第4話 紀子の味方だからね
バスの中、どんなタイミングで聞こうかと、私はずっと考えていた。できれば自然な話の流れで聞けたほうがいい。二年も経っているとはいえ、たぶん紀子にとっては楽しい話題ではないだろう。
「ところで、紀子は今、何をしているの?」
バスの窓から外の真っ暗な景色を眺め、ああ、そう言えば、というふうに聞いた。打ちつけてくる強い雨が気になってしょうがないけれども、そう言えば最近の紀子のこと、まだ聞いてなかったわね、と。上手く出来たかどうかわからないが、そういうのを装ってみた。
「えっ、何って?」
キョトンとした顔で紀子が聞いてくる。
「仕事とかよ。どこかで働いてはいるんでしょう?」
「ああ、まあね。整体院で事務のようなものをしているの」
「せいたい? 体を整えるってやつ?」
「そう。小さいとこよ、おじいちゃん先生と私の二人だけ。たまたま口をきいてくれる人がいて、働くことになってね。だから事務っていうより雑用係ってかんじかな」
「へえ、なんだか意外」
本当に意外だ。
「でしょう。でも、優しい先生だから気楽よ。大きな会社勤めよりも私には合っているかも」
「そうかぁ。でも、同じ年頃の人とおしゃべりする機会はずっと少ないんじゃない?」
「まったく無いかも。だから私、今はぜんぜん友達いないの。うん、一人もいないなぁ」
ちょっと驚く。けれど、私の驚きとはうらはらに紀子の口調はサバサバしている。
「それはかなりさびしいね」
「でも、もう慣れちゃった。別にいいのよ、友達なんて。絶対いなければならないってわけじゃないし、いたらいたで悩みの種になる場合もあるしね」
「まあ、そういうこともあるけど」
とりあえず合わせておく。
「うん、もう友達はいらない。後々、悲しくなるようなことが起こるのは嫌だから、このままでいいの。新しく作る気はまったくないわ」
そんなふうに言う。
かなり複雑な気持ちになってきた。友達ってそういうものだろうか? だいいち私だって紀子の友達の一人ではないのか。
「紀子、あのう……」
声をかけると紀子は「はっ」とした顔になり、私のほうを向いた。
「あ、別に、香織のことを悪く言っているわけではないのよ。違うの、違うの、ごめんなさい、誤解しないでね。香織とは楽しかったのよ、それは本当。仲良くしてもらって嬉しかったわ」
あせりながら訂正してくるが、さっきの言葉は気になる。
「どうかしたの? 友達との間に何か嫌な思い出があるの?」
「あぁ、まあ、ちょっと」
一瞬、引きつったような顔を見せた。何だろう。そう言えば、さっき、私に友達がたくさんいるのか聞いてきたけれど、何か関係しているのだろうか。
「ねえ、何よ? どんなこと?」
そう言うと、紀子は硬い表情のまま私をチラッと見て、その後、黙ってしまった。私も紀子を見ながら黙った。
何か言い始めるのではないかと思い、しばらく待った。けれど、紀子は何も話そうとしない。
そうか、ダメか。そう思い、思わず小さなため息をついたときだった。
「続かないのよ」
消え入るような声だった。確かにそう聞こえた。
「え、続かない? 続かないって、何が?」
「友達との関係よ。ずっと続かないの。長く付き合っていけないのよ」
少し、苦しそうな声だった。
「どうして?」
「仲良くしているのが嫌なわけではないの。理由があって、どうしてもそうなるの。特に……とても仲が良くて、親友みたいな関係になると」
「どういうこと? ケンカとかしちゃうの? それとも深い付き合いになると相手の嫌なところが見えてきちゃうからとか?」
「そういうのじゃないの、ぜんぜん違うの。たぶん言っても信じてもらえないと思う」
そう言って紀子は悲しそうに微笑んだ。
「何よ、何なのよ? 言ってみないとわからないわよ」
「本当にいいの、私が悪いの。私、友達なんて持つべきじゃないの」
「………」
意味がわからず、逆に笑いそうになった。紀子ったら、なに悲劇のヒロインぶっているんだろう。もしや自己陶酔しているだけなんじゃない? そう思い、紀子の肩をポンポンと軽くたたいた。
「ねえ紀子、紀子お嬢さんよぉ、聞いておくれよ」
