第16話 (列車に犬)







「夜+激しい雨」のベルゲンで、インフォメ-ションで宿を捜した私はとんでもない高い部屋しか存在 しないことに愕然とした。その時ふと、「もう物価高の北欧は飽きたな……」という心境になった。す ぐにト-マスクックの時刻表でその日の夜行を確かめ、そのあとの接続を見た。






ベルゲン→オスロ(夜行)



オスロ →ハンブルグ(昼行)



ハンブルグ→ミュンヘン(夜行)






夜行列車2連発という豪快な移動で、一気に南ドイツまで行ける。そうすれば、もう物価高で悩むこ ともないだろう。それにいささか北欧で金と時間を浪費しすぎた。(ここでまたノ-ルカップに行った ことを悔やむ)私は、ベルゲンからオスロまでの夜行の座席をさっそくリザ-ブした。発車までの1 時間ほどの間、待合い室でぼんやり過ごした。朝にホテルで奪取したゆで玉子に、持っていた味噌 をつけて食べながら目の前で陽気なイタリア人たちがやっている、カ-ドゲ-ムが何なのか(もしも ル-ルがわかれば自分も参加したかった)ずっと観戦していたが、やっぱりわからなかった。






イタリア人は私に向かって話しかけてきた。日本人だと答えると日本のどこかと訊くので、OSAKA と答えた。彼らはどっと笑った。なんでも「Woman from OSAKA」という歌がイタリアに存在するらし い。まあ、日本の歌謡曲だって、無責任に海外の地名や人名を歌詞に入れている。そういうことが 外国にあっても不思議じゃないだろう。しかし、それがどんな歌でどんな歌詞なのか、知りたいと思 った。






座席指定券を持って、列車に乗り込むと、自分の席に座っている少年が居た。それで私は別の席 に座っていたが、その別の席の切符を持つ人が来てその少年には悪かったが席を立ってもらい、 自分は指定券どおりの席についた。(その少年はフランスから来たとのことだった。)さて、二人掛 けの座席の窓側の席が空いている。(私は通路側)ヨ-ロッパの鉄道は、コンパ-トメントで仕切ら れた座席が普通だがノルウェ-で乗った列車は、日本の鉄道と同じく開放型の車両ばかりだった。 その夜行も、日本の通常の特急列車のような座席を想像すればいいだろう。






しばらく眠っていて、真夜中を過ぎたくらいに私は強烈な臭気で目をさました。目の前に、熊のよう な大男が立っている。ケビンコスナ-扮するロビンフッドの映画を思い出すような顔立ちだった。し かも、彼は巨大な犬を連れていた。全身からは、あのホ-ムレスが発する饐(す)えたような臭気が 立ちのぼっていた。うわああああ-っ!昔、自分が公立高校で山岳部の顧問教師だった頃、山か ら下りてきた連中は、道ですれ違った時に、全身からその臭気を発散させていたことを思い出し た。






しかも、獰猛そうな犬がいる。噛まないだろうか?彼は、私の隣の窓側の席の切符を持っていた。 網棚に巨大な荷物を押し込み座席からはみ出しながら座った。足元には犬がうずくまった。しかし、 犬の身体の半分は私の足元にあった。私は眠るどころじゃなかった。もしも私が眠っていて、思わ ずその犬を蹴ってしまったら犬は噛みついて逆襲するのではないだろうか。そう思うと気が気じゃな かった。彼に「どれだけ山にいたのか?」と訊ねたら、「One week.」と答えた。私には3カ月くらいに 思えた。






あまり眠れない夜を過ごした翌朝、(男はいびきをかいて爆睡していた。)私は、接触していた自分 の衣服にも彼の異臭がすっかり移っていて悲しかった。おまけに犬に接触していた私のジ-パンか らは犬の匂いがしていた。彼が「僕の犬はどうだい?」と自慢するような口調だったので私もとりあ えず社交辞令を返した。犬を指さして言った。






「He is very polite.」(その犬はとってもお行儀がいいね)






しかし、言葉と裏腹な私のこわばった表情を見て、彼は思っただろう。「日本人は実際の言葉と本 当の気持ちが食い違う民族に違いない。」日本では、混雑した列車にそんな巨大な犬を連れて乗り 込む客は居ない。そんな客は改札を通過できない。しかし、どちらの価値観が正しいのだろうか。そ うしてペットを乗り込ませられる北欧が、進んでいるのか。日本人の常識が正しいのか? 私には 答えが出せない。






手持ちのノルウェ-通貨を全部使ってパンとジュ-スを買い、ついでにハンブルグ行き・スカンジア エキスプレスの座席指定券を手に入れる。この列車は途中2回フェリ-を経由して、ドイツまで行っ てしまうのだ。指定券を持っていない若者が大勢乗り込んでいて、どちらかというと私も美人の後を 追っかけて適当に座りたかったが、システムがよくわからずあきらめて正直に自分の切符に示され た席に座った。同じコンパ-トメントには、ノルウェ-に出稼ぎに来ていたというイギリス人の若い女 性と、無口な青年が座っていた。その美しいイギリス女性と話したかったのだが、彼女のスコットラ ンド英語は早口で訛っていて、私が知るラジオなんかで勉強した発音とは全然違いまるで理解不能 だったし、彼女も私の英語がよくわからないようだった。せっかくの美女との遭遇なのに、とても悲し かった。






しばらく乗っていると、途中からミヒャエル・エンデの本を手にしたおばさんがそのコンパ-トメントに 乗り込んできた。私もミヒャエル・エンデは読んでいたのでいろいろ英語で話をした。日本でエンデ が著名だとは彼女も知らなかったらしく、とても驚いていた。コペンハ-ゲンで乗客はほとんど降り た。私はそのまま乗り続け、デンマ-クの地を踏むことなくこの国を通過することになる。大勢のバ ックパッカ-たちが乗ってきたので、彼らから情報を得るため彼らの乗り込むだろう2等車に移動し て座っていた。そうすると、検札に回ってきた車掌に「1st/classに行け!」と注意されやむなく1等 に移った。






1等車に戻ると、フランス人の好青年が座っていた。彼としばらく話をした。ニ-スから来たそうだ。 彼の話では、フランス人はたいてい英語がわかるから、別に英語で話しかけても失礼じゃないよと のことだった。彼の職業は私と同じ「教師」だった。デンマークから今度はドイツに渡るための2度目 のフェリ-のカフェは混雑して行列が出来ていた。並ぶのをあきらめた私は、オスロでステ-キを 喰っていてよかったと思った。






深夜にハンブルグに着いた私は、「どこへ行こうか?」と思案していた。聞いた話では、この街には エロスセンターという甘美なモノが存在するということだったからである。独身の私にはそれは必ず 訪れないといけないような場所に思えた。




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