第18話

中学二年に上がった鉄男は、ある霊的な経験を皮切りにして、その上り調子を断ち切られることとなる。


部活で疲れ果てた鉄男は帰り道、薄暗い墓地を通った。

左前方に、縦三十センチ、横十五センチほどの、長丸の形をした小さな墓が横になっているのが目に入った。

親切心から、その墓を立ててやった。


その夜から、鉄男は金縛りに苦しむようになった。


布団で横になっていると、突然「キーン」と耳鳴りがした。下腹辺りにコブシ大ほどの圧力がかかってきたかと思うと、全身が徐々に動かなくなっていく感覚に襲われた。

怖くなって起き上がると、動かなくなっていく感覚からは逃れられた。

それからまた布団に入ると、同じようにして全身が動かなくなっていく感覚に襲われた。

目を開けると、目の前に白い手があった。

恐ろしくなって逃げようとしても、身体が動かない。首だけは動いたので、無理に振っていると、それで金縛りから解放された。

白い手は、よく見ると鉄男の部屋に吊ってある、シャンデリア風の電灯だった。

金縛りの恐怖が幻影を見せたのだ。

それから幾度も“金縛り→動いて解放”を繰り返すうちに、いつの間にか寝ていて、朝を迎えた。


妙な人間にも遭遇した。

ある時、長男がオススメする『ジミヘン』のCDを買いに、チャリで出かけた。

その帰り、四十歳ぐらいの叔母さんに「すみません」と声を掛けられた。

止まると、こう言われた

「あなたの中の観音様を拝ませて下さい」

ヤバい人だと思って、無視してチャリを走らせた。

するとその叔母さん、走って追いかけてきて、チャリの荷台に捕まってきた。

あまりの必死さに根負けして、言うことを聞いてやることにした。

「しばらく目を閉じていただいて、目の前に少し手をかざさせていただいて終わりますので」と言われた。

目の前の手と言えば、この前の金縛りを想起させられた。嫌な感じがしたが、もう逃げることはできなかった。

一分ぐらい目を閉じていると「ありがとうございました」で終わった。

この体験が、何だったのかはわからない。

でも、何か大切なものを吸い取られてしまったような気がした。

鉄男にはこれが、墓石を直したことによって訪れた不幸の一つのように思われた。


人生最大の挫折も訪れた。

終礼も終わって、後は帰るだけという時に、例の“菌の付け合い”が勃発した。

ムキになった澤口という男子が、鉄男に飛び蹴りを食らわせて、走って逃げようとした。

カッとした鉄男は走って追いかけて殴りかかった。

相手の前蹴りがカウンター気味に入った。勢いで前かがみになると、そのまま髪を掴まれて顔面に膝打ちを何度か食らった。

澤口はまた走って、ギャラリー数人が座る席の間に、逃げるように座った。

鉄男は頭に血が上っていたので、痛みは全然感じなかった。肩で息をし、澤口を睨みつけた。その両側にはギャラリーが見えた。

鉄男はなぜか「にやり」と笑って見せて、教室を出た。


その日の晩飯。鉄男は気が付かなかったが、喧嘩の影響で、顔がパンパンに腫れていて、母親が、「何かされたんなら言わんといけんよ」と心配するように言った。

鉄男はギクリとしたが、「何が?」とシラを切った。

誰か他人に痛めつけられたなんてことが知られるのは、死ぬほどイヤだった。


寝る段になった時、鉄男はようやく敗北感に苛まれた。

ギャラリーも見ていて、ごまかしようのない敗北だった。

“自分は強いんだ”という妄想は、やはり妄想に過ぎなかった。

自信を失った。

そもそも間違った自信の持ち方だったから、いつかはこうなっていた。


道徳の授業で「みんなの気持ちを分かるようになりましょう」と先生が言ったのが頭に残っていた。

誰かからちょっかいを受けた時に、追従笑いを浮かべるようにヘラヘラしてみせた。

そうすると、相手がもっとやりたくなることを知っていた。自分の中に、原口の態度をそのまま憑依させた。

鉄男は、虐められる側の気持ちを分かろうとした。

それは、心がポッキリと折れ、もう強く出ることのできなくなってしまった、自分への言い訳だった。

「みんなの気持ちを分かろうとする、道徳的な試みを自分はしているんだ」と、言い聞かせていた。


幸か不幸か、その時周りには、本格的に鉄男を虐めてやろうとする人間は居なかった。

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