第37話 もう知らない
「……それは、何かの間違いじゃなくてですか?」
恐る恐る俺は美咲さんに尋ねる。
「いやー、それはないよ。だってここ、よく利用するもの。女同士でも入れて、最近はラブホ女子会とかあるから、三人以上だとレディースプランで安く使えて、内装もリゾート風で良い感じなのよね」
しかし、当の美咲さんは、ニコニコとそのホテルについて説明する。
いたって普通の、雑談をするかのようなテンションで語る美咲さんだったが、今はその普通さが逆に恐い。
「な、なら、そのラブホ女子会、とかでしょうか?」
「うーん、どうなのかしら? まああそこは女の子一人でも泊まれるし、エステやスパも併設されてるから、一人の可能性もあるけど……」
だがその冷静さの理由もすぐにわかった。
どうやら、最近のラブホテルというのは、随分といろんなサービスを提供しているようで、女子会のみならず、女一人で泊まってリラックスできるようなプランまであるらしい。
つまり、本当に浮気などではなく、純粋に一人でスパだとかエステだとかを目当てに来ている可能性もある。
一宮雨莉や美咲さんの場合、相手が女同士でも、色々と問題がありそうな気もするが、一人だというのならそれもないだろう。
そんな事を俺が考えていると、美咲さんはいつの間にスマホで電話をかけていた。
この場合、電話をかける相手は一人しかいないので、俺もすぐにわかった。
「もしもし雨莉? ……え、霧華ちゃん? 今大丈夫? 良かった。今からそっち行ってもいい? ロビーでお茶でも飲んで待ってるから。ええ、話はそっちで。また後でね」
やっぱり一宮雨莉か。なんて思いながら美咲さんが話すのを聞いていると、思いもよらない人物の名前が出て来た。
「なんか、霧華ちゃんといるみたい。とりあえず、今からそこに行って雨莉に話を聞きに行く事になったのだけど、すばるちゃんも来る?」
まるで、これから皆でカラオケ行くんだけど一緒に来る? みたいなノリで美咲さんが尋ねてきた。
なんで一宮雨莉は霧華さんと二人でラブホテルにいるのかとか、なんでその状況で俺を呼ぶのかとか、色々突っ込みたいところはある。
でも、あの一宮雨莉がそう簡単に心変わりするとも思えないし、何か事情があるにしても、霧華さんと美咲さんという、あまりに自由過ぎる大人に挟まれるのは心配な気はした。
それに、ここで変にこじれて別れるだなんだという話になっても、フリーになった美咲さんに、美咲さんと別れて荒れている一宮雨莉なんて事になったら、俺にも色々と被害が来そうだ。
とにかく、ここはなんとか二人に上手く行ってもらわねばならない。
もしもの時には一宮雨莉のフォローにまわる人間が必要だろうと考えた俺は、腹をくくった。
「……行きます!」
「それじゃあ四人で女子会ね~」
そんな俺の覚悟を込めた宣言は、美咲さんの随分軽い返事で承認され、俺と美咲さんは、二人で一宮雨莉がいるというラブホテルへと向かった。
店の外に出れば、雨はもう止んだようで、雨上がり特有の妙に湿ったにおいがした。
新宿通りから明治通りに抜けて少し歩いた所にそのラブホはあった。
思った以上にでかいリゾート風のホテルだった。
中に入れば、サンダルウッドの香りが鼻をくすぐり、ガムラン音楽が聞こえてくる。
ラブホテルなんて一度も来た事はなかったのだが、コンセプトもあるのだろう。
でもなんか思ってたのと違う。
まあ、美咲さんの行きつけという事は、どうせ高級店の類なのだろうから、俺にはあまり参考にならないかもしれない。
そんな事を考えながら美咲さんの後を着いて行くと、ロビーの一角にドリンクコーナーがあり、そのすぐ近くの席には既に霧華さんと一宮雨莉が待っていた。
一宮雨莉の深刻そうな表情と、霧華さんの能天気に手を振ってくる様子が対照的だった。
「咲りん、これは違うの!」
美咲さんと目が合うなり一宮雨莉は席から立ち上がって泣きそうな顔で言う。
「ああ、うん。なんとなくそんな気はしてる~」
一方美咲さんは、ほけほけと笑いながら一宮雨莉の頭を撫でる。
