シノヨン

 エイコちゃんは、少し変わっていた。

 女の子だと言うのに、お人形よりも昆虫を集めるのが好きで、オママゴトよりもサッカーを好む、活発な子。

 性格は男勝りという訳では無いが、勝気が強く、勉強でもスポーツでも一番でなければ気がすまない、完ぺき主義者。

 友達は多く、男女問わずに皆から好かれており、クラスの中心人物といった印象を、私は持っていた。

 友達が多い訳でも少ない訳でも無く、勉強もスポーツも常に真ん中の成績を取っている私にとって、彼女は憧れのような存在。

 彼女が、輝いて見えていた。


 ある日、私が一人で学校から帰宅していると、後ろから声をかけられた。

 元気で明るく、力強い声が、私の名を呼ぶ。

「おーい、サエちゃーん」

 後ろを振り返ると、そこには大きく手を振る、エイコちゃんの姿が見えた。

 エイコちゃんの家が私の家の近所にある事は知っていたのだが、エイコちゃんと私は特別仲が良い訳では無かったので、今まで一度も一緒に帰った事は無い。

 そもそも、エイコちゃんが帰宅する際、周りには常に数人、仲の良い友達が居たので、人付き合いが上手では無い私は、その輪に入る事が出来ず、常に後ろから眺めているだけであった。