テレビに出ていたタレントを真似して、おどけながら話し始めてみた。途中で怒りださないか気にはなったけれど、そのまま続けた。
「何があったのか知らないけど、私は紀子の友達。紀子さえ嫌じゃなければ、親友だと思ってくれてもいいのよ。友達はいらない、なんて言わないで、私たち、また仲良くしていきましょうよ、ねぇ、いいでしょう? 紀子が入社してくる前は特に親しい人もいなくて、私自身ちょっと寂しい思いしていたのよ。だから紀子と会えて、とっても嬉しかったの、本当よ。言いたくないことは言わなくてもいいから、もう昔のことは忘れなさいよ。ね、それでいいじゃない。私は紀子の味方だからね」
そんなことを言ってみた。
紀子は少しうつむき、黙ったまま聞いている。どう思っただろう。何を感じただろう。嫌な気分にさせなかっただろうか。気になってしまう。
バスの中の灯りはすでに就寝用に薄暗くなっていて、雨の音に混じり、後ろの席のほうからは寝息も聞こえてくる。気がつくと真夜中の時間帯になっていた。
すると、隣の席で黙っていた紀子が上半身をゆっくりひねり、私のほうに体を向けてきた。紀子の瞳が私を捕える。
薄暗い中で見る紀子の大きな瞳になぜだかドギマギした。
「考え過ぎってあるわよね? 思い込みが強すぎるっていうか、悪いほうへ、悪いほうへ考えがいってしまうってこと、あるわよね?」
まただ、何が言いたいのだろう、と思ったが、同意を求めるかのように聞いてくるので、とりあえず逆らわないでおいた。
「そうね、そういうことはあるわね」
紀子は続ける。
「嫌なことが重なると、何もかも悪くしか考えられなくなるのよね」
「うん、確かにそうかもね」
「だから、ずっと誤解したままって言うか……間違いに気がつかないってこともありえるし」
「ねえ、何のこと?」
眠っている人を気にして抑え気味な声で聞いた。
「ごめんなさい、何でもないの、ちょっと考えちゃって……私、いろいろあったから」
「もお、だから、忘れなさいよ」
「うん、そうだよね。今日から、そうしよう」
「そうそう、それでいいのよ」
「ふふっ、元気にならないとね。ありがとう、香織」
「いやね、私は何もしてないわよ」
「そんなことないわ、さっきの香織の言葉がとっても嬉しかったの。親友だとか、味方とか……私、本当に友達がいなかったから、涙が出そうなくらい嬉しくて」
何だか大げさだなぁと思った。詳しいことはわからないが、私に言えない悩み事があるのは確かだ。
その悩み事をここでしつこく聞くこともできないではないが、今はやめておこう。紀子の気持ちの整理がつくのを待ったほうがいいのかもしれない。
そうは言っても、やはりあの突然の退職理由くらいは知りたいし……どうしよう。今日を逃したらまた聞くことができなくなりそうだ。
私は紀子の横顔を見つめ、恐る恐る声をかけてみた。
「ところで、紀子、あのう……二年前に会社を辞めたのって……」
「あー、何だかほっとしたら眠くなってきた。ねえ、香織、そろそろ寝ない?」
「えっ?」
「まさかずっと起きてはいないでしょう? とりあえず少し寝ておきましょうよ」
「あぁ、そうか、そうよね」
ちょっと驚く。このタイミングは偶然だろうか。いや、違うだろう。わざと話を中断させたように感じる。紀子はシートを倒し、膝かけを肩まで引き上げ、さっさと目をつぶってしまった。
「私はもう寝るので話しかけないでちょうだい」
そう言わんばかりの態度だ。
本当に眠たいのだろうか? かなりあやしいな。ついさっき「私は紀子の親友」、「紀子の味方」などと、その場の勢いで言ってしまったけれど、紀子の本物の親友になるということは、かなりの覚悟が必要なのではないか、と急に不安になってくる。
窓に打ちつけてくる雨音はいっこうに弱くなろうとしない。誰かの咳や寝息に混じるように、すぐ横から紀子の大きなあくびが聞こえてきた。よし、遠慮はほどほどにしておくか。こうなったら東京到着前に紀子から退職理由を絶対に聞こう。そう心に決め、寝付けないのを覚悟し、ゆっくり目を閉じてみた。
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