十二花
弥三郎は、そっと椿女の肩へ触れた。
こんな姿になってまで、約束の場所で待っていてくれたのか。
こんな暗く寂しい山中で。
娘の想いがいじらしく、なぜあの時自分はこの場所を確かめなかったのか。只々後悔していた。後悔してもしきれないほど悔やんでいた。
「もし、貴女さえいいというなら、貴女が一緒にいてくれるっていうなら。私は今からだって」
椿女は悲鳴のような嘆きの声を上げた。
「遅い! もう遅いよ弥三郎。私は鬼になったんだ」
「そんなことはない。本当の貴方はやさしい女じゃないか。鬼でも幽霊でもいい。魂をすべて返して、あの時約束した通り、私と一緒に人目に付かない遠くへ行って暮らそう」
手を取って顔を覗き込む。
弥三郎とて未練がなかったわけではない。
ここを離れて以来、ほかの誰かと連れ添うこともなくずっと一人でいたのだ。仕事の為、やむなくこの峠を越えることになった時、あわよくば娘が幸せに暮らしている様子なり、話なり聞ければあきらめもつくと考えていたのだ。
それなのに。
「ここにいる魂を返しても。私が食らった魂は帰ってきやしない」
「それでも、こんなところへお前ひとりおいていけない」
鬼だった娘の顔はいつの間にか元へ戻っていた。
椿女と弥三郎の周りをうろついていた蜂が、戒めを解かれたように遠く飛び去ってゆく。それを合図に椿の木から無数の蛍が夜空へ舞い上がる。
渦を巻き揺らめきながら遠く、星の輝きに混じるように四方へ散っていく。
魂の抜けた花は枯れ、枝先から零れ落ちていった。
花散る音を聴きながら。
弥三郎は、愛しい娘をその手に取り戻すように抱きしめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます