第2話
蓼崎は友達がいなかった。電話帳の名前は割とあるが、どれも機能を果たしていないと言ってよかった。
昔から友達がいないというのではない。高校を卒業した辺りから、徐々に目減りしていったのだ。
彼は、自分から連絡を取ることを嫌った。「なんで俺から連絡せんといけんだ」といった態度で、自分が何もしなくても、向こうから自分を慕ってこなければ納得いかず、そうでなければ別に一人でよかった。その癖、学校行事などで一人になることは極端に嫌い、その時だけはお人好しそうな奴にベタベタとくっつくのであった。
社会人になると、職場での付き合いで色々と顔も広がりそうなものだが、どの仕事も最長一年半しか続かず、退職後に連絡を取らなければ、その関係も終わった。
無職になれば行事もクソもなく、お人好しそうな奴を探す必要もなく、面倒であれば知人からの連絡も無視し、こちらから連絡することは一切ないので、少しずつ周りから人が去っていった。
彼は、母親と、二人いる兄とで同居していた。こことの関係もイマイチだった。
帰郷してしばらくは、歓迎ムードから、家族で食卓を囲んだり、酒を飲んだりもした。ただし、起床直後の兄達の機嫌は悪いため、その時間に一緒に食べることは避けた。朝は長男の機嫌が悪く、昼から勤務の次男は昼に機嫌が悪いのであった。その時間、三男は、自室でバランス栄養食を食うか、外食で済ませた。一家で食卓を囲んだのは夜だけだった。
歓迎ムードも冷めた頃、母親と長男と三人で晩飯をつついていると、次男が仕事から帰ってきた。
早速食卓につこうとした次男が、どこに座るのかを迷うような素振りを一瞬見せた。
それをわざとらしい動作と見た三男は、この一つのヒントから、「もしかすると、帰郷してからほぼ毎回、当然のように座っているこの俺の席が、帰郷するまでの約三年の間に、次男の定位置になっていたのではないか?」と憶測した。
彼は、他人のちょっとした素振りを、邪推の標的とする癖が昔からあった。
最終的には「歓迎ムードの時は、譲歩をしてくれていたのだろう」という推理に至った。
そうなると、やはり「改めねばならな」くなり、かと言って今更席を移動するのも、家族で気を遣ってるようで気持ちが悪い。そこで、バツの悪さを引っ張ってこなければならなくなり、居心地悪さのジャブを、自らに放つ結果になるのであった。
最も嫌ったのは、長男の母親に対する態度であった。母親は、テレビを観ると、知ったかぶりをしたがる癖がある。
フィギュアスケートを観ていて、母親が「あそこはいい」「あの着地は少しバランスが崩れた」などと評論家じみたことを言うと、長男が形相を変えて「シロウトがほざけ馬鹿!」「おめぇに何が分かるだ!」などと、痛烈な批判を始めるのである(もちろん長男もシロウトである)。
その病的な豹変は、いつもは大人しく鎮座している重たい拳銃が、触れた途端に暴発を起こすような、衝動的なものだった。
心の中で、「母と同意見だ」と思ったところにこの暴言がネジ込まれると、心臓を掴まれたような気分になった。
言葉の暴力は、場の空気を破壊するかのように押し寄せ、居心地を一気に悪くする。空間がピリッと張り詰め、唾を飲み込むことすら慎重を要するようになるのである。
彼はこの食卓がウンザリだった。
昼前に外出しようとすると、母親が飼い犬を散歩に連れて行けと言った。彼はそれを無視した。
その日の夜、いつもは十九時前後に晩飯に呼びに来る母親が、二十時近くになってもまだ呼びに来ない。あまり遅いと、まだ帰ってきてない長男が帰ってきて、またマズイ飯を食うハメになる。
ここでまた、得意の“邪推”が発動し「この仕打ち(ご飯のおあずけ)は、昼前に犬の散歩の要件を無視したことの報復だ」と、一つの仮説を打ち立てた。そして、感情のイライラと、暗愚な頭脳、忍耐の脆弱は、一つの仮説を早々と確信にまで至らしめた。
自分の時間を、他の人間に振り回されることを嫌った彼は「ご飯の時間が一定でないのではスケジュールが安定しない。思い通りに動かなかった相手に対しての報復に、時間の不安定を乱用されては、たまったものではない。飯ぐらい自分でどうにかできる。それに、残念ながらこれは報復にはなっていない。むしろ好都合だ」と考え、これを機に家族と飯を食うことを一切やめてしまった。
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