第22話(スイスロ-ル)

<1SFR=84円>



                            





Schnitzelを喰いながら、ミネラルウォ-タ-より安い赤ワインを飲み、私は残り少ない旅程を考え た。食事を共にした商社マンの彼とは泊まっているホテルの方向が別なので店を出ると別れ、私は 広場の一角にある店でウィ-ン最後の1本になるだろうEIS(アイス)を買った。それを食べながら人 通りの多い道を歩いた。通りのあちこちで演奏している人がいる。その回りに人だかりができてい る。上手な人のまわりにはやはり観客も多い。






ギタ-とバイオリンという組み合わせの謎の東洋人二人組が次々とクラシックの名曲を奏でてい て、私は思わず立ち止まった。30分近く、側に座って私は聴いていた。そして彼らの前に置かれた ギタ-ケ-スに、観客がコインを入れるのに倣って、私も1$紙幣を入れた。彼らは私の顔を見て 一瞬「同胞」と思ったようで、韓国語で話しかけてきた。やはり、私のジンクスはまだここウィ-ンで も生きていたようだ(笑)。






ホテルマリアヒルフで預けていた荷物を受け取り、駅で夜行列車の座席をリザ-ブしてチュ-リヒ行 きに乗った。今朝ホテルで奪取したパンがあるので空腹への備えは万全だ。寝台車ではないので 熟睡できずにウトウトしていると、通路を歩いている東洋人の家族連れがいた。小さい子供を連れ ている。どうやら空席を見つけられないようだ。私は気になって「May I help you?」と声を掛けた。



(日本人じゃないかも知れなかったからである。)すると「謝謝」という答えが返ってきた(笑)。残念 ながら中国語は苦手だ。彼らは2等のチケットしか持っていなかったので、2等車のところまで行っ て、コンパ-トメントのドアをいちいち開けて、空席を捜すのを手伝った。乗客が眠ってるかも知れ ない部屋の扉をあけるだけの勇気が彼らにはなかったので、通路をウロウロしていたのであった。






そしてやっと彼らの家族4人分のスペ-スを発見し、そこに案内した。抱っこされている小さな子供 と、幼稚園くらいに見える女の子を連れ彼らは「旅行中」とのことだった。(香港から来たとのこと) 私は自分がどこかで食べようと思ってウィ-ンで買っていたとっておきのMozartク-ゲルン(モ-ツ ァルトの顔が包み紙に書いてあるチョコ菓子)をその女の子にあげた。またしても「謝謝」という答え が返ってきたよ。






チュ-リヒに到着して、さっそく手持ちのCHECKをスイスフランに両替した。50$のCHECKが78. 5SFRになった。直接円を売った方がよかったかも知れない。ヨ-ロッパのたいていの銀行では円 を扱っていた。






さて、もっともスイスらしいところとはどこか?私はマッタ-ホルンのふもと、Zermatに行くことに決 めた。自分の幸運を信じた私は、天気のいい今日行けば、必ず霧や雲にさえぎられないマッタ-ホ ルンを見ることができると信じたのである。これまでの旅の中で私は、トラブルさえもすべてよい方 向に転化してきた。ザルツブルグで列車を間違えたおかげで、美女と出会い、ウィ-ンでは絶好の ホテルに値切って泊まれたのである。今度も大丈夫だろう(笑)。






チュ-リヒからベルンへ、そして乗り換えてBrigへと向かった。スイスの列車は、コンパ-トメントで はなくて開放型の車両だった。東芝のラップトップパソコンを車内で使っている青年がいた。思わず 覗き込んでしまった。彼も私が日本人と気付いたのか、マシンを指さし「Your country.」と答えた。 隣の席に座って、いろいろ話し込む。私はスイスのことを知ろうと思って、あれこれ質問した。



日本で語られる偏見をいろいろぶつけて見た。






「本当にスイスには犯罪がないのか?」



「みんな高収入なのか?」






彼は犯罪を「No」ではなくて「Few」だと答えた。そして、国土が狭いのであまり逃げる場所がないと も語った。「High income」というのは否定しなかった。そして、自分が英語を話せるのは、アメリカ 留学したからだとも答えた。そういえば受験の地理で、スイスの公用語は、独語、イタリア語。フラン ス語とロマンシュ語の4つだと覚えたっけ。英語を話せるのは例外だったのだ。






Brigで登山電車に乗り換えた。距離は短いのにやたら高かった。往復で44SFRだった。この路線 はあの有名な氷河特急の走る線でもある。Zermatに向かって列車は急坂をゆっくりと登っていっ た。私は車窓に広がる景色を眺め、時折窓辺に見えるアルプスの山々を見上げ、その一方で夜行 列車の疲れでうつらうつらしていた。






ほどなくZermatに到着し、スイスのホテルは高いと聞いていたのとZermatのYHは窓からマッタ- ホルンが見えるという話だったので迷わずYHに向かった。駅からゆるい坂を上り、教会のところを 左に折れ橋の上から絵はがきの風景のようなマッタ-ホルンを眺めて思わず立ち止まりそのまま 400mほど坂を上っていくと、三角屋根のYHがあった。






YHには電話で予約していなかったので不安だったが、受け付けのところに紙が置いてあった。宿 泊希望者は名前を書き記すようになっていて、そこに用意された人数分、先着順で泊まれるとのこ とだった。他の名前の下に私が名前を記すと、余白はあと2名分しかなかった。宿を確保できた私 は荷物を降ろし、身軽になってもう一度駅に戻った。






そして、さらに上に登っていく別の登山電車に乗ってできるだけ高いところに行ってみようと思った のである。ゴルナ-グラ-トまで登れば、標高も3000m近くて、もう氷河の山々は目と鼻の先であ る。(スイスらしく、さらにバカ高い料金だったが……)さすがにその登山電車は、歩いているような 鈍足だった。線路の真ん中にラックがあって、車両側の歯車をかみ合っているらしかった。アプト式 機関車というのは昔碓井峠で使われたのだったっけ。






半袖のポロシャツで登ったので、少しずつ寒くなってきた。でも、陽射しは強いのだ。強い陽射しの 中で、気温が低く、空気は冷たい。終点で降りて、展望台まで歩いた。周囲の山々は雪と氷で真っ 白である。2時間もいると、身体がブルブル震えてきた。やはり甘かった。トレ-ナ-を着込んで下 山することにした。下りも列車はノロノロ進む。一瞬、「飛び降りて自分で走った方が速いぞ!」と思 うほどだった。






YHに戻ると日本人が10名もいたので、夕食は同じテ-ブルにかたまって盛り上がった。メニュ- は、フル-ツカレ-、バタ-ライス、サラダ、ス-プだった。みんな甘いカレ-を敬遠してライスばか りおかわりして喰ったので、「ライスばかり食べるな!」と注意された。それを日本人に言うのは酷で ある。こうなったのはメニュ-のせいである。久々のメシにみんなが喜ぶのは当然。そして、デザ- トはなんと、スイスロ-ルだった(笑)。本当にスイスのお菓子だったんだ。




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