シノロク 中編
神に匹敵する力を手に入れるには、契約が必要。
しかしそれは、魔女である彼女との契約では無く、悪魔との契約だった。
悪魔と人間とが契約する際、必要となるもの。
それは純潔か、血か、寿命、つまり魂らしい。
純潔や血では効力が弱く、せいぜい少し幸せになる程度のもの。
しかし寿命となれば、話は別。
魔女にも、悪魔にも出来ない事が出来るようになるらしい。
「契約は、完了だ」
悪魔が、言った。
そして瞬間的に、その姿を消す。
まるで、風景の一部となってしまったかのよう。
「危なかったですね、なつめちゃん。私が居なかったら、寿命ばかりか処女も奪われてましたよ。それも無意味に」
悪魔が呼び出された瞬間、私は声すら出せなかった。
目の前の光景から目を放す事が出来ず、身動きもとれず、ただ小刻みに震え、小便とよだれを垂れ流して、立ち尽くしているだけ。
体が言う事をきいてくれず、指の一本だって、今は私の意志の外にあるかのよう。
「着替えは……ある訳無いですよね。どうします? 私とってきましょうか?」
彼女の明るく少し高い声が、まるで無機質なもののように私の耳に届く。
登校中に聞こえてくる車の音や、何の気なしにつけていたテレビから流れてくる音。それらとまるで同じように感じる。
「あっれ? なつめちゃーん」
私はおそらく、名前を呼ばれている。
そればかりか視界には、不思議なものを見るかのような表情をした彼女の顔が映っていた。
当然、この場には私以外の人間は存在しない。
つまり彼女は独り言を喋っているのでは無く、私に話しかけている。
その事に気付けるまで、しばらくかかった。
「あ……貴方……何者……」
震える唇がようやく発した言葉は、特に意味を成さない質問だった。
「なっつめちゃんっ。正気、取り戻しました?」
私の制服は、ビリビリに裂かれていた事に、今さら気づく。
正常な思考を取り戻すまでに、私は三十分近くかかっていたようだ。
その間に彼女は、気を利かせて自分の私服を持ってきてくれていた。
「なつめちゃん、叫び声も上げないんだもん。なぁんか人間らしくありませんね」
「言葉なんか、出る訳無い……」
私は民家の中で、引き裂かれた制服を抱きしめながら、寒くも無いのに震えていた。
震えているというのに、ジトッとした汗が、まるで全身を包み込んでいるように感じ、汗に体の自由を奪われてしまったかのように感じる。
これがどうやら、本物の恐怖らしい。
今まで彼女に見せられた自殺も。殺人も。事故死も。私に本物の恐怖を与える所までは、届かなかったという事だろうか。
やはりどこか、他人事だったのだろう。
いや、そればかりか、自分以外の死に対して、なんとも思わなくなって行ったように感じる。
「んー、そういうもんかな。どうでもいいけど」
「どうでもいいって……良くないよ」
「まぁまぁなつめちゃん。これで契約完了ですよ。早く着替えてください」
彼女は私に向かって二カッと笑ってみせた。
その表情は、幼い子供が欲しかった玩具を手に入れた時のような、満面の笑み。
「さぁて。何しましょうか?」
特にこれと言って、自身が変わったような気はしない。
体の内側からあふれる、未知のチカラのような感覚を想像していたからだろうか、少しガッカリしている自分が居る。
「本当に、今の私は何でも出来るの?」
「ん~と、そうですね。自分の視界に入るものは、何でも出来ます」
私と彼女は山を降りて、この町に唯一ある繁華街へと脚を運んだ。
何をするにも、あの山の中では不便である。
「例えばこのコンクリートの壁。これに穴を開けるなんて事も……」
「あははっ」
笑われた。
しかし笑いたくなる気持ちは、解らなくも無い。
だって、そんな事に、意味は無いから。
「そんな事がしたくて寿命を」
「例えばって言ったでしょ」
それでも、何かで証明してみたい。
そういった好奇心が、私を突き動かす。
私はそっと、壁へと手を添えた。
「穴、あける」
「ちょっとちょっと、なつめちゃん」
「あけるよ」
「待って」
彼女は少しだけあわてた様子で、私の右腕をつかんだ。
それと同時に、私達が立っている場所から少し離れた所にある自動販売機が、ゴシャという音を立てて、折れ曲がった。
自動販売機が折れ曲がるというのは、なんとも不思議な表現かも知れない。
だけど実際、折れ曲がった。
「わっ!」
彼女は大声を上げて、驚いていた。
恐らくは住民達も、道行く数少ない人達も、皆驚いているのだろう。
だけど一番驚いたのは、私自身。
「なっ……んもぉなつめちゃん! 何してんの?」
私はこの瞬間だけで、一日分の汗を全て放出してしまったかのような。
サウナから出てすぐの状態のような。
自慰行為を数時間続けた後のような。
そんな感覚に、襲われた。
いや、それだけじゃない。
それらの感覚に、何かがプラスされているような……。
脱力している体とは裏腹に、胸の辺りが熱くなってくる、この感じ。
これはもしかして、優越感だろうか。
「ホント、なんだ……」
「え? 何?」
「ホントなんだね」
「何? チカラの話?」
「うん、チカラの話」
彼女は掴んでいた私の腕を、ようやく離した。
そして少し呆れたような表情を作り「そーですよ」と、答える。
「私、まだ疑ってた」
試すなら、何か大きな事で試す。と、誓っていた。
車をひっくり返したり。
飛行機を落としたり。
電車を脱輪させたり。
人力では無理な事をしたいと、思っていた。
出来ないなら出来ないで、彼女の話を全て嘘で片付けられる。
出来るなら出来るで、実感が持てる。
そう思っていた。
「自販機なんか壊して、なんの得があるんですか? こんな事してたら身動き取りにくくなりますよ」
「ホント、そうだよね。そうだけど、ね、聞いて、聞いて」
「とりあえず離れましょうか。一週間しか無いのに、警察関係に時間とられるなんて勿体無いです」
「聞いてよ。私ね、今までずっとずっと空想してたんだ。神様になったら、この腐った世の中を作った人間を、許さないって」
「いいから。私の家行きましょう」
「優等生ぶっててさ、明るくてさ、頑張ってた私はさ、実はこんな事を考えてたんだよ」
だけど実際、私に出来るのだろうか。
何故だろう。
何故なんだろう。
瞳の奥が、熱い。
じわぁっと何かが溢れてくる。
瞬きすると、こぼれてしまいそう。
下を向くと、たれてしまいそう。
だから私は、彼女に腕を引っ張られながらも、瞳を開いたまま空を見つめ続けた。
彼女の家……というよりアパートは、とてもじゃないが人が住めるような環境では無い。
木の板が丸出しの建物なんて、私は始めて見た。
どうやら彼女以外の住人は居ないようで、彼女の部屋のみが少し綺麗にされているようだ。
「何、この部屋」
「汚いけど、静かでいい所ですよ。取り壊しを決まらせないために居住権を主張して居座ってるんです。住んでいれば逆にお金が貰えるんですよ」
なにやら訳有りらしい事を、平然と口走っている。
「一人暮らし、なの?」
「ですよ~。私親居ないし。生きるためにはどーにかしてお金稼がないと」
にかぁっと笑顔を作って、彼女は笑ってみせた。
そして少しだけ床を掃除して座布団を敷き「ん」という声を出しながらそこに指を刺す。
私は少し躊躇しながらも彼女の指示通りに座布団へと腰を下ろした。
しかし、それからはずっと無言。
彼女は万年床であろう布団の上であぐらをかきながら、携帯電話をいじっている。
私は彼女の、その姿を眺めながら、ただただ正座の姿勢で座り続けていた。
彼女の名前は、ローラ。
私と同じ高校に通う、同級生。
明るい性格にこの美貌。授業は休みがちだが成績も優秀。特に外国語に関しては英語だけに留まらず、フランス語やドイツ語なんかも話せるらしい。
ローラの趣味は男向けのものが多く、クラスの男子達と音楽の話や漫画の話。果ては釣りの話なんかをしているのを、良く見かけていた。
だからと言って、女子から嫌われている訳でもない。ローラの周りには、いつだって人が集まっていた。
つまり誰とでも仲良くできる、本物の人気者。
正直、嫌でも目に付いていた。
私も成績は優秀で、周りの友達からは「ライバル」なんて呼ばれていた時期もある。
出席日数分、成績においては私のほうがリードしているが、いくら明るく振舞っても、私は男子にモテた事が無い。
容姿の差が、如実に表れてしまっている。
目の上のタンコブのように感じて……いた? それとも、感じて、いる……?
