森に囲まれた町

 アーロさんが眠ってしまってからはずっと外を眺めていた。葉の深い緑色と、陰鬱な薄暗さを腹に抱え込む森が長いこと続いていた。しかし時間が経つにつれて、陽の傾きが変わったからであろう、その暗がりの中に光がさすようになった。幹や地面を這う苔に明かりがあたり、失われていた色の鮮やかさを取り戻してゆく。

 次第に陽の光の性質が変わった。純粋な明るさのみを持っていた光は次第に成熟し、赤みを帯びた色合いになった。光を浴びるものは全て赤い色をその身に混ざり合ってしまい、木の葉は気味の悪い紫色にも似た色合いを呈するようになった。そして窓から見える森が、まるで馬車から逃げるかのように、どんどん離れて行って、しまいには親指ほどの大きさに見えるほどまでになった。

 馬車が止まった。

 御者台のあるあたりから壁を叩くような音が二回あり、ややあってから扉が開いた。ケイサが開けてくれたのだが、その顔には疲れが見えた。

「いったん休憩、と、ありゃ、アーロは寝ちゃっているか」

「まだ今日の目的地にはつかないってことですか」

「馬鹿言っちゃいかんよフルタニ君。目的地に着くのは明日の太陽がてっぺんに来るぐらいさ」

「それなら、朝早く出ていれば今頃ついているのではないですか」

「細かいことはいいから、ちょっと付き合ってよ。あ、でも、誰もいないとアーロが起きた時に不安がるかも」

 ケイサが人差し指を顎に添えて少しばかり。フェルトペンが走るような音がして正面を向けば、白い丸文字が記されようとしているところだった。御者の仕業であることは疑うこともない。『ちょっとフルタニ君とデートしてくるので待っていてね。アデル』調子のよいことを書いている。

 外に出ると、馬車の止まっている場所が大通りの入り口だった。なにせ道の左右に建物が並んでいる。平屋建てが多いが、所々に二階建ての建物の姿が見えた。壊れている建物もあった。

 しかしおかしいのは、生活感がすっぽり失われている点だった。建物はある。店舗らしき建物、出入り口の上や横に看板を掲げている建物はあるのに、そのを行き交う人がいないのである。通りもそうだ。十人ぐらいが手を横にして歩いても余裕がありそうな幅の道を歩くのは俺とケイサしかいないのである。

 しゃべり声があってもよい。料理を出す店なら、肉や野菜の焼ける音があってもよい。ごみから出る不快なにおいがあってもよい。人が発する体臭や香水の甘ったるい匂いがあってもよい。

 だが、それらはない。集落のガワだけを作って、実際に人を住まわせていないかのような。強い違和感だった。

「おかしいでしょ? ここ、ひと月前までは人が住んでいたんだよ」

「人が生活していた形跡らしい形跡がないですね。ごみの類さえもない」

「溶けたんだよ。全部」

「溶けた、と。どういうことですか」

「言葉通りだよ。ここに住んでいた人や物は溶けて消えてしまったのだよ」

 どういうわけか、ケイサは俺の手を握りしめている。こともあろうか恋人握りだった。

「アルデュイノースの御子」

「何と言いましたか」

「アルデュイノースの御子。偉大なる大精霊アルデュイノースの寵愛を受ける御子の庇護がこの国の平穏を守ってきたんだ。でも、それが失われた。四十年前のこと」

「何の話をしているのかさっぱり分からないのですが」

「この国の昔話であり事実であり、と言ったところかな。御子が失われた四十年前、あたしはアルから、ええ、大精霊のこと、彼女から一つの使命を託された。新しい御子を連れてくること。アルの寵愛を受けるに足る素質を持つ人間を連れてくるように」

「つまりそれは、四十年以上前に使命を受けたということですか」

「人間の尺度で考えないことね。あたしは精霊、人じゃない。で、なんでこんな話をしたかというと、目の前の状況を作り出した原因こそが御子の不在によるものだから」

「そのアルデュイノースの御子がいないために村が滅ぼされたと」

 この精霊、さらっとすごいことを言ってのけた。

 細かいところはよく分からないものの、この地の伝承か何かで語られている大精霊が実際にいて、そいつから使命を受けて四十年間も御子候補を探し続けてきたと。

 ケイサは御子となる人物を探してきて、俺やアーロさんと絡んでいる。アーロさんに対しては守護者と自称していた。俺に対しては、電話をかけてきて、それから、こうして正体を明かしている。

 つまりは、そういうことなのだろうか。アーロさんも俺も、『御子』の候補なのだろうか。

「んなわけないでしょ」

 無下に一蹴された。

「アーロは御子の候補。あたしが見出したのだ。フルタニ君は、そうだな、見届け役と言ったところかな」

「そんなことのために俺を連れてきたのですか」

「そんなことじゃないよ。あたしはこの使命を絶対に成し遂げないといけない。四十年がけの悲願だよ、意地でもやり遂げたいのだ。だから、心が折れそうになった時に助けてくれる存在がいないと困っちゃうじゃないか」

「そんなに強く決めているならお助けがなくても大丈夫でしょう」

「助けてくれると思っているのはなにも心が折れた時だけじゃないさ、フルタニ君、才能あるみたいだから、襲われたり危ない目にあいそうになっても魔法とか何かで助けてくれるかなって」

「魔法って、そう言われても使ったこともないですし、何かって何ですか。そんな戦乱の世の中を過ごしてきたわけじゃないですし」

「でも、会社と戦って、こうやって生きていられるのだよね。ああ、この手の話は禁忌だったっけ」

 ケイサの言葉に体が強張った。しかし戦ったという言葉はすっと心に沁み込んでゆく。あのふざけた会社と戦った。考えたことない発想だった。とにかく『逃げる』とばかり考えていた。『逃げる』ではなく『戦う』。悪くない。

「あまり触れないでもらえるとありがたいです」

「まあ、あのパニックは相当危なく見えたからね、好き好んでパニックさせるつもりはないさ。でも、フルタニ君は立派に戦った。耐え忍んだ。だからあたしの旅を、アーロの旅を見守ってほしいと思ったのは確かだよ。何があっても大丈夫だと思ったから。なんか愛の告白しているみたいで恥ずかしいな」

 ケイサはにかっと笑って見せたが、その顔は真っ赤になっていた。茹でタコの顔は見ているだけで面白かった。男としては女性に頼られるというのはなかなかに気持ちがよいが、しかし手をつないでいる相手は人間じゃない。人間じゃないのに人間臭いしぐさが面白いのである。

 今度はどんな表情をするのだろうと少しワクワクしてきた。しかし、何を期待されているのか分かってしまったからか、からかうのはやめてくれと言わんばかりににらみつけてきて、

「もう戻る」

と恋人握りを引っ張るのだった。

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