第23話(スイス脱出)

<1SFR=84円>


           








昨夜メシ(?)を喰いすぎたので、少し胃がもたれて寝苦しかった。昨夜の日本人メンバ-で朝食を 取ったあと、私は急いで出発した。小雨の降る中を駅へと向かった。教会のそばの橋を渡った時、 川のほとりに花がたくさん植えてある公園のような場所を見つけたが、よく見るとそこは「墓地」だっ た。たくさん並んだ白い石に故人の名が刻んである。そこからは、はるか彼方にマッタ-ホルンを 望むことができる。少々不謹慎と思いつつ、私はその公園墓地をカメラにおさめていた。もしかした ら、このアルプスで命を落とした人々の墓碑銘なのだろうか。私は、かつて自分が顧問をしていた 公立高校の山岳部OBの一人を思い出した。




彼は卒業後、バイトで金を貯めて夢であったキリマンジャロに登ったのだが、、帰国後3週間でマラ リアで死んだ。まだ20歳の若さだった。夜遅くに私の部屋に遊びに来ていろんな話をしたことを覚 えている。自分の初体験の話も、嬉しそうに私に語ったのだった。その初体験から2ヶ月も経たない うちに彼は帰らぬ人となった。私は彼と交わした数々の会話を思い出しながら、田村隆一の「帰途」 という詩の中のフレーズを思い浮かべた。





言葉なんかおぼえるんじゃなかった

言葉のない世界

意味が意味にならない世界に生きてたら

どんなによかったか


あなたが美しい言葉に復讐されても

そいつは ぼくとは無関係だ

きみが静かな意味に血を流したところで

そいつも無関係だ


あなたのやさしい眼のなかにある涙

きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦

ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら

ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう


あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか

きみの一滴の血に この世界の夕暮れの

ふるえるような夕焼けのひびきがあるか


言葉なんかおぼえるんじゃなかった

日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで

ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる

ぼくはきみの血のなかにたったひとりで掃ってくる


                ( 田村隆一 「帰途」 )





私の旅はもう残り時間がない。しかも今日は小雨だ。マッタ-ホルンなんか雲の中で全然見えない ぞ。私は山を下りることにした。Brigまで登山電車で降り、乗り換えて、Spiezまで出て、ユ-レイル パスで乗れる湖の遊覧船に乗った。1時間湖上を進み、インタ-ラ-ケンに出る。さすがに船には パックツア-の日本人がたくさん乗っていた。



そして、このスイス山中にある水の冷たそうな湖で、泳いでいる人がいっぱいいたのには驚いた。 船からは岸辺のビキニ姿の美女の集団が見えた。ラッキーなことにトップレスの女性も居た。山の 景色よりもそっちの方が私にはずっと嬉しかった(笑)。スイスに来て山や湖を見ないで美女を見て いる自分はなんてバチあたりなんだろうか。





インタ-ラ-ケン西駅で、日本で見慣れたスタイルの、サイドバッグ4個付の自転車が立てかけて あった。大学時代にサイクリング部だった自分にはなんだかなつかしく思えて、その自転車のフロン トバッグのところに、メモ帳をちぎって小さなメッセ-ジの紙切れと板チョコ一枚をはさんだ。





私は、西日本大学サイクリング部連盟のラリ-に卒業後もずっと参加していた。高校の夏休みを利 用してである。そして、参加をやめたのが、この海外放浪の夏であった。もう学生に混じって走るだ けの体力はない。いつかは外国を走りたい……と思いながら、気が付いたら体力は落ちてしまい、 とうとう自転車で海外遠征するのは果たせなかった。






今となれば、ちょっとした峠でも息切れしてしまう、ロ-ドレ-サ-は部屋で埃を被っている状態だ。 海外ツアーという自分の果たせない夢を果たした見知らぬ人に対して、応援してあげたい気分だっ た。西駅から東駅の乗り継ぎの時間を利用して、駅のベンチで昼食にした。朝にYHでパンを奪取 できなかったので、この日はちゃんと買ったのを食べた(笑)。