「簡単に言うと、うっかり雨莉ちゃんを濡れ鼠にしちゃったから、服を乾かしたり、お風呂に入ってもらったりしつつ、今流行りのラブホ女子会とやらを楽しんでたんだよ」
横から霧華さんが、全く悪びれた様子も無く説明した。
「前から霧華ちゃん行きたいって言ってたものね~」
「うんっ、ここだと料理も充実してるし、ベッドもお風呂も大きくて、カラオケとかもついてるし、至れり尽くせりで楽しいよ~」
美咲さんは美咲さんで、特に気にした様子も無く、一宮雨莉を撫で続けながら霧華さんと雑談を始める。
「あの、それなら千秋さんと来ればよかったのでは……?」
修羅場を想像してたのに、予想外に平和な雰囲気に呆気にとられつつ、俺は霧華さんに尋ねた。
今の話だと、半ば強引に一宮雨莉をホテルに誘ったようにも聞こえるが、それこそ千秋さんと二人でホテルに来ればよかったのではないだろうか。
「だって、そしたら女子会じゃなくなっちゃうじゃない。大学卒業してからはあんまり友達と遊ぶ機会もないし、たまには外で遊びたいんだもん」
わざとらしく拗ねたような素振りをしながら霧華さんは答える。
「そんな事だろうなとは思ってた。なので、すばるちゃんも連れてきたし、私達もその女子会に入れてくれないかしら? こういうのは人数が多いほうがいいでしょ?」
霧華さんの言葉に頷きながら、美咲さんは俺を霧華さんに紹介する。
というか、もしかして俺はそのために呼ばれたのか……?
「もちろん! すばるちゃんって、確か、稲葉君の彼女なのよね? お話聞いてみたいわ!」
「えっ、えっ」
大歓迎だと言わんばかりに霧華さんは俺の手を取って目を輝かせる。
俺はこの事態に理解が追いつかない。
「それが今、いー君のせいで破局の危機なのよ」
「そうなの? ますます気になるわ!」
面白そうだと言わんばかりに霧華さんが食いついてくる。
「どうして……」
突然、か細い声が、楽しそうな空気を遮った。
「どうして、咲りん、怒らないの……?」
声の主は、今にも零れ落ちそうな程目に涙を溜めて、声を震わせていた。
「どうして怒るの? 雨莉は何も悪い事してないでしょう?」
今にも泣きそうな一宮雨莉に、優しく言い聞かせるように美咲さんが言う。
「私が、ここで霧華さんと浮気してるかもしれないじゃない。なんであんな適当な弁明で納得するの?」
「だって、雨莉は浮気しないでしょう?」
言いながら美咲さんは再び一宮雨莉の頭を撫でようとしたが、それは一宮雨莉本人によって強く払いのけられた。
「してるかもしれないじゃない!」
「してる人はそんな事言わないわよ」
すがるような、それでいて怒っているような目で一宮雨莉は美咲さんを見つめ、美咲さんは困ったような、不思議そうな顔で首を傾げた。
美咲さんのその様子を見た一宮雨莉が、呆然としたような顔で黙ってボロボロと涙をこぼす。
それには美咲さんも驚いたようで、何か気に障ったのかと一宮雨莉に尋ねる。
しかし、その直後、一宮雨莉は美咲さんを強く睨み付けた後、
「…………美咲なんて、もう知らない!」
という捨て台詞を残して走り去ってしまった。
ロビーに残された俺と美咲さんと霧華さんは、しばしその場に立ち尽くした。
我に帰った俺は、慌てて美咲さんに雨莉を追うように言った。
しかし、その美咲さんも、雨莉のあんな態度は初めて見たようで、随分と動揺しているようだった。
霧華さんもなぜ一宮雨莉が急に怒り出したのかわからないようで、首を捻っていた。
二人共、本当にわかっていないのだ。
そう確信した瞬間、俺は一宮雨莉が不憫に思えてならなかった。
「雨莉は、美咲さんの中に自分への執着が全く見られなかったのが、悲しかったんだと思います。美咲さんは知らないかもしれないですけど、雨莉って結構嫉妬深いんですよ?」
それだけ言い残し、俺はホテルのロビーを後にした。
すぐに一宮雨莉に電話をかけたが、電源を切っているらしく、繋がらなかった。
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