第47話 ラブラブだった?
「それはそうとすばるさん、
「え、そんなのあるんですか?」
一真さんはのん気に俺の鎖骨下の痣を指さしながら、さっきとは全く関係のない話を始める。
しかし、つい内容が気になって聞き返してしまう。
「はい。患部がまだ赤くて炎症している時は冷やして、腫れが引いたら暖めると治りが早くなりますよ。後は塗り薬でしょうか」
一真さんは話しながら席を立ち、近くの棚の引き出しを漁り始めた。
「随分と詳しいんですね」
「ええ、この薬には何度か助けられたので、常備してあるんですよ」
「助けられる?」
言いながら一真さんは引き出しからチューブに入った薬らしき物を持ち帰り、そのまま俺に手渡して、今度は俺の隣の席に座った。
外用消炎・血行促進と書かれている。
要するに痣ができた辺りの血行を良くして治りを早くしてくれるらしい。
しかし、コレに助けられるとは、どういう状況なのだろうか。
筋肉痛や関節痛にも効くようだが、それだろうか?
「キスマークも早く消せるんです」
とてもいい笑顔で一真さんが言った。
俺は納得した。
「使い方が、とても一真さんらしいですね」
「本当に早く消えるんですよ。実験してみましょうか」
悪戯っぽく笑った一真さんが距離を詰めてくる。
「しませんよ、何言ってるんですか」
「そうですか、残念です」
俺が呆れて言えば、一真さんは本当に残念そうな顔をして引いたが、コレは面白い反応が見られなかった事にがっかりしてるだけだというのを俺は知っている。
「はいはい……」
さすがに何度も同じような手に引っかかるものかと思っていると、不意に一真さんに左側の手を取られ、そのまま指をからめられて、恋人繋ぎになった。
「ねえすばるさん、僕は表面上あなたの恋人になりましたけど、本当の恋人じゃないからってある日突然捨てたりなんてしないでくださいね」
一真さんが俺の顔をじっと見つめながら微笑んでくる。
「それは、一真さんの雇用期間的な意味でですか?」
「はい。少なくともしずく嬢に雇われている間はそういうことにしておいた方が美味しいので、調整はしたいです」
またしてもいい笑顔で返された。
「でしょうね。でも、そんな事する予定は無いので安心してください。もし恋人のフリをやめるにしても、その時はちゃんと事前に話し合いましょう」
真っ直ぐ一真さんの目を見て答える。
利害関係が一致しているからとはいえ、一真さんが俺の都合に付き合ってくれているのは紛れも無い事実なので、その辺はちゃんと誠意を持って接する必要があるだろう。
答えると、一真さんの繋いだ手にグッと力が込められた。
「ふふっ、約束ですよ」
「はい。約束です」
俺もその手を握り返す。
その後、俺はもしもの時のためにという一真さんの提案で、すばるの格好をしていかにも恋人っぽい2ショット写真を撮った。
一真さんの報告用であり、俺が第三者から恋人の写真を見せてくれと言われた時用である。
しかし、まさかこの写真を撮って一週間もしないうちに実際に使う機会が訪れるとは思ってもみなかった。
10月の第二日曜日、俺は弟と妹に呼び出され、実家に帰っていた。
先日、開かれた美咲さんと雨莉の結婚式は、仕事の関係者やマスコミを呼んでの大々的なもので、その様子はネットニュースや雑誌などの記事にもなり、ワイドショーでも取り上げられたらしい。
俺も何人かの記者にコメントを求められていた。
「このダブルウエディングドレスの挙式って素敵よね! それに、すばるさんの所属事務所の社長さんがこういう人なら、すばるさんが私とくっ付いても周りもきっと寛容に受け入れてくれるわ!」
「い、いや、それはどうかな……」
興奮気味にまくし立てる優奈に、俺は苦笑いをする。
だめだ。完全にドリームモードに入ってしまっている。
「でも、社長さんもこうだし、すばるさんの周りはセクシャルマイノリティに関して寛容みたいだと思うと、少し安心した」
「あ、うん……」
一方で優司は妙に真面目な事を言ってくるので反応に困る。
やめろ、そんな重い感じにしないでくれ。
二人と俺の部屋で話す事になったのはいいが、初め軽い世間話という感じで始まったすばるの所属事務所社長の美咲さんと雨莉の結婚話は、めでたいだけでなく、どういう訳か二人に希望を与えてしまったらしい。
「それはそうと、今日はどうしたんだ? 急に二人揃って話があるなんて……」
笑顔が引きつるのを感じつつ、俺は優司と優奈に尋ねる。
話題を逸らしつつ、さっさと本題に入ってしまおう。
「実はこの記事なんだけど……」
そう言って優奈は自身のスマホを取り出す。
スマホを受け取って画面を見てみれば、ネット記事で美咲さんと雨莉の結婚に+プレアデス+が祝いのコメントを寄せていた。
「何の変哲もないお祝いコメントだと思うけど、コレがどうかしたのか?」
「コメントじゃなくて、問題はその後の記事よ」
優奈の言葉に従い、俺は更に記事を読み進める。
『自身の結婚の予定を尋ねると、「あるといいんですけどねぇ」と曖昧な返事。交際中の彼との結婚はまだ先なようだ。』
