十一花


恨み、悲しみ、愛おしさ。

様々な思いが椿女の胸に去来して一言も発することができない。

先に口を開いたのは弥三郎だった。


「貴女が何故こんなところに?」


とたん、空気が針のように険立った。

お前がそれを言うのか! 

誰のために待ち続け、誰のせいでこうなったと思っているのか。

美しい椿女の顔が見る間に般若の相へと変貌を遂げていく。


「なぜ。なぜとのたまいますか」


歯噛みの音さえガチガチと聞こえてきそうな憤怒を浮かべて、椿女が静かに弥三郎へ問いかけた。


「お前が、私を捨てていったからだ! この寂しい山の中十年も捨て置かれて私を鬼にしておきながら。お前がそれを問うのか!」


「待って、それはどういうことだ? 私を捨てたのは貴女じゃないか! この村で婿を迎えて幸せになるからと、貴女はそういったじゃないか! だから私は村を出て、約束通りこの十年、近寄りもしなかった」


はじめ恐ろしいほどの娘の変貌ぶりに、気を呑まれた弥三郎だが、娘の言葉に驚いて問い返した。


椿女の瞳が戸惑いに揺れる。

まさか弥三郎に言い返されるとは思わなかったのだ。

しかも、自分が弥三郎を捨てたとはどういう事だ?


弥三郎は懐から古ぼけた紙を取り出すと、恐れもせずに椿女に近づいてその手に広げて持たせた。


「貴女が幸せになるならと、そう思っていたのに。これはどういうことなんだ」


そう掠れた声で囁いて、悲しい苦しい顔で椿女を見つめた。


一方椿女は混乱していた。

苦し紛れの言い逃れかとも思ったが、これは確かに自分の筆による手紙。しかし、このような手紙書いた覚えはない。


「あぁ……まさか……」


文面をたどるうち、恐ろしいことを思いついて絞るような声を上げる。


娘は手紙を書いていた。

数人いた婿の候補の一人に宛てて、父に頼まれ断りの手紙を。

その手紙が、まさか弥三郎へ渡されるとは思いもせずに。


ならば、弥三郎は自分がここへ来ると思っていなかったのか。

十数年も待ち続けた結果がこれか。

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