十四花
手をほどき、するりと男の腕のなかから離れる。
女は白玉の涙を流し続けていた。その顔は、ひとりの想い人を待ち続けていた頃の乙女の顔だった。
「もう、いいよ。最期に逢えたんだから。もういいよ」
「いいわけあるか!」
弥三郎は椿の大木に走りよると、炎でくすぶる枝をつかんだ。肌の焼ける嫌な臭いが立ち込めた。力任せに折り取ると、まだ無事に残っている花の蕾を女に差し出す。
「貴女は椿なのだろう? なら、この椿に宿れ。 意地でも連れていくよ! 私が殺せないなら、死ぬまで傍で待っていておくれ!」
着物の端が焼けて灰なり、剥落するように崩れていく。
その弱々しい姿の女が弥三郎の言葉に俯けた顔を上げた。
「どうすれば此方に移れる? どうすれば私と一緒に来てくれるんだ?」
「名前を......私の名前を呼んでくれたなら」
十年前、愛しい人に呼ばれたきり、誰も呼ばなくなった彼女の本当の名前。もう、忘れ去られて久しい。
それを男が声高に呼ばわる。
「おいで!お艶!」
「......はい」
嬉しげに目を伏せ微笑む。
掛け軸が焼かれるように、脆く灰になって崩れようとしていた姿が、ふわりと淡く発光して霧のようにわだかまる。流れるように移動して弥三郎が手にした椿の花へ宿り、ふっくらと花びらが緩んで咲き開いた。
「待たせたね。今度こそ、ついておいで」
大切に懐へ抱き締めた、ひと枝の柔らかに光る花から。
夜露がひと粒こぼれ落ちた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます