第42話 血の気が引いた


「稲葉に聞いたら、夕食の買い物に戻ってきたらいなくなってたって……どうしましょう、本当に雨莉にもしもの事があったら……」

 美咲さんの心配そうな声がスマホから聞こえる。


「大丈夫です美咲さん。さっき鰍から連絡があって、雨莉をたまたま見かけて保護したそうです。とりあえず落ち着いたら私の家に来るよう伝えてくれって言っておきました。多分まだ美咲さんのところに帰るのは抵抗があるかもしれないから……」


 俺はあくまで美咲さん達の事を心配している。

 というていで答える。


 予定通り稲葉からかかってきた電話だったが、途中で美咲さんに変わられてしまった。

 今日の美咲さんは珍しく焦燥している様子だった。


 一真さんの仕事の成果だろうか?

 何をしたのかは知らないが。


「そう、ありがとう。じゃあ今からすばるちゃんの家に行ってもいいかしら? 今回はちゃんと雨莉と話し合わなきゃいけない気がするの」

「そうですね。待ってます」


 思ったよりも美咲さんが本気で一宮雨莉の事を心配していて、胸が痛む反面、そんなに心配するのなら、普段からもう少しあいつの事を思いやって欲しいとは思った。


 美咲さんとの通話を切り、今度は中島かすみの方に電話をかける。

 ラインの方に無事一宮雨莉をこちらに向かわせたとメッセージが届いていたからだ。


「もしもし、そっちは大丈夫だったか?」

「計画通りばっちりにゃん。……でも、本当に良かったのかにゃん?」

 電話越しに心配している気配が伝わってくる。


「ああ。こうでもしないと、美咲さんにあいつの事伝わらないと思うからさ」

「将晴、もし重傷になったら、鰍が看病してあげるから、即死は避けるにゃん」

「冗談で済まないのが辛い所だな」


 実際、本気でブチ切れた一宮雨莉相手だと、何されるかわかったものではない。

 更に、そんな自分のために怒り狂う一宮雨莉の姿を目の当たりにした美咲さんが、必ずしもそんな彼女を受け入れるとも限らない。


 だけど、何の根拠も無いけれど、ずっと小さい頃から一宮雨莉を見て来て、わざわざ養子縁組までしてあいつと籍を入れようとしている美咲さんが、そう簡単に一宮雨莉を手放すとも思えない。


「それにしても、将晴は雨莉に対して、なんでそこまでするにゃん?」

「言っただろ、俺のためだよ」


 いわばコレは賭けだ。

 それも、他人のチップを勝手に賭けてやるようなどうしようもなく無責任で自分勝手な賭けだ。


 だからこそ、どんな形でも、自分もそれなりのリスクとチップを払わなければ割に合わない。


「……なんか、将晴がカッコつけるたびに、死にそうな気がしてきたにゃ」

 まるで死亡フラグか何かのように中島かすみが言う。


「この後、結婚する予定なのは美咲さん達だけどな」

「あの二人は死にそうに無いにゃん」

「全くだな」


 そうやって俺がしばらく中島かすみと話していると、やがてインターフォンの呼び鈴が鳴り、稲葉と美咲さんがやって来た。

 電話を切り、インターフォンの受話器を取り、美咲さん達を迎え入れる。


 予定ではこの後、美咲さんと稲葉に一宮雨莉が今こちらに向かっている事と、一宮雨莉は自分がいない間に美咲さんと俺が浮気していると思っているという事を伝える。


 一宮雨莉が来たらリビングのキッチンカウンターの裏に隠れてもらって、俺と一宮雨莉のやりとりを聞いてもらう。

 というのが今回の作戦のメインだ。


 とりあえず、二人には部屋に着いたら早々にスマホの電源を落としてもらう事にしよう。

 一宮雨莉がアプリで俺の居場所を確認するのも、もしかしたら一度や二度ではないかもしれない。

 すばるの部屋に美咲さんがいると先に気付いてしまった場合は、全てが水の泡だ。


 この時、一宮雨莉はその場には俺しかいないと思っているので、作戦が予定通りに進行すると、美咲さんに朝倉すばるの正体が鈴村将晴だとばれるが、それはもう仕方ないだろう。


 それこそが俺が今回の賭けで払うチップだ。

 受話器を置いた途端に身体が震えたが、大きく深呼吸をして自分に言い聞かせる。


 大丈夫。

 ピンチとチャンスは隣り合わせで、コレは美咲さんとの恋愛フラグをへし折ったり、不本意ながら始める事になったモデル業から足を洗うチャンスでもあるんだ。


 最悪、入院が必要なレベルになったとしても、さすがに危なくなったら稲葉や美咲さんが止めに入ってくれるだろうし、もし腕を怪我したら、中島かすみにあーんして食べさせてもらえるチャンスだ。


 ……考えれば考える程に身体が震えるが、多分コレは武者震いというやつに違いない。


「美咲さんも稲葉もいらっしゃい」

 俺が玄関で二人を迎え、リビングに案内する。

 まずはスマホの電源を切ってもらおうと二人に話しかけようとした瞬間、ラインの通知音が鳴った。


 一応チラリとすばるの方ではない。

 将晴の方だと、そちらを見れば、一宮雨莉からメッセージが届いていた。


『そういうことだったのね。今からそっちに行くから、三人ともおとなしく待っていてね』

 血の気が引いた。

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