第4話

蓼崎は、かつてない量の読書をしていくうちに、自分なりの読書法を編み出した。

まず、読書の時間を大きく三つに分けた。すなわち、『起床時』・『出先』・『それ以外』である。

三つの時間では自身のコンディションに違いが出るし、環境も違う。

それぞれの時間に適した内容の本を模索し、区別した。

それはいわば、より効率的に知識を飲み込むための決め事のようなものだった。


『起床時』は、その時一番必要と判断した知識を詰め込むための時間とした。

ある本に「人は睡眠で脳の情報整理を行っている」という内容のことが書いてあった。それならば起床時は一番脳が整理された時間である。「整理された部屋には物が詰め込みやすいのと同じように、整理された脳にも知識が詰め込みやすいはず」と考えた。


『出先』というのは、ほとんど“海”のことである。

家から歩いて十五分ぐらいの所に、海がある。晴れた日は、大海原や遠くの陸景色がよく見える場所で、日光を浴びながら読書をするのである。

これは紫外線の照り返しで眼にあまりよくない行為らしいが、「日光を浴びながら読書をすると頭が良くなる」という、いつ聞いたか誰が言ったかわからない迷信が、ずっと頭から離れないでいるからやめられないのであった。

海では、主に彼の理解を超えた哲学などの本を読んだ。

いつでも立ち上がって歩くことができるので、眠気覚ましになる。それに、歩くことで、睡眠ほどではないが、頭の情報が整理されるらしいという話を誰かから聞いたことがあったので、都合がよかった。

そして、歩くともう一つの面白い効果が期待できた。

ある時彼は、あまりの難解な書物にイライラし、ヤケになって無茶苦茶な速さで行に目を走らせた。

しばらくそうやって無理解のまま目だけ活字を追う作業を続けると、ケツの痛みから腰を上げ、歩くことにした。

ほどよい疲労が全身に行き渡ったころ、突然、頭の奥の方で誰かの声が湧き出てくる感覚がした。

彼は歩きながらも注意深くそれに耳を傾けた。それは、紳士の落ち着きを帯びていた。穏やかさの中に、厳しさを秘め、聡明さを漂わせていた。


“苛めに加担することによって、自らの内に刻印したイラショナルビリーフは、「べき」や「べからず」といった角ばった類のものではなく、もっと、液体のように滑らかで、巧みに人体へと浸透し、暗黙裡の束縛をもたらす。

そのため、解除は非常に困難であり、それなりの時間と費用を要する覚悟が必要である。

「笑い」といった人間らしく生きるための根本を、それによって縛られた人間は、不幸である”


“意識とは、全ての感覚器官の司令塔である。

司令塔を失った肉体は、しばらくは慣性で動くが、これは切り落とされたトカゲの尻尾のようなものである”


“絢爛たる死を求めることの無くなった現在の日本では、死は、恐怖の象徴でしかなくなってしまった。

観念が変わったのである。

死は美のメタファーになり得た。

この観念の喪失が、日本を異国にした。

我々は、恐怖からの逃走を原動力として、周りを着飾ったり、身を粉にしたりするようになってしまった。

かくして、死は恐怖でしかないという観念は人々を卑屈にさせた。卑屈の蔓延は、世の品性を貶めた。

ストレス社会への道は、自らのいざないである”


このような、彼が普段使わない言葉や言い回しで、頭の中の聡明な紳士が語り出したのである。

しかも面白いことに、それらの言葉は、事前に目を走らせた本の内容とは全く無縁の言葉だったのだ。

「これは神がかり的な何かかもしれない」と思った彼は、この言葉が上等であるか下等であるかは別として、なるべくメモに残すように努めた。

ただ、この言葉は、毎日見ては知らず知らずのうちに忘れてしまっている“夢”と似た性質があって、これをメモに残そうとスマホを取り出した瞬間に忘れてしまったり、信号を渡っている最中に湧き起こり、渡り切った時には既に頭から離れてしまっているといったことがよくあった。

また、これは狙って毎回できるものでもなかった。何か、目を高速で走らせるのとは別の条件が必要なようであった。

彼はそれを知ろうとするまでに、このことに力を入れなかった。

少しバカらしいという気持ちもあったし、目を高速で走らせることだけに時間を費やしてしまうリスクを考慮すると、その代償の方が痛く感じられた。


最後の『それ以外』の時間は、彼にとって最も凡庸な、普通の時間だった。

この時間には、面白くて読みやすい本を読んだ。主に、小説や自己啓発本などがそれに該当した。

ここでの目的は、過去陥った活字に対しての苦手意識を再発させないことであった。そのためには、楽しく読むことが必要だと判断した。

しかし、小説でも難解なものはあって、それに当たるたびに「失敗した!」と思うのだが、決まりは決まりなので、その時間に読むと決めた本は必ずその時間に読んだ。


彼は他にも、知識を効率的に詰め込むためになることを、できるだけ試してみた。

集中力が高まるクラシックがあることをネットで嗅ぎつけ、買いに走った。

実際に聴いてみて、効果が体感できたわけではないが、以降、家で読書をする時は必ずこのクラシックを掛けた。

DHAやイチョウ葉エキスといった、脳に良いといわれるサプリを摂取したこともあった。

これは効果はあったようだが、高価であることと、体臭に影響が出ると聞いて以降、敬遠している。

おやつにはGABAの入ったチョコやブドウ糖をかじったりした。

これは気分を切り替えるのに役立ったようだ。


蓼崎は、読むスピードの遅い方であったが、こうして一日の活動時間のほとんどを読書に当てることによって、一日約一冊ペースで読んでいくことができた。

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