第45話 そうだけど……

「……それにしても、鈴村君は本当に女の子になりたい訳じゃないの? もはや誰も止めないわよ?」

「いや、全くそんな願望は無いから」

 ニヤニヤしながら言ってくる一宮雨莉に、俺はそれはさすがにしゃれにならないと首を横に振った。


 10月初め、事務所の近所のシティホテルの人払いされた控え室。

 すばるの格好をした俺は、ウェディングドレスに身を包んだ彼女と二人っきりで話していた。

-

 今日は美咲さんと一宮雨莉の結婚式だ。

 8月末のあの出来事から、もう一ヶ月以上経つのだと思うと、感慨深い。


 あの日、一宮雨莉と美咲さんが無事仲直りした後、俺はすばるのウィッグとカラコンをとり、美咲さんに自分がさっき一宮雨莉の言っていた鈴村将晴であり、中学からの稲葉の友人であると説明した。


 しかし、美咲さんの中では高校時代の俺と、今の髪の伸びた俺がすぐに結びつかなかったらしく、理解してもらうのに少し時間がかかった。


 少しして美咲さんは、なるほど。と納得した様子を見せると、つまり中学時代からの付き合いで、かなりアドバンテージがあったのにも関わらず、愛想を付かされたのかと稲葉に対して残念そうな目を向けた。


 その後美咲さんは、

「大丈夫。少しびっくりしたけれど、すばるちゃんは私の中では女の子だし、すばるちゃんの事は応援するわ!」

 と、俺の肩に手を置いて、力強く言い切った。


「すばるちゃんは見た目だけでなく、中身もとっても魅力的な女の子だもの。話してればわかるわ。実際私も言われるまで全くわからなかったし……だから自信を持って!」


 などという謎の励ましも貰い、俺はその時はわからなかったのだが、後日、一宮雨莉に聞いたところ、美咲さんは完全に俺を女になりたい男だと認識してるらしい。


 てっきり見た目は割と好みなので、今後手を出さないにしても、俺の事は女とという事にしておいた方がお互いに幸せだと思う。的な意味かと思ったが、思ったよりガチなやつだった。


 俺はすぐに誤解を解かねばと考えた。

 しかし、既に美咲さんには彼女との恋愛フラグをへし折るために恋愛対象が男であるという事を言っていて、女装コスプレしたり、女装して稲葉と付き合ったりと既成事実が多すぎて、今更何を言っても説得力が無い。


 更に一宮雨莉からは、今後対外的には心は女という事にするのなら、美咲さんに対してはもうこのままではいいのではないかと言われた。


 あんまり何度も相手から実はあの時の事は嘘だったと言われ続けると、その相手への信用も失われてしまうとも。

 美咲さんは恋愛感情を抜きにしても、朝倉すばるという人物の事を高く評価していて好感を持っている。


 しかし、だからこそ、それが嘘で固められたものだと知った場合、一気にマイナスまで評価が落ちてしまう可能性があり、それは得策ではないと説得された。


 いわゆる、好きの反対は嫌いではなく無関心。というやつなのだろう。

 結果、今も俺は美咲さんの中では心は乙女の女装男子ということになっている。


「……そういえば、もう一宮とも呼べないな」

「雨莉でいいわよ。今までもすばるの時は人前ではそう呼んでたでしょ?」


 うっかり思い出してしまった気の重くなる事実を振り払うように、全く別の話題を俺がふれば、雨莉はクスクスとおかしそうに笑いながら言った。

 既に養子縁組の手続き等は済んでいるらしく、本名はもう小林雨莉になっているらしい。


「なら、俺も下の名前でいいよ」

「そう。じゃあ将晴君、私はこれでもあなたには結構感謝してるのよ?」

「なんだよ急に」

 突然下の名前で呼ばれ、若干照れ臭くなる。


「私と咲りんの仲を取り持つために随分と頑張ってくれたでしょ?」

「頑張って場を整えたと思ったら、いきなり別れ話を切り出された時はどうしようかと思ったけどな」


 どうやら、後から稲葉か中島かすみにでも聞いたらしい。

 雨莉は随分穏やかに笑っているが、これを美咲さんと揉めてる最中に知られていたら、きっとこんな平和的な反応は返ってこないだろう。


「稲葉がやたら引き止めて来た時は、かすみ辺りが何か企んでるのか、とは思っていたけど、その後将晴君の計画をかすみから話を聞かされた時は、ほんとびっくりしたわ」

「……ん? 今なんて?」


 笑い話をするように雨莉は朗らかに話すが、俺はその言葉に固まった。

 今の言い方だと、まるであの日、中島かすみが雨莉を自分の部屋に招いた時に俺の計画を全て暴露したかのような言い方だ。


「びっくりしたわ」

「いやいや、お約束の返しはいいから。雨莉さんは、一体かすみさんから何を聞いたんですかねえ」


 楽しそうに話す雨莉とは裏腹に、俺の方は冷や汗が出てきた。

 一体中島かすみは雨莉に何を吹き込んだのか。


「将晴君が、今後私が咲りんに対して優位に立った形で咲りんと仲直りできるよう画策してくれてるって聞いたわ。交渉のためのもう一押しとして別れ話を持ち出す事が効果的とか」


