第20話(ホテル・マリアヒルフ)
<1AS=10円> (AS=オーストリアシリング)
インスブルックに向かう列車の中で私は溜息をついていた。さて、元鉄道マニアらしくない失態を演 じ、逆方向の列車に乗ってしまった私は、どうすればいいのか悩んだ。その間違えた方向に旅を強 引に変更するというのもひとつの案である。しかし、「ウィ-ンに行けない」というのは悲しかった。こ こは引き返すしかない。私はト-マスクックの時刻表を確かめ最初に停まる駅「コリン」で逆方向の 列車が捕まえられるかどうか確認してみた。すると、30分足らずのうちに乗れることがわかった。 時間は少し無駄になったけど、まだ傷は浅い。
私はそのつもりでコリンで降りた。山の中の小さな街だった。
中途半端な時間だったので、駅前の郵便局から日本にコレクトコ-ルすることにした。そういえば両 親にロクに連絡をしていない。勤務先の学校にももちろん連絡していない。旅に出る前に、校長に 「旅行届」を出したのだが、「行き先」のところにただ「ポ-ランドなど数国」といい加減に書き、「連 絡方法」を「不可能」と書いて出してきたのである(笑)。もちろん、家には学校からの問い合わせが あるだろう。しかし、その家にすら連絡をしていないのである。
絵はがきはいちおう出した。ポズナニからとノ-ルカップからである。しかし、そんなものがいつ日 本に届くかわからない。
「郵便局ではコレクトコ-ルできる」
どのガイドブックかでこのように書いてあったので、試してみることにした。私は日本へのコレクトコ -ルを頼んだ。しばらく待った。つながらない。さらに待った。それでもつながらない。あきれるほど 長い時間、待った。やはりつながらない。
「I can't wait any more!」
私は怒った顔で郵便局員にそう告げ、局員も納得した顔だった。私は列車の時間を気にしながら駅 に急いだ。しかしタッチの差で列車は出た!次の列車は2時間もあとである。私は暗澹とした気分 になった。目の前にバス乗り場があった。何気なしに見ると、行き先はザルツブルグだった。
「このバスで行ってみようか?」
オ-ストリアの田舎町で、ロ-カル線のバスに乗ってみることにしたのである。バスに乗ると機械か ら整理券のようなモノが出るようになっていた。番号が印字してある。なるほど、日本と同じ様なシス テムだ。これならわかる。私は窓の景色を見ながら空いている席に座った。前方の景色がよく見え るように運転台から3番目くらいのところに座った。
バスはよく停車する。そしていろんな人たちが乗り降りする。
乗客はみんな私をジロジロ見ている。大きなザックを持った謎の東洋人だ。頭に巻かれたピンクの バンダナも変だ。地元民しか利用しないバスに紛れ込んできた異邦人は、あきれるほど乗客の注 目を浴びることになった。
ある停留所で、一人のシスタ-姿の女性が乗り込んできた。私は映画「サウンド・オブ・ミュ-ジッ ク」の一場面を思い出していた。そういえば、あの映画の舞台はザルツブルグである。ジュリ-・ア ンドリュ-スに出会ったような気分で私は彼女をマジマジと見つめ、彼女も不思議そうにじっと私の 顔を見ていた。
そして、他にも座れる席があったのに、なぜか彼女は私の隣の空いたところに座った。(ラッキ -!)
しかし、彼女とコミュニケ-ションを行うには私の独語能力はあまりにも乏しかった。もっとも大切な あのフレ-ズ 「Ich liebe dich.」(I love you.)
をいきなり使うわけにもいかなかった(笑)。
せっかくの景色よりも彼女の横顔を見ながら、私はザルツブルグまでの1時間を過ごした。何かお 菓子をと思い、手元に奇跡的に残っていた不二家のミルキ-をあげた。その一粒を口に入れた時 の彼女の笑顔はいまでもはっきりと覚えている。
ザルツブルグでバスを降り、バスタ-ミナルから私は駅に向かった。別れ際に彼女に手を振って、 その後でふと「名前も訊かなかった……」と私はナンパ不発を悔やんだのであった。結局ザルツブ ルグから3時間遅れの列車でウィ-ンに向かうことになった。
ウィ-ン西駅についたのは夜の9時過ぎだった。駅のインフォメ-ションでホテルの予約状況を訊 いたが、けっこう高めでしかも駅から遠い。YHもずいぶん離れた所にあるようだった。バス付の部 屋をさがしていた私は、適当なのを見つけられず、あきらめて街へ出た。通りを渡った目の前に「ホ テルマリアヒルフ」があった。私は飛び込みで部屋があるかを訊いた。ちょうどバス付のシングルル -ムがあるとのことだった。値段は550ASだった。う-む。時間も遅いし、ここで決めてもよかった が、そこは関西人である。
とりあえず値切ってみた。
「ダメなら駅で寝るよ!」
すると50AS下がって500ASになった。朝食付5000円なら十分だ。私は「OK!」と答えてキ-を受 け取った。(もう1泊するなら正規料金550ASだと念を押されたよ。)
ホテルの建物は確かに古かったが、古都ウィ-ンではこの方がいい。バスタブもあの外国映画でみ るような巨大な白いヤツで、久しぶりに「湯」につかるというのが体験できて嬉しかった。旅ももう終 わりに近い。長期間シャワ-しか浴びることができなくてしっかりとたまった垢を落としながら、私は 至福の快感に酔っていた。
プリ-ンのYHで奪取したパンが今日の夜食になった。
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