仲良くなってからと言うもの、そういった感情でローラを見つめた事が無かったので、解らなくなっていた。
「ん? やぁだ、なつめちゃん。そんなに熱い視線を送られても」
「え?」
「私はノーマルですよ」
ローラはニコッと笑って見せた。
その笑顔には、何の邪気もまぎれていない。
本当に本当に、心からの笑顔を送られたような気になってしまう。
しかし、ローラに限ってそれは無い。
彼女は魔女であり、人の死に対しても笑顔で接せられるような女。
私に対して抱いている感情も、心配では無く。ましてや気遣いでも無く。
根源にあるのは「楽しいから」というものだろう。
「別に、そんなつもりで見てたんじゃない」
「そうですか」
ローラは再び、携帯電話へと視線を移す。
それっきり、会話は無くなってしまった。
私は仕方なく、部屋に積み重ねられている雑誌を手に取り、何の気無しに読み始めた。
午後三時を過ぎたあたり、ようやくローラは重い腰をあげる。
どうやら携帯電話の充電が切れてしまったようだ。腰を上げる寸前にローラの「あ」という声と、ピーッという機械音が聞こえてきていた。
ローラはそそくさと携帯電話を充電器にセットし、おばさん臭く「ん~」という声を上げ、腰をトントンと叩き、窓を開ける。
「まったくもって、なつめちゃんは詰まらない人ですね」
「え?」
ローラが発した言葉に、私はすっとんきょうな声を上げていた。
「なけなしの寿命を使って、チカラを手に入れたんだから。何か凄い事をやりに行くのが、普通だと思いますけど」
「だって……貴方何も言って来なかったじゃない」
私がそう言うと、ローラはこちらを向き、まるで興味の無いテレビ番組でも見ているかのような表情で、私を見た。
無感情。
冷たい目。
即座に、そう感じ取った。
「私が何か言わないと、何もしないんですか? 何かしたい事があったから、チカラを手に入れたんじゃないんですか?」
ローラの言っている事がもっとも過ぎて、自分が恥ずかしくなった。
確かに、その通りだろう。
私は、何かがしたくて、チカラを手に入れた。
「チ……チカラは、ローラが勧めたんじゃない」
それでも私は、言い訳を続ける。
自分が間違っていると、認めたくないようだ。
「そんな理由で二年三ヶ月の余生を手放したんですか? 私があと一週間で死ねって、なつめちゃんに言いましたっけ?」
その、通り。
ローラは、私に選択肢を与えただけ。
ローラは、間違っていない。
つまり、ローラの言う事が、全てにおいて正しい。
やりたい事を、やらなくては。
しかし「やりたい事」の件は、ローラが言い出した事。
つまりは、もう既に、ローラの手駒。
畜生。畜生。
ローラが正しいから、ローラに対して、腹が立つ。
私以上に優秀な、ローラが気に食わない。
「やりたい事があるんなら、今す……ぐ……」
今まで必死に押さえ込んでいた黒いモヤモヤが、ついに私の外へと飛び出した。
つまり私は、キレた。
「うるさいな。解ってるわよ」
私はローラの喉をつぶした。というより、首の骨を折った。
その際にゴキャという音が聞こえてきたが、その音が乾いて私の耳に届く。
「ゲフッ……ゴボッ」
綺麗だったローラの顔が、一瞬のうちに苦痛の表情に豹変する様を見るのは、快感にも似た感覚だった。
口から泡になった血が、ブクブクとあふれ出ている。大きな目玉をギョロギョロさせて、私の姿を探しているように見えた。
どうやら息が出来なくて苦しいらしい。金魚のように口をパクパクとさせてる。
その姿が、なんだか笑いを誘う。
「ローラ。今は私のほうが強い」
優越感を、そのままクチに出した。
なんて快感なのだろう。
全身を、歓喜が駆け巡る。
何度も何度も、絶頂に達してるかのよう。
「が……ぅ……なつ……」
ローラの声帯は、既に修復してきているらしい。声が出せる状態にまで回復しているようだ。
私はその場に立ち上がり、今度はローラの目を見る。
それと同時に、ローラの目はブジュという音を立てて、破裂した。
「あっ……! あぁ!」
「ねぇ、知ってた?」
私はローラの耳元へと、クチを近づけて、小声で話した。
「私、貴方の事嫌いだったの」
やりたい事のひとつめを終えて、私は小汚い部屋をゆっくりと出て行った。
後ろからは、ローラの声にならない叫び声が聞こえている。
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