インタ-ラ-ケン東駅から、ルツェルンまでは、山間部を走るロ-カル線の列車に乗った。湖が美 しく、緑のなだらかなカ-ブを描く風景はあの「アルプスの少女ハイジ」そのままである。残ったフィ ルムに景色を何枚もおさめた。メイリンゲンからは、急坂をあの「アプト式」というヤツで、ガリガリと 歯車の音をたてて列車が登っていく。当然のことながら、「死ぬほど遅い!」おかげでルツェルンに 着いたのはもう夕刻だった。






インフォメ-ションでホテルを問い合わせた。希望は「バス付シングルル-ム」



しかし、「そんな部屋はない!」とのことである。そんなバカな! ここルツェルンは観光客も多い都 市である。「本当に存在しないのか?」と何度も尋ねたが、答えは同じ。「Every single room just shower.」とのことであった。それがなんと70SFRである。シャワ-のみでそれなら高すぎ る。(実はあとから考えたら高くはなかったのだが……)私は「どうしてこの町のホテルはそんなに貧 弱なんだ!」「日本ならもっとましなホテルばかりだぜ!」と悪態をついて出た。






私は、ルツェルンでホテルを捜すのを断念し、IC(インタ-シティ)に乗り一気にドイツに移動するこ とにした。目指したのは学園都市フライブルクである。ルツェルンからわずか1時間半で移動でき る。駅の近くの銀行で、手持ちのスイスフランを全部ドイツマルクに両替した。133.85SFR→15 7.15DMになった。






何カ国かの列車に乗ったが、スイスの列車が最も美しく、また清潔だった。国中が観光地のような この国は、いたるところに美しい自然を抱えている。一方、日本では「リゾ-ト開発」の名のもとに、 その自然をぶちこわしながら観光客を誘致しようと矛盾したことをしている。(→長野五輪)






しかし、スイスのやり方は徹底している。たとえば、Zermatでは自動車はすべて



電気自動車である。こういう精神はぜひとも見習うべきだ。街には日本車があふれ、人々は豊かさ を享受している。(私もその豊かさを享受して、2~0.5SFRのアイスクリ-ムを何本も食べた。)  しかし、貧乏旅行者の私は、せっかくスイスに来たのにチ-ズフォンデュも食べず、なんと昨夜のよ うに米の「メシ」が喰えたことを喜んでいたのである。まったく何のためにスイスに来ているのかわか らない。






ICに乗り込むとすぐにレストランCARに移動して、チキンステ-キを食べた。ビ-ルを飲み、ふと感 じた。最初からケチらずにこんな使い方でじゃんじゃんリッチな旅をすればよかったのじゃないか。 朝食の時に余分にパンを奪取して……という姑息なパタ-ンではなくて、せっかく遠い異国に来て いるのに、ケチケチすることなかったじゃないか、と改めてこの時思った。旅はもう終わりなのに… …である。






荷物を置いたコンパ-トメントに戻ると、初老の紳士が乗っていた。ドイツ語で話しかけたが、なん と彼はフライブルク音楽大学の教授だった。彼は私が話しやすいように、そこからは「英語」で話し てくれた。ついさっき、考え方を180度変えた私は、フライブルクでは思いっきりリッチな宿に泊まろ うと思っていたので、大口を叩いた。



「一泊100マルクくらいでもかまいませんよ。ナイスホテルであれば!」



「100マルク!」彼は少し驚いたようだった。



ドイツには30マルクくらいの安宿がいくらでもあるからだ。彼は、100マルクで泊まれるホテルを、 私の出したメモ用紙に書いてくれた。フライブルクで降りた私は、駅から少し歩いて、すぐにそのホ テルを発見した。白い内装の清潔そうな雰囲気だった。確かに1泊朝食付100DMだった。 しかもちゃ-んとその部屋は「バス付」であった。私はたっぷりのお湯に身体を沈め



今日までの長旅の疲れを癒していた。もう洗濯の必要はなかった。

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