五時。
ふと口の中に異物感が生じた。
目はぼんやりとテレビの明かりに向けたまま、ころりとした異物を口の中で転がす。
味のない飴玉のような食感だ。ころころ、ころり。舌を通って右へ、左へ。
テレビの左上、白く光る数字は朝方五時を示している。
画面の中の日本列島には各地の地名と共に今日の天気を表す小さなイラストが浮かぶ。白くてまろい、つるりとしたイラスト。
これは何の天気を表しているのだろう。
解説の声は聞こえない。いつもの女性はどこにいってしまったのか。
そういえば先程から画面の中にはひとりの人間の姿もない。
何の音も聞こえない、この状況を何故自分は疑問に思わなかったのか。
ごろり、と異物が動いた。
不意に背筋が痛いほど強張った。
口の中の異物が存在感をいや増す。
慌てて立ち上がり洗面室へと向かう。体が重くて重くてなかなか進まない。水中でもがくかのように、絡み付いた衣服が歩みを阻害する。
異物がころんと喉の奥を目指して転がる。嫌な圧迫感にますます焦る頭と空回る足。
壁を手掛かりに進めばじりじりとリビングの出口が近づいてくる。
洗面室はリビングを出てすぐ左手。朝方の薄暗さが蟠る廊下の中で、そこだけぱかりと蛍光灯の明かりに区切られた長方形がある。
焦燥のまま洗面台に取りすがる。
今もころころと好きに遊ぶ異物の正体を確かめんとぽかりと口を開いた。
ころころ、ころり。ころん。
ちょうど舌の真ん中。異物はぴたりとそこで動きを止める。
蛍光灯の白色にも負けぬ雪白のころりとしたもの。
これは。
吐き出してみれば洗面ボウルの中でかつんかつんと跳ねる。
歯だ。
二股の根も白く、まるで陶器のような大臼歯。
ぽかりと開けた口の中、右下の真ん中あたりにぽかりと開いた穴がある。
そこだけ闇に沈んだ穴を呆然と見つめていると、前触れもなくその後ろの歯がぎゅうと痛み出した。
まるで下からぎゅうぎゅう押し出されているような痛み。
歯が外れてしまうという恐れに突き動かされ、咄嗟に指先で上から歯を押した。
ぎゅうぎゅう、ぎゅうぎゅう。上と下から力がかかり顎がずきずきと熱をもつ。
どれぐらい経ったのだろう。突然、押し出す力がなくなった。まるで根負けした誰かが諦めて力を抜いたかのように。
阿呆のように口を開けたまま鏡の中を見つめていれば、ぽかりと闇に沈んだ穴から白いものがぬっと生えてきた。
新しい歯とも見紛う白いそれはにゅうと伸びてその卵型の美しい爪をちかりと光らせた。
つるんと美しい歯のような指は、未だ歯を抑えたままの自分の指をそっと撫で、次の瞬間にはするりと穴に消えていた。
まるきり人を寄せ付けぬ生き物と同じ動きだった。
ひんやりとしたものが口の端につたうのを感じる、飲み込めぬまま溜まった唾液だろうか。
そこで、目が覚めた。
ぱかりと目を開けば、そこは馴染みの寝具の上。
薄いカーテンを透過して冷たく差し込む陽光の色は朝の始まりを告げている。
目覚まし時計を確認すれば朝方五時。
どうやら夢を見ていたようだ。
だが夢の形ははっきりと輪郭をもって記憶として焼き付いている。
口端がひんやりと冷たい、手の甲でぐっと拭えば薄明るいなかでてらりと光る。
透明な唾液の中、鮮やかな朱が一筋流れて溶けた。
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