第4話 全く笑えない

 とある分譲マンション、角部屋の1010号室。

 俺と一宮雨莉は、千秋さんが趣味のために借りているという一室の前に立っていた。


 エレベーターに乗っている頃からかなり俺は緊張していたのだが、一宮雨莉はそんな俺の気など知らず、部屋の前に来るなり友人の家でも訪ねるようにあっさりと呼び鈴を鳴らした。


 心の準備が全くできていなくて、思わず抗議したくなるのを何とか抑える。

 しばらくして、扉の奥から物音がして、玄関に人がやってきた気配がした。


「こんにちわ~、咲りんと霧華さんの浮気の事で来ました~」

 ニコニコと笑顔を作りながら、随分と間の抜けた声で一宮雨莉が言えば、ドアが開いて、中から一見優しそうな雰囲気の若い男の人が出て来た。


「やあ、雨莉ちゃんだね。そろそろ来る頃かと思ってたよ」

 百舌谷千秋さんと思われる男の人は、にこやかに一宮雨莉を歓迎した。

「ひっ!」


 ドアから姿を現した千秋さんに、思わず俺は悲鳴をあげてしまった。

 彼が肩に俺の手首くらいの太さはあろうかというヘビを乗せていたからだ。


「ああ、ごめん。ちょうど肩に乗ってきたものだから。このヘビは大人しい種類だから大丈夫だよ」

 申し訳なさそうに千秋さんが肩の上のヘビの頭を捕まえながら言う。


「は、はい……あっ、初めまして、朝倉すばるといいます」

「彼女はうちの事務所に所属しているタレントで、稲葉の恋人です」


 ヘビのインパクトで一瞬呆けてしまったが、慌てて俺が自己紹介して頭を下げれば、一宮雨莉が補足するように俺を千秋さんに紹介する。


「初めまして。僕は百舌谷千秋。そうか、稲葉君にも恋人ができたのか。良いことだ。とりあえず、お茶でも入れるから二人共中へどうぞ」


 千秋さんは俺を見るなり、嬉しそうに頷いて俺達を部屋に招き入れた。

 口ぶりからして、一宮雨莉が訪ねてくる事は想定済みだったらしい。


「ええ、おじゃまします」

「お、おじゃまします……」

 室内に入れば、蒸し蒸しとした空気がひんやりと冷たいものになる。


 リビングに通されてすぐ目に入ったのは、ヘビやトカゲらしき生き物が入ったケージだった。

 開かれた襖から見えるすぐ隣の部屋に大量に並べられている。

 爬虫類は別段苦手という訳でもないが、どれも結構大きくて数も多いので思わず怯んでしまう。


「何か飲み物を用意するから待っていてくれるかな」

 隣の部屋に続く襖を閉めながら千秋さんが言う。


「お構いなく。それにしても、本当に沢山飼っているんですね。世話は大変じゃないんですか?」

「そうでもないよ。鳴き声も臭いもないし、餌も週に一回あげれば良いだけだし、犬や猫よりも手がかからない」

 一宮雨莉の質問に、冷蔵庫を漁りながら千秋さんが答える。


「とりあえずお茶で良いかな?」

 千秋さんは言いながら冷蔵庫から2リットルボトルの緑茶を取り出してグラスに氷を入れて注ぐ。


「ありがとうございます。それで、咲りん達の事なのですが」

 グラスを千秋さんから受け取りながら一宮雨莉が尋ねれば、千秋さんは心得ているとばかりに頷いた。


「最近は週2、3回ペースで僕のいない時間帯に家に来たり、二人で出かけたりしてるね。今の所は本当にただ話したり遊んだりしかしていないみたいだけど、それがもう一ヶ月以上続いている」


 肩に乗ったヘビの腹を撫でながら千秋さんが言う。

 随分と詳細な報告に、一宮雨莉の読み通り、千秋さんは霧華さんの行動を逐一監視しているらしい事を確信する。


「……本当に何も無いのですか? 一ヶ月以上も頻繁に二人きりで会ってて、全く?」

 納得いかないという様子で雨莉が尋ねた。


「ああ、間違いないよ。二人の会話も完全にただの世間話でしかない。密着して話す事も多々あるけど、様子を見る限り、本当にそれ以上の事は何も無い」


 案外、ただ話し相手が欲しいだけなのかもしれない。と、千秋さんは笑うが、当たり前のように盗撮や盗聴を自白している辺り、俺としては全く笑えない。

 最近、この手の人間が周りに多すぎて、感覚が麻痺しそうだ。


「仮に今はそうだとして、これから二人が発展していくかもしれません」

 理解できないと言うように一宮雨莉が食い下がる。


「そうだね。まあ僕は別にそれでも構わないけど」

 しかし、千秋さんは穏やかな笑みを浮かべて頷いて、一宮雨莉の言葉を肯定した。


「…………は?」

 思わず俺は声を漏らしてしまった。

 一宮雨莉を見れば、声は上げなかったものの、こいつもまるで宇宙人でも見るような顔で呆然としていた。


「ああ、別に二人の関係が発展したからって、美咲さんに対して僕から慰謝料を請求したりとか、この事を公にしたりとかはしないから、その辺は心配しなくて大丈夫だよ」

 呆気にとられる俺と一宮雨莉を他所に、なおも千秋さんはにこやかに話を続ける。


「たとえ霧華に別に好きな人間ができても、有責側からは離婚できないし、どうしてもというのなら家庭裁判所で争う事になるけれど、その時はまあ、がんばって彼女を説得しようと思うよ」


 俺達に説明するように千秋さんは話すが、口を開けば開くほど、俺の中での彼に対する違和感が増大していった。

 言っている言葉は理解できるのに、その考えが全く理解できない。


 それにしても、一宮雨莉といい、どうしてこの人達の説得という言葉は、こんなにも恐ろしい響きがするのだろう。

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