第39話 そんなの嫌だ
「一真さん、いらっしゃいだにゃ!」
一真さんをリビングに通せば、中島かすみが笑顔で出迎えた。
「お久しぶりです。それにしても、また随分とキャラが変わりましたね」
「今はこういう感じでやってるのでよろしくだにゃん」
「ええ、よろしくお願いします」
二人の再会は、案外さらっとしたものだった。
しかし、相手は一真さんなので油断はできない。
「一真さん、鰍はアイドルなんですから、手を出しちゃダメですよ」
「……ちなみにこの場合、すばる的にはどっちに妬いてるのかにゃん?」
「妬いてないっ」
釘を刺すつもりで一真さんに言えば、中島かすみが横からニヤニヤしながら尋ねてくる。
別に、コレはまだ妬いている範囲に入らないはずだと思いたい。
とりあえず一真さんに麦茶を出しつつ、中島かすみと二人で先程の話の詳細を尋ねる。
曰く、しずくちゃんはすばるに負い目を感じながらも、この千載一遇のチャンスを逃すまいと、稲葉の家に押しかけ女房的な感じで乗り込んで世話を焼く計画を立てたそうだ。
お嬢様育ちで色々不慣れな部分はあったものの、家で数日間みっちり練習して、いざ、稲葉の家に押しかけた。
初日は、なんだかんだで稲葉も受け入れてくれて、このまま稲葉を自分がいないとダメな感じにしようという計画は、順調に進んでいたらしい。
しかし、その翌日、ちょうど昨日、しずくちゃんの計画は突如完膚なきまでに崩れ去った。
美咲さんと何かあったらしく、すこぶる機嫌の悪い一宮雨莉が稲葉を訪ねてきたのである。
「……まさか、当り散らして暴れたとかですか?」
「いえ、その逆で、彼の家を彼の了解を取って徹底的に掃除しだしたらしいです」
「は?」
恐る恐る尋ねてみれば、帰ってきた予想外の答えに、俺は唖然とした。
掃除? なんで恋人と喧嘩(?)した直後に稲葉の家に行って掃除なんて始めてるんだあいつは……。
「あー、雨莉それはだいぶ頭にきてるにゃん」
「それは、一体どういう……?」
首を傾げる俺の横で、中島かすみがため息をつく。
「雨莉はストレスがたまると何か手を動かしてないと落ち着かなくなるみたいで、ひたすら掃除とか家事に走るにゃん」
なんだ、その情報。初めて知ったぞ。
意外な一宮雨莉の生態に驚く俺を他所に、一真さんは中島かすみの言葉に頷き、口を開く。
「ええ。そのおかげで、しずく嬢が綺麗に掃除したと思われていた場所から大量のほこりやら汚れが出てきて、しかも彼もその行動に慣れた様子で、彼女が作業するすぐ横でずっと彼女の愚痴を聞いていたらしいんです」
「稲葉は、一応高校の頃から美咲さんと雨莉の事は応援してて、そうやって雨莉が何かある度に愚痴を聞いてたにゃん。建設的なアドバイスは必要なくて、ただ話に相槌を打つことが求められるにゃん」
「それは、なんでまた?」
一真さんの言葉に付け加えるように、中島かすみが言う。
稲葉とは、高校でも仲が良かったはずなのだが、そんな事は全く知らない。
それにしても、アドバイスの必要が無いとはどういうことだろうか?
「基本、雨莉がそうなる時は自分でどうすべきかはわかってるけど、感情が追いついてないだけだから、誰かに話すだけでスッキリしてその後は勝手に自分で解決するにゃん」
だから別に放っておいても大丈夫にゃん。と中島かすみがため息をついた。
確かに、その様子なら俺の出る幕もなさそうである。
「ただ、二人はそれで良くても、しずく嬢としては、予期せず自分の不完全な仕事を、彼の立会いの元で晒される形になってしまったんです」
やれやれというように一真さんが説明する。
「雨莉は元々美咲さんを落とすために、かなり昔から家事スキルを磨いてきたらしくて、実際料理も掃除も洗濯も、プロ並みの腕前にゃん」
一時期は張り合ってもみたが、その分野は全く敵わなかったから、早々に他で勝負する事にした。と、中島かすみは感慨深そうに高校時代を振り返る。
「普通に考えて、そんな人の仕事に、昨日今日覚えたような付け焼刃で太刀打ちなんでできませんよね」
そして現在、しずくちゃんは一旦自宅に戻り、どうにか稲葉の家から一宮雨莉を追い出せないものかと考えているらしい。
「ああ、それなら別に平気にゃん。雨莉のアレは一過性のものだから、すっきりしたら勝手に自分から美咲さんの所に帰っていくにゃん」
「そうなんですか。ではあまり心配はなさそうですね」
「高校時代、美咲さんとくっついてからも半年に一回くらいのペースで同じ事を繰り返してたし、大丈夫だにゃん」
中島かすみと一真さんは、じゃあ別にいいか、という感じになっているが、俺は一つ、今までの話でどうしても気になる事があった。
「……鰍は、前に雨莉が美咲さんとケンカして家出した時の理由知ってる?」
「確か、美咲さんが雨莉にプレゼントした指輪と同じ物を他の女の子にもあげてたとか、美咲さんが浮気現場に出くわして呆然とする雨莉を笑顔でその輪の中に迎え入れようとした、とかだったにゃん」
事も無げに中島かすみは答える。
俺は絶句した。
さっきの話からすると、しばらくは腹を立てていても、少ししたら一宮雨莉が折れて美咲さんの所に戻っていたようだった。
美咲さんのあの奔放さや、一宮雨莉の諦めぶりを考えると、一宮雨莉はそれらの事に関して特に抗議もしてこなかったのだろう。
俺は最近、中島かすみと付き合い始めて、日々自分の中の思いもよらない感情に振り回されたりしている。
そうして、なんとなくでも人を好きになるという事がわかりだした今、思うのは、一宮雨莉への美咲さんの仕打ちはあんまりにも酷いのではないかという事だった。
もちろん、百舌谷夫妻のように、相手の事が好きでも嫉妬に囚われないような、いろんなケースがあるのだとは思う。
でも、少なくとも一宮雨莉は美咲さんの行動に十分に傷ついているように見える。
初めはあいつの事は悪魔か何かにしか思えなかったけれど、今はただただ可哀想だとしか思えない。
確かに今のまま放っておいてもそのうち一宮雨莉は美咲さんと仲直りするのだろうが、本当にそれでいいのだろうか?
だって、問題は何も解決していない。
きっとこれからだって何度も一宮雨莉は傷つく事になる。
それでも、本人達が良いと言うのなら、確かに周りが口を出すべきではない。
だけど、やっぱり俺はそんなの嫌だ。
「なんとかできないかな……」
それは無意識にこぼれた言葉だった。
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