第6章 ハッピーカオスエンド

第38話 面白いでしょう?

 一宮雨莉と連絡が付かなくなった翌日、俺は昼前から中島かすみをすばるの部屋に呼び出して、昨日の事の顛末を話した。

 さすがにここまで来ると俺の手にも余るので、相談相手が欲しかった。


 あの一宮雨莉が自分から美咲さんの元を離れたのだ。

 何か自棄を起していないかと心配なのだ。とは話したが、中島かすみ曰く、一宮雨莉はそこまで弱くないと首を横に振っていたが、なぜそう言いきれるのか。


 今朝も、もしかしたらあの後美咲さんの元に戻っているかと確認の電話を入れたが、一宮雨莉はまだ帰っていないという。


 美咲さんも心配はしていたようだが、その内帰ってくるだろう。と危機感が足りないと思う。


 しかし、中島かすみは初めニコニコして話を聞いてくれていたが、話すうちにだんだんと笑顔が曇り、全てを話し終わった今、彼女は頬杖をついて、明らかに不機嫌そうな顔をしている。


「……それで、その後雨莉を探したけど見つからず、こうして今、鰍に助力を請うている訳だにゃん?」

「全くもってその通りでございます」

 思わず返事が敬語になってしまう。


「雨莉は精神的にも肉体的にもかなりタフだし、お金もそこそこ持ってるだろうから、一ヶ月位なら、家出もそこまで心配する必要ないにゃん。それにこれは美咲さんと雨莉の問題だから、最悪放っておいても勝手に解決すると思うにゃん」

 やれやれ、とでも言いたげに中島かすみは首を横に振りながら言う。


「確かに一宮も、もう子供ではないが、それでもかなり精神的に追い詰められていたように思う」

「話聞く限りだと、今までもそれに近い事は何度か鰍も遭遇した事あるから、多分今回も大丈夫にゃん」


「へ?」

 中島かすみの言葉に、俺は耳を疑ったが、しかし、だからこそ、美咲さんも中島かすみもこんな危機感のない反応なのだろう。


 そう考えると、一気に俺も力が抜けた気がしたが、とりあえずそこまで心配する必要もなさそうなので、一安心といった所だろうか。

 俺が胸をなで下ろしていると、ますます中島かすみは不機嫌そうにため息をついた。


「色々言いたい事はあるけれど、まず一番に文句を言うとするならば、鰍にも押し倒された事ないのに美咲さんにそんな簡単に押し倒されるとは何事にゃん!」

「一番そこ!? ……というか、俺が押し倒される側なの決定事項なのか?」


 中島かすみは大きなため息をついた後、眉間に皺を寄せながら口を開いたので、一体何を言われるかとビクビクしていたのだが、彼女が腹を立てているポイントに、思わず俺はつっこんでしまった。


「しかも、そのままラブホテルにまで連れ込まれるなんて!」

「それは言い方に語弊があるだろう……」

 悔しそうに机に拳を振り下ろしながら、絵面だけならシリアスに見えなくもない感じで言う中島かすみに、俺は脱力した。


「そんなにラブホ女子会とやらがしたいなら鰍と二人で行くにゃん!」

「おまっ、それは、また違う感じになると思うんだが……」


 今度は駄々をこねる子供のように中島かすみがじたばたしながら言うが、コイツは自分が今何を言っているのかわかっているのだろうか。


「とにかく! 鰍は怒っているにゃん! 将晴はちょっとそこに正座するにゃん!」

「お、おう……」


 土下座でもさせられるのかと思ったが、それで一旦こいつの機嫌が直るならいいかと思い、俺は席を立って椅子に座る鰍の前に正座した。


 すばるとしてなら幾度となく稲葉の土下座する光景を見たことがあったのだが、まさか自分が土下座する方に回ることになろうとは。

 なんて事を考えながらそのまま床に手を付こうとしたら、なぜか中島かすみに制止された。


 土下座して謝れという事ではないのか? と不思議に思っていると、あろう事か中島かすみは正座する俺の膝の上に腰を下してきた。


「か、鰍!?」

 驚きながらも、彼女の顔を見上げれば、ふに、と唇に女らしい細い指先が触れる。


「将晴、今まで誰かとここにキスしたり、されたりした事はあるかにゃ?」

 俺の唇を指でゆっくりなぞりながら、中島かすみは自らの口元に弧を描く。


「ない、です……」

 ごくりと生唾を飲み込み、期待交じりに答えれば、嬉しそうに頭上の瞳が細められる。


「それは良かったにゃん」

 そう聞こえた直後、唇にしっとりとした温かい感触がした。


 ちゅっ、ちゅっ、と触れるだけのキスを幾度と無く繰り返す。

 リップクリームのものと思われるラズベリーのような匂いが鼻腔をくすぐって、味はしないはずなのに、甘いお菓子を食べているような、そんな気分になる。


 延々くり返される触れるだけのキスに、頭がぼんやりしてきながらも、だんだんともどかしさを感じて来た頃、まるで催促されるかのようにぺろりと唇を舐められた。


 つられて俺が口元を緩めた直後、中島かすみの唇が離れ、左耳に吐息を感じた。

「続き、したいかにゃん?」

 囁く声が、肩から腰に抜けてくすぐったいような感覚がする。


「……したい」

 膝の上に乗った中島かすみの重みをずっしりと感じつつも、彼女の服の裾を掴みながら答える。


 その瞬間、中島かすみはすっと立ち上がり、再び俺の目の前の椅子に座りなおした。

「じゃあ、また今度にゃん」

 とてもいい笑顔で中島かすみは言い放つ。


「えっ」

 思わず立ち上がろうとして、脚を崩せば、痺れてしまったようでビリビリとした痛みと共に脚に力が入らず、結果立ち上がれずに俺はその場にへたり込んだ。


「言ったはずにゃん。鰍は怒ってるにゃん」

 中島かすみは椅子からそのすらりとした脚を伸ばし、俺の痺れた足をつんつんと突いてくる。

 なるほど、どうやらこれが彼女からの制裁らしい。


「別に将晴がトラブルに巻き込まれるのはいつもの事だし、鰍も楽しいからそれはいいにゃん。でも、あれだけ忠告したのにあっさり美咲さんに襲われてるのはなんか腹立たしいから、コレで許してあげるにゃん」


 最初は、いまいち中島かすみがなぜ不機嫌だったのかよくわからなかったが、その言葉を聞いて、ようやくピンときた。

「つまり、鰍さんはヤキモチをやいてらっしゃるんです……?」

 頭の中でなんとなく答えは出たものの、自信が無くて口調が変な敬語になってしまった。


「……」

 しばしの沈黙の後、中島かすみは無言で俺の痺れた脚をぐりぐりと踏んできた。

 体重は全く乗っていないが、痺れているので、すごくビリビリする。


 というか、この反応は肯定と捉えて良いのだろうか?

 でも、これ以上聞いてもまた機嫌が悪くなりそうだから、勝手にそうだと思うことにしよう。


 だってその方が嬉しいから!


「痛い痛い痛い! ごめんって! これからはもっと気をつけるから!」

「ホントかにゃ?」

 たまらず声をあげれば、いつものイタズラっぽい声が降ってきた。


「ホントです!」

 いつもの調子に戻った中島かすみに安堵しつ答えれば、中島かすみは脚をひっこめた。


「将晴は誰の恋人なのかにゃ?」

「中島かすみさん、です」

「……えへへ、そうだにゃん」


 質問に俺が答えれば、中島かすみは珍しく緩みきった笑顔を向けてきた。

 可愛いけど、その顔はあんまり俺以外には見せて欲しくない。


「……あのさ、もしもなんだけどさ、俺がしょうもない事で鰍にヤキモチやいてたりしたら、どうする?」

 俺はわずかな希望的観測を、かなりの勇気をもって中島かすみに尋ねてみる事にした。


 さっき、中島かすみが俺の事でヤキモチをやいてくれていたなら、俺は嬉しいと思ってしまったので、相手もそうだったら良いな、という、もし違ったらかなり精神的に辛い問いではあるが。


「んー、時と場合によるにゃん……まあでも、何してもまったく妬かれないよりはいいにゃん」

「……そっか」


 対して、中島かすみの答えは、YESと言切れる程歯切れの良い肯定ではなかったが、少なくとも、否定でもないようなので、とりあえず多少の嫉妬は許してくれそうである。


 それだけのはずなのに、まるでそれが自分のダメな部分も受け入れてくれているように思えて、すごく嬉しいのだけど、きっとまた今の俺は口元が緩みきって恥ずかしい感じになっているに違いない。


 少し落ち着いてから席に座りなおそうと、今度こそ俺が立ち上がった時、玄関の呼び鈴が鳴った。

 すばるの家にエントランスのインターフォンなしでいきなり玄関の方にやってくる人物なんて限られている。


 今日は中島かすみも来ているのに……と、不機嫌丸出しで玄関のドアを開ければ、予想通りの人物が人当たりの良さそうな笑みを浮かべて立っていた。


「おはようございます。そんな嫌そうな顔しないでくださいよ。面白い話を持ってきたんですから」

 おどけたように一真さんが言う。


「面白い話と言ったって、私はこれから一ヶ月、稲葉とは連絡も会う予定もありませんし、しずくちゃんにも好きにやってくれてかまわないと伝えているはずですが……」


 一宮雨莉については、今すぐなんとかしなければならない問題でもなさそうだが、一応心配は心配なので、正直、今は稲葉やしずくちゃん関連のアレコレは勘弁して欲しい。


「ええ、それで彼の部屋に押しかけたしずく嬢が見たのは、彼が幼馴染にせっせと世話を焼かれる姿だったそうで……」

「待ってください、それってまさか雨莉ですか……?」

 なぜ、昨日から連絡のつかない一宮雨莉が稲葉の家にいるのか。


「面白いでしょう?」

 一真さんは肩をすくめて言った。


 どうやら、話を聞くしかなさそうである。

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