七花

男泣きに涙を流し、『すまねぇ。すまねぇ』を繰り返している。とんでもない事になってしまったのは弥三郎でもわかる。

でも、太一が本当にそんな事をするとは未だ信じられない気持ちでいた。


「顔を上げてください太一さん。とりあえず何があったのか教えてくれませんか?」


頭を下げ続ける太一を何とかなだめ、事の次第を聞き出した。

悔しいという前に悲しかった。

しかし、気持はわからないわけではない。


濁流に呑まれそうな二人の者がいたとする。

ついこの間知り合ったばかりの他人と、兄弟同然に共に育ってきたものと、助けるとしてどちらか一人しか選べないのだとしたら当然の判断といえばそうなのだ。


たぶん太一は間違いではない。

それでも、弥三郎とて命は惜しい。

そばに座り、二人の話を聞いていた和尚が口を開いた。


「誰も悪くはございません。この和尚がその鬼女を調伏できぬか試してみると致しましょう。わし如きの老いぼれた僧の書く札がどれほどの力を発揮するかはやってみなければ分かりませぬ。されど、何もせぬよりはいいでしょう」


そう、胆に力のこもった声で言い切ると、小坊主に硯箱を持ってこさせて札を作り始めた。


その刹那、太一が急に苦しみだしてうずくまる。


なぜ? 魂を取られるのは弥三郎ではないのか?


血の気が引き、冷えてゆく手を摑まえて弥三郎がうろたえていると、太一は少し笑みを浮かべた。


「すまねぇ。弥三郎さん。俺ほんの一瞬、弥三郎さんの名前を書いちまおうと本気で思ったんだ。だから謝りたかったんだ。すまねぇな。与助が起きたらバカな兄貴が謝ってたって伝えてくれよ」


そう告げると、それきり動かなくなった。

口からさまよい出た大きな赤い蜂が、焼けたギヤマンのように輝きながら火の粉を散らして窓格子から外へ出ていった。

それを見るなり弥三郎は和尚がとめるのも聞かずに走り出す。


「そんなの駄目だよ! 太一さん!」


暗闇に浮かぶ赤い星のような光を追いかけ、弥三郎はひたすら走り続けた。


あの峠に続く道を。

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