く様子はない。念の為自分達も試したが結果は同じだった。

 仕方なく佐浦が合鍵で扉を開けてみると、

「カチャ」

なんの抵抗もなく扉は開いた。

「久保田ー。居ないのかー」

 部屋の中はカーテンが締め切ってあるので薄暗く、空気もどことなく淀んでいる様だった。部屋の中は大きなテレビ、大きな冷蔵庫、大きなソファが目に付き、良い暮らしをしていたのが想像出来た。

 自分達はリビング、キッチン、寝室と探したが久保田は居ない。ただリビングには携帯が置いてあった。残ったのは仕事部屋だけだ。

「ここの部屋は防音になってるんでチャイムも電話も気づき辛いんですよ。仕事に集中したいっていう本人の希望でそうしたんです。久保田入るぞー」佐浦はそう言って扉を開けた。


 そこに久保田は居た。しかし、何かがおかしい。机に突っ伏したまま動かないのだ。佐浦が近寄り声を掛ける。

「久保田、お客さんだぞ。なに……ヒッィ……」短く悲鳴を上げ尻餅をついた。

 吟嬢と自分は素早く近寄った。顔半分が大きく腫れ上がり、一目で生きてはいないだろうと思わせた。佐浦は手を伸ばして久保田に触れようとした瞬間、

「触らないで下さい!現場の保護が最優先です。山崎君警察に電話!そして佐浦さんを外に連れて行って」

「了解です。佐浦さん行きましょう」

 自分は佐浦を抱えて外に向かった。


 吟嬢は久保田をじっくり観察した。顔色から推測するに生きていないのは確実だろう。死斑の出かたから死後15時間は経っていると推測できる。

 顔左半分が腫れ上がっており生前の面影はない。何か硬い棒のような物で殴られたようだ。殴られた跡に特徴的な模様みたいなのがうっすら付いている。何だこれは?見た所その他の外傷は見当たらない。出血が少い様なので死因は顔面を強打された事による脳挫傷か?その凶器は何処だ?これだけの衝撃を与える物だ。それなりの大きさな筈。……ない。持ち帰ったか?

 その後吟嬢部屋の窓を全て調べたが全て内側から鍵がかかっていた。入り口の鍵は掛かっていたのは彼女も確認しているので、この部屋は事実上密室となった。

「さぁて、どうしましょうね」

 困った言葉とは対照的に何処かしら彼女は嬉しそうでもあった。

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