そんな一文が目に入って、そういえばそんな事聞かれたな、と思い出す。
「これって、すばるさんに彼氏がいるって事よね? 前にすばるさんは彼氏いないって言っていたけど、最近そういう人ができたのかしら……」
焦った様子で優奈が俺に尋ねてくる。
どうやらコレが今日俺を呼び出した理由らしい。
モデルをする事になった当初から、俺は美咲さんから+プレアデス+は普通に彼氏を作ってしまってかまわないと言われている。
あまつさえ、彼氏と一緒に出かけた写真とか、SNSに上げてくれてもいいのよ? とまで言われた。
だがそれは当時、俺が稲葉と付き合っているという事になっていたからであり、要するに俺と稲葉が上手くいっているのか知りたかったという部分もあった事だろう。
周りにも聞かれれば、普通に+プレアデス+には彼氏がいると答えていたかもしれない。
だから、記者の人が+プレアデス+が彼氏持ちであると認識するのも無理は無いだろう。
「すばるさんのSNSとか見てると、たまに男の人と一緒にいるっぽい写真があって、顔は出てないけどまさかその男の人とどうこうなった可能性とか……」
優司が深刻そうな顔で話す。
その顔は映ってないがちょいちょい存在を主張していた男の人というのは、言わずもがな稲葉の事である。
美咲さんへのアリバイ工作のため、少し前までは普通に二人で遊びに行く時も俺がすばるの格好をして、デートっぽい写真を撮ったりしていた。
ここで疑惑を否定し、二人を勇気付けてやる事は簡単だが、それではまた余計に二人のすばるへの想いが燃え上がってしまうかもしれない。
すばるは最近、優司と優奈とは連絡を取り合ってはいたが、夏休みが開けて以降は文化祭やら中間テストやらで忙しいらしく、全く会ってはいなかった。
一応、一真さんに彼氏のフリをしてもらう約束も取り付けたし、すばるに彼氏がいると切り出すとしたら、ちょうどいいタイミングだろう。
「最近、朝倉に年上の彼氏ができた。とはこの前聞いた……」
意を決して俺が呟けば、部屋の中の時間が止まった。
見事に優司と優奈が固まった。
かなり心は痛むが、変に希望を持たせて貴重な青春時代をすばるのために消費させるのも酷だろう。
「その……二人に話すべきかは悩んだんだけど、いつかすばるから聞かされるとして、先に心構えができていた方が良いと思うんだ」
未だ石のように硬直する優司と優奈に、俺は説明する。
「嘘……」
呆然とした様子で優奈がポツリと呟くので、俺はバックアップ用にとすばるのスマホから送っていた先日一真さんと撮った写真を二人に見せる。
「その、彼氏だそうだ」
「「………………」」
二人は黙って画面を見つめる。
「この人知ってる」
「あの時の人だ……」
優奈が呟き、優司も写真の人物を見て呆然とした様子で呟いた。
いつだったか、一真さんとすばるが一緒にいる所を見て憤慨していた二人だったが、もう既に付き合っているというのなら、迂闊に手も出せないだろう。
優司と優奈はしばらく黙っていたが、やがて優奈は立ち上がった。
「わかった。私がすばるさんをこの人から寝取る」
「何言ってんのお前」
本当に何を言っているんだろう、こいつは。
唖然としている俺を尻目に、今度は優司が立ち上がる。
「……今すばるさんはその人と付き合っているとして、この先もずっと二人の関係が続くとは限らないよね」
「続かないとも限らないからな?」
なぜか決意を新たに立ち上がる二人を見上げながら、俺は冷や汗を流す。
どうして、これで盛り上がっているのか。
「い、いや、でも今は二人共付き合い始めたばかりでとても幸せそうだし、そっとしておいてやってくれよ……」
何とか二人に諦めてほしくて、俺も立ち上がり、二人をなだめる。
「兄さんは、二人が一緒にいる所見た事あるの?」
「まあ、面識はあるから……」
優司が尋ねる。
面識があるというか、当事者なので、むしろ常にその現場に立ち会っていると言ってもいいだろう。
「ラブラブだった?」
「そ、そりゃあもう、見ているこっちが恥ずかしくなるくらいだったぜ」
優奈が尋ねる。
そういう事にしとかないと絶対諦めてもらえなさそうなので、俺は自らの恥を忍んで嘘をつく。
まあ、元々こういう時のために一真さんに彼氏のフリを頼んだのだが。
直後、優司と優奈が膝から崩れ落ちた。
実際にその事を人から聞かされるとダメージが大きかったらしい。
「ま、まだこんな事じゃ諦めないんだからぁ……」
「…………」
床に転がりながらも闘志は消えていないらしい優奈と、ショックで声も出ないらしい優司に罪悪感を憶えつつ、とりあえず俺は二人を慰める事にした。
少し時間はかかるにしても、前向きに立ち直って欲しいと思う。
ちなみに二人はその30分後には完全復活を果たし、いかにして一真さんからすばるを略奪するかについて作戦会議を始めたのだが、ここまで前のめりに立ち直って欲しいとは思っていない。
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