 言ってない! そんな事全く提案してないどころか、俺はむしろその行動によって肝を冷やしたんですけど!? と叫びたい気持ちをぐっと堪えて、俺はもう少し雨莉に探りを入れる事にした。


「いや、ちょっと待ってくれ……」

「わかってるわ。交渉のために別れ話を切り出すのはアレが最初で最後。そう何度も繰り返したら説得力もなくなるし、それで本当に別れる事になってしまったら目も当てられないものね」


 しかし、俺の制止の言葉も別の意味に取られたのか、なおも雨莉はニコニコしながら話す。

 そんな具体的なアドバイスをした憶えはないし、実際俺にできるとも思えない。


「うん。それはそうなんだけど……」

 中島かすみは一体何をしてくれているんだと俺が内心パニックになっていると、ホテルの従業員らしき人が、雨莉にそろそろ入場の準備を頼むと声をかけた。


「そろそろ時間みたいね……将晴君、私がブーケを投げる時、できるだけ人だかりから離れて、私の真後ろの直線上にいてね」

 雨莉はいそいそと立ち上がった後、こっそりと俺に耳打ちをして去って行った。


「すばる~雨莉と美咲さんにはもう会ったかにゃ? きっと綺麗に違いないにゃん」

 会場へ行けば、仕事で少し来るのが遅くなると言っていた中島かすみが既に席に着いており、俺をテーブルに手招きした。


 同じテーブルには霧華さんと千秋さん。それと霧華さんと美咲さんの共通の友人であるという女の人が二人いた。

 一人の女の人はどこかで会ったような気がしないでもないが、思い出せない。

 しかし、今はそんな事よりもコイツに聞きたい事がある。


 できれば席を立ってどこか二人で話したいところではあるが、司会の人の話が始まってしまい、簡単に席を立てる雰囲気ではない。


「ねえ鰍? 雨莉と美咲さんが仲直りしたあの日、雨莉に何を吹き込んだのかしら?」

「二人が末永く幸せになれるアドバイスだにゃん」


 こっそりと小声で中島かすみに話しかければ、悪びれる様子もなく、爽やかな笑顔と共に薄々予感した答えが返ってきた。


「随分とリスキーなアドバイスもあったものね?」

「まあバレてしまったら仕方ないにゃん。でも、言ったはずにゃん。鰍は、完全に誰かの言われた通りにするなんて楽しくないにゃん」


 どこか得意気な様子で中島かすみが答える。


「おまっ、そんな堂々と……」

「素が出かかってるにゃんすばるん」

「誰がすばるんか」


 俺がムッとすると、中島かすみは俺の耳元に顔を寄せて手で覆い、内緒話をした。

「でも、実際雨莉の怒った場面を見せるより、美咲さんのイメージを壊さない程度にしおらしくてか弱い感じに見せてた方が、きっと美咲さんも雨莉を大事にしたくなるにゃん」


 耳元にかかる吐息と、囁く中島かすみの声がむず痒い。

「まあ、そうだけど……」


「それに、鰍が普通に提案しても、きっと警戒されてああはならなかったにゃん。あれはすばるが雨莉に信頼されていたからこその成果だにゃん」

 言い終わると中島かすみは身体を離し、ニコリと微笑んだ。


 結果的に上手くいったから良かったものの、そうならなかったらどうするんだとは思いつつ、だんだんと怒る気もそがれてしまい、俺は中島かすみに言い返せなかった。


 余談だが、式の最後のブーケトスで、雨莉に言われた通りに回りの人だかりから離れて、かなり後ろの方に陣取った俺は、直後勢いよく飛んでくるブーケが直撃してつき指をし、更に鎖骨の下辺りに軽い痣を作ってしまった。


 これは冗談ではない。

 後で確認してみると、やたらと重いブーケには文鎮が仕込まれていた。

 雨莉が後方に離れた俺にむかって飛んでいくように仕込んだらしい。


 雨莉がそんな重いブーケを10メートル近い距離を投げ、狙いもほぼ正確だったのは素直にすごい。


 彼女なりの感謝の気持ちらしいが、全く何の備えも無いままに唐突に1キロ以上あるブーケが飛んでくるのもとんでもない恐怖である。


 というか、打ち所が悪いと普通に凶器になる事をもう少し考えて欲しい。

 もっとも、俺はブーケを受け止めるまで重さに気付かなかったので、恐怖を感じる暇は無かったが。

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