第3話 譲れないらしい
「ところで、雨莉は今回どうしたいにゃん?」
そういえば、というように中島かすみが尋ねる。
「そんなの決まってるわ。二人の関係をぶち壊したいの」
「姉ちゃんには何かしなくていいのかよ?」
当然とでもいうように一宮雨莉は言い放つ。
しかし、今度は稲葉が不満そうに口を開いた。
確かに、今の話だと、浮気した張本人には大したお咎めが無いように思える。
「私は咲りんと別れるつもりはないし、何かするとすればせいぜい霧華さんに嫌がらせをして、他の人間と関係を持とうとしたら、その都度、私がその浮気相手に何をするかを知らしめるくらいよ……何度でもね」
低い声で静かに一宮雨莉が話す。
何がそこまでこいつを駆り立てるのかはわからないが、それは普通に本人を責めるよりもねちっこくてたちの悪い事のように思える。
「お前はほんと美咲さん至上主義だな……」
一宮雨莉の偏執ぶりに、何か言ってやりたい気もしたが、上手い言葉も見つからず、結局出てきたのはそんな言葉だった。
「当たり前じゃない。だって、私には咲りんしかいないもの……」
恨めしそうに一宮雨莉が言う。
机の上で握り締められた拳が震えている。
こいつは、そこまで思うのなら、なぜその拳を美咲さん本人ではなく、他へと向けるのだろう。
「じゃあ、皆でタイミングを計って美咲さんと霧華さんが二人でいる所に押しかけるかにゃん?」
「……それよりも、まず千秋さんと話を付けたい所ね。千秋さんが二人の動向に気付いているとして、これから何をする気なのかもわからないし」
空気を全く読まないような明るく弾んだ声で中島かすみが尋ねれば、一宮雨莉は静かに首を横に振った。
「あ、千秋さんなら、俺が姉ちゃんに見つかって霧華さんも一緒に食事する事になった時、一緒の店にいて様子伺ってたぞ。姉ちゃんに俺が話しかけられた時はもういなかったけど」
稲葉が言いづらそうに小さく手を上げて報告する。
「まずいわね。もし千秋さんが二人の決定的な浮気の証拠を押さて出版社に持ち込んだりしたら、週刊誌に面白おかしくかかれて結構なスキャンダルになるわよ」
眉間に皺を寄せて、唸るように一宮雨莉が言うと、稲葉は不思議そうに首を傾げた。
「と言っても、姉ちゃんはもうほとんどタレントとしては露出してないし、世間もそんなに食いつくか?」
「稲葉は一時期の咲りんの人気を知らないからそんな事が言えるのよ。しかも咲りんの性癖についてはずっと公表していないし、今話題の+プレアデス+の所属事務所社長でもあるのよ?」
そこまで聞いて、今度は俺が顔をしかめた。
「それは……あまりよろしくないな」
こうなってくると他人事では済まされない。
「ならここは千秋さんの所に行って話をつけてくる組と、美咲さん達の所に行って二人の仲を引っ掻き回してくる組の二手に分かれるにゃん」
ニコニコと楽しそうに中島かすみが提案する。
「稲葉がいれば美咲さんの態度はかなり甘くなるから、美咲さんの所には稲葉が行くにゃん。でも稲葉だけだとそのまま流されて話を有耶無耶にされそうだから鰍がついて行くにゃん。千秋さんの方には事務所関係者の雨莉と将晴が行った方が良いにゃん」
コレで良いかにゃん? と、まるでゲームの作戦を考えるかのようなテンションで中島かすみは言う。
一宮雨莉を見ると、小さくため息をついた後、それで良いわと首を縦に振った。
「そうと決まったら時間もないし、すぐにマンションに向かうわよ」
一宮雨莉は俺達に今すぐ出る準備をしろと言い出した。
一体どういうことかと尋ねてみると、その方が都合が良いからだと言う。
どう都合が良いのか更に尋ねると、行ってみればわかると言われ、出かける準備を促された。
結局、俺達はその後すぐに最寄り駅まで歩いて移動し、駅前から出ているバスに乗って、百舌谷夫妻の住むマンションまで行く事になった。
ちなみに、そのまま出てくることになったので、俺は女装したままである。
万が一にでも美咲さんと顔を合わせるかもしれないことを考えると、すばるの格好をして行った方がいいのだろうが。
バス停に着くと、ちょうど帰宅ラッシュの時間にかち合ってしまったらしく、既にバス停の前に多くの人が並んでいた。
悪い時間に来てしまったと俺が呟くと、コレで良いのだと一宮雨莉は言った。
直後、中島かすみと稲葉のスマホのバイブが鳴り、二人が画面を見る。
「ああ、わかった」
稲葉がそう返事をする。
恐らくラインでメッセージを送ったのだろうが、何を送ったのだろうと思っていたら、一宮雨莉は無言で俺に自分のスマホの画面を見せてきた。
画面には百舌谷夫妻の住んでいる部屋番号と、鰍の口調は目立つので他人がいる時はにゃん語尾をやめるか黙ってろというメッセージが映されていた。
中島かすみを見ると、不満そうな顔で口をつぐんでいる。
その後、バスに乗ってマンションのすぐ近くのバス停で降りた俺達は、仕事帰りのマンション住人の後に付いて歩き、あっさりとエントランスのオートロックを通り抜けた。
エントランスを抜けてエレベーターを待っている時、
「ね?」
と、得意げに笑ってきた一宮雨莉に俺は薄ら寒いものを感じた。
すばるの家から百舌谷夫妻の住むマンションに来るまで、一度として一宮雨莉は道順を調べている様子は無かった。
一度、GPSで美咲さんが今マンションにいるのかは確認したが、それ以外はバス停でのラインくらいしか操作はしていない。
すばるの家の最寄り駅から百舌谷夫妻宅までのバス路線を熟知していたり、慣れた様子でオートロックのマンションに侵入したりと、明らかについさっき乗り込もうと思いついて行動する人間の動きではない。
「じゃあ私達は10階だから」
エレベーターの前で、一宮雨莉が中島かすみと稲葉に言った。
周りのエレベーターを待つ何人かのマンション住人をちらりと見回した後、中島かすみを見ると、相変わらず不満そうな顔をして口をつぐんでいる。
こいつはバス停から一言もしゃべっていない。
意見を求められた時は、スマホのメモ帳にコメントを書いて俺達に見せてくるという徹底ぶりだ。
どうやら、にゃん語尾は譲れなかったらしい。
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