第44話 大嫌い
「えっ……」
美咲さんも俺と同じで何を言われてるのか理解できないようだった。
対して一宮雨莉はニコニコと優しい笑みを俺達に向けてきている。
「待って、一旦リビングに行こう! こんな所でする話でもないし、お茶も出すから!」
このままでは玄関で別れ話が進んで、最悪俺と美咲さんが口を挟む隙も無く一宮雨莉が帰ってしまいそうな気がして、慌てて俺は一宮雨莉にあがるように伝えた。
「……そうね、じゃあお邪魔するわ」
一宮雨莉は、妙に落ち着いたような、慈愛に満ちたような様子で俺の言葉に頷いた。
恐い。
普通にキレられるより数段恐い。
「雨莉、あのっ」
「大丈夫よ。もう気にしないで。私と美咲はもう別れるんだから」
リビングに着き、美咲さんの向かいの席に座った一宮雨莉に俺は何とか言い訳しようと声をかけたが、一宮雨莉本人に笑顔で遮られてしまった。
「違くて……」
「えっ、それは一体どういう……姉ちゃんと別れるって、本気で言ってるのか!?」
何とか弁明しようと一味雨莉の隣の席に座って話そうとするが、向かいの席から全く状況を飲み込めていない稲葉に今度は言葉を遮られてしまう。
「美咲が鈴村君と本気で付き合うというのなら、もう私に勝てる所なんて無いもの。結婚だってできるし、子供だって問題なく作れる。仮に手術して女になったとして、そうしたら鈴村君は子供は作れないけど、それは私も同じだもの……」
一宮雨莉は初めは笑顔で話し出したが、話すうちにだんだんと表情が暗くなっていく。
聞いているこっちが辛くなって、美咲さんと俺が浮気しているのは誤解なのだと口を開こうとすれば、ものすごい剣幕で一宮雨莉に遮られた。
「私は! ずっと美咲の一番になりたかった。そのためならどんな努力も我慢もできた。美咲の一番近くにいたかった。相手が女ならまだ勝ち目があったかも知れない。でも、鈴村君が相手の場合、どんなに良くても互角にしかもっていけない」
テーブルの上に乗せられた一宮雨莉の拳に力が入った。
首を何度も横に振りながら、泣きそうな声で一宮雨莉は続ける。
「私にはそれが耐えられない。だから、別れましょう」
最後の方は、消え入りそうな震える声だった。
怒る事ができるのは、まだ自分に怒るだけの気力があるからだ。
だけど、今の一宮雨莉には、それすらも無い。
ただ何とか体裁を取り繕いながら、美咲さんとの別れを切り出す事で精一杯なのだ。
「…………嫌」
思った以上に一宮雨莉を深く傷つけてしまった事に、俺は呆然としてしまったが、すぐに美咲さんの別れを拒む言葉で意識を引き戻された。
「私は、雨莉と別れたくない。私の一番は雨莉だもの。他の相手が鈴村君でもすばるちゃんでも、一番は雨莉で、どうしても一人選ばなきゃいけないなら私は迷わず雨莉を選ぶわ!」
予想外に狼狽した美咲さんが、席を立って一宮雨莉に詰め寄る。
それは美咲さんの見せた一宮雨莉への執着であり、詰め寄られた一宮雨莉も驚いたのか一瞬きょとんとした顔をした。
「……今は一番でも、その内確実に取って代わられる一番なら意味が無いわ。私は、ずっと一番でいたいんだもの。今が一番なら、これから先もずっとずっと一番でないと嫌なんだもの」
しかし、一宮雨莉はすぐに暗い表情に戻った。
結局、今この場で一時的に美咲さんの一番になっても意味が無いのだと俯きながら言う。
「雨莉、あなたはずっと私の一番だったし、これからもそれは変わらないと思っていたけれど、きっとあなたの言いたい事はそういうことじゃないのよね……」
美咲さんはとても悲しそうな顔で一宮雨莉から離れると、とても優しい声で問いかけた。
一宮雨莉は、黙って美咲さんの言葉に頷く。
「雨莉……もう別れるから気にしなくていいと言うなら、今まで不満だった事、全部聞かせて? 最後にその事だけでも謝らせて?」
それだけ聞かせてくれたら別れに応じるから。と、美咲さんは一宮雨莉に懇願する。
一宮雨莉はしばらく黙っていたが、美咲さんがじっと待っていると、やがて口を開いた。
「…………私は、美咲の一番で、特別な存在になりたかった。プレゼントも、態度も他と同じなんて嫌。美咲が私以外の女の子を気に入るのも嫌だし、仲良くなんてしたくない。私以外の可愛い子の顔は皆
話している途中から一宮雨莉の足元にはぽたぽたと水滴が落ち、言い終わる頃には小さな水溜りができていた。
自身の身体を抱えるように抱きしめ、肩を震わせて泣く彼女は、以前美咲さんが言っていたような、か弱い女の子にしか見えなかった。
「雨莉、私も雨莉の事、大好きよ。愛してる。ねえ、どうしたら私の所に戻ってきてくれる? 何をしたらまた私の隣にいてくれる?」
まるで割れ物を扱うようにそっと一宮雨莉を抱きしめながら、美咲さんが尋ねる。
「男でも女でも私以外の人を好きにならないで」
「私以外に優しくしないで」
「私だけを見て」
美咲さんの胸に顔をうずめながら一宮雨莉が言う。
「でも、そんなのどうせ無理だから、代わりにずっと私の側にいて。私以外の人には手を出さないで。遊びでもダメ」
胸元から顔を上げたかと思うと、不機嫌そうに一宮雨莉が美咲さんを見上げながら言った。
急に要求が現実的になったが、つまりはコレが、譲歩できるギリギリのラインなのだろう。
「わかった。じゃあその代わり、私のお願いも聞いて?」
対して美咲さんは、ニッコリ笑って、自らも要求を突きつけてきた。
この期に及んで一体何を言い出すのかと、リビングに緊張が走った。
「これからは嫌な事や不満な事があったら、何でもすぐに私に言って。私もね、雨莉になら何を言われてもどんな事されても、やっぱり嫌いになれないから」
しかし、美咲さんの要求は予想に反して、雨莉の事を気遣うような内容だった。
一宮雨莉は美咲さんのその発言に呆気に取られたようにポカンとしていたが、すぐに笑顔になって
「もうっ、どうなっても知らないからね!」
と嬉しそうに美咲さんに抱きついた。
考えてみれば、美咲さんも一宮雨莉からの盗聴だとか、位置情報発信アプリだとかには気付いていた訳で、そればかりか、自分も同じ物を一宮雨莉のスマホに入れたりしていた。
使ったのは百舌谷夫妻の一件が初めてだとは言っていたが、実際はどうなのかわからない。
もしかしたら、美咲さんは薄々、一宮雨莉の美咲さんに見せない顔も知っていたのではないだろうか。
だとすると、それこそ犬も食わないというか、中島かすみ達の言っていた通り、放っておいても問題なかったような気もしてくる。
しかし、まあ今回の件によって、今後は一宮雨莉も堂々と美咲さんに浮気しないように文句をいう事にもなるだろうし、今までのままだとその状態になるのにいつまでかかったかわからないので、まあそれで良しとしよう。
「……ところで、さっきは勢いで流しちゃったけど、鈴村君って誰?」
一宮雨莉を抱きしめながら、思い出したように美咲さんが俺達に尋ねてきた。
……まあ、元々今日バラすつもりだったし、一宮雨莉も上手くやってくれてはいるが、さすがにいつまでもこのままという訳には行かないだろう。
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