 そんな人気者のエイコちゃんが、私の名を呼び、駆け足で近づいてくる。

 嬉しくない訳が無かった。

「あ、エイコちゃん。今日は、一人なんだね」

「あはー。サエちゃんの後姿見えたから、一人で走って来ちゃった」

 彼女はそう言い、私へと笑いかけた。

 その瞬間、私はドキッとする。

「え? どうして?」

「ん? だぁって、なんか寂しそうだったんだもん」

 彼女はおもむろに私の右手を握り、引っ張る。

「サエちゃんのおうち、僕んちの近所なんだよね? ちょーどいいじゃん。これからは一緒に帰ろうよ」

 掴んでいる私の腕をぶんぶんと前後に揺らしながら、エイコちゃんは弾んだ声でそう言う。

 彼女の屈託無い表情と有難い言葉は、私の心を奪うのに、十分すぎた。

「う……うん」

「ん? なんか元気ないね?」

「ううん……嬉しいな」

 私はエイコちゃんに向かって、笑いかける。

 そうするとエイコちゃんは満足したようで、より笑顔を深めた。


 楽しい時間は早く過ぎてしまうようで、片道三十分はかかる道のりが、あっと言う間の出来事のように感じてしまっていた。あと数十歩先に、私の家がある。

 出来る事なら、もっとエイコちゃんと一緒に過ごしていたい。放課後、一緒に遊んでみたい。

 そう思い、遊びに誘うために口を開こうとしたその時、エイコちゃんは「あ!」という、大きな声を出した。

「そーだサエちゃん。今日は天気も良いし、一緒に遊ばない? 裏山に秘密基地があるんだー。ご招待するよ」

 彼女はニコニコと笑いながら、私を誘ってくれた。

 私がやろうとしていた事を、エイコちゃんに先にやられてしまい、驚く。

 それと同時に、心がとても温かくなった。

 エイコちゃんも遊びたがってくれている事に、凄く嬉しい気持ちになる。

「ねぇ行こうよぉ。そんなに遠くないからさ」

 彼女は握っている私の腕を、先ほどよりも激しく前後に揺らした。

「うん、行きたい」

「ホント? じゃあランドセル家に置いたら、すぐサエちゃんの家に行くから、待っててね」

 彼女は満面の笑みを浮かべそう言うと、私の腕を放し、駆け足で自分の家へと向かっていった。

 その後姿を見て、私はとても幸せを感じている。


 基本的にインドア派の私は、近所に山があると言うのに、行った事が無かった。

 理由としては、虫が苦手だと言うのが大部分を占めている。

 こうしてエイコちゃんと共に足を運んでみても、やはり山は好きになれそうも無い。耳元に虫の羽音がするだけで、声を出すほど驚き、鳥肌を立たせていた。

 その度にエイコちゃんから「あはー」と笑われているが、その笑顔は嫌いじゃない。

 私の事で笑ってくれる事は、なんだか嬉しく感じていた。

「ほら、あそこ」

 エイコちゃんは、ブルーシートで作ったテントのようなものを指差した。

 その大きさは、子供が三人中に入るとギュウギュウになってしまうほど、小さなもの。

 しかしエイコちゃんは、誇らしげに「ようこそ、別荘へ」と言いながら、笑顔を深める。

 その表情がとても、可愛らしく私の目に映った。

「ささ、どうぞー。一応ダンボール敷いてあるから、靴は脱いでね」

 私はエイコちゃんに勧められるまま、ブルーシートのテントの入り口を開いた。

 しかしその瞬間、私はあまりの異臭に「うっ」という、声を漏らす。

 何の臭いなのかが解らず、私は思わずエイコちゃんを見た。

「ん? どうしたの?」

 エイコちゃんはどうやら、気にしていないようだった。

 この臭いに慣れてしまったのか、それとも気付いていないのか。

 いや、気付かない訳は無い。この世のものとは思えないほどの、臭いなのだから。

「う……ううん。なんでもない」

 私は無理やり笑顔を作り、本当になんでも無い風を装い、我慢しながらテントの中へと足を踏み入れる。

 そして私は、見てしまった。

「え……」

 テントの中には、沢山の虫の死骸があり、その上には、腐りかけの猫の死体が転がっており、その隣には、人間の赤ん坊が、居た。

 人形などでは無い。汚い毛布に包まれた、本物の、人間の赤ちゃんだった。

「あ……赤ちゃん……?」

 私はかろうじて、それだけを言った。

「そうだよー。名前はチャキマルって言うの」

 エイコちゃんは私の後ろから大きな声で、嬉しそうに赤ちゃんの名前を紹介する。

 本当に、嬉しそうだ。声が弾んでいるのが、解る。

「チャキ……」

「うん。ちなみにそっちの猫ちゃんもチャキマルって言うんだけど、先週死んじゃったんだよね。だから新しいチャキマルを、昨日拾ってきたの。公園に居たんだー」

 彼女の声から感じられるものは、純粋な「嬉しさ」だった。

 それだけしか、感じられない。

「……もしかして、この虫の名前も、チャキマル?」

「うん。ぜぇんぶ、チャキマルだよ」

 彼女は靴を脱いで、テントの入り口部分で固まっている私を押しのけ、中へと入る。

 そして赤ん坊を拾い上げ、ダンボールの上へと腰を下ろした。

 彼女の顔は、この上ないほどの、笑顔に見える。

「チャキマルー、お客さんだよ。サエお姉ちゃんって言うんだよ」

 赤ん坊は、口を開き、手を伸ばした。

 その姿に力は無く、生気すらも、ほとんど感じられない。

「チャキマル、今日は静かだよ。昨日はずっと泣いちゃってて、寝かしつけるのに苦労したんだぁ」

 彼女の仕草や言動は、本当に無垢なものに見えた。

 そして不思議な事に、まるで本物の姉弟のようにも、見えてしまう。

 つまり彼女に、悪意は無いという事。

「はっ」

「ん? どうしたのサエちゃん。なんか顔色悪いよ?」

 彼女は、私の顔を見た。

 睨んだ訳では無い。ただ、見た。

 純粋で綺麗な瞳に射抜かれ、私は動けない。

「犯罪だよ」と言おうとした口も、どうやら固まってしまった。

「ねぇねぇサエちゃん、これから一緒にチャキマルを育てていこうよ」

 彼女は元気良く、そう言った。

「なかなかカッコイイ子に育つと思うんだよねー。そうしたらサエちゃん、旦那さんにしちゃいなよ」

 彼女の言葉は、本気だった。

「……うん、そうだね」

「良かったねぇチャキマル。サエお姉ちゃんが旦那さんにしてくれるってー」

 明日には消えるであろう命を抱いて、彼女はいつまでも笑顔のままだった。

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