二花
まとわりつくような寒さに目を覚ますと、焚き火が消えようとしていた。灰がちになり、ちらちらと僅かに赤く点滅している。
火の番をしているはずの太一を見れば、眠りこけてしまっていた。長旅に疲れているのだろう。与助は苦笑いを浮かべると、冷えた指先を暖めようと擦り合わせる。
自分が火の番を代わろうと柴に手を伸ばした。その時、暗がりの木々の隙間に異様な気配を感じて顔をあげる。
暗い小道を縫うように、赤い布が翻りながら近付いてきた。やがてそれは、黒い薄物の袷より覗く裾に代わり、それを着た女の顔がはっきりと見えるようになる。
暗がりでもわかるほどに白い女の面は美しかった。
目尻に朱を引き、紅を指す唇は艶然とした笑みを称えている。闇に溶けてしまいそうな黒髪を結い背に垂らしていた。
音もなく傍らまで来ると、与助の目をじいっと見詰める。
伏せられた睫毛の影に、深淵に似た黒い瞳がこちらを見据えていた。
このような侘しい山中、しかも夜中に行き合うような女人ではない。これが鬼かと後ずさる。
声を上げない与助を、女は不思議そうに眺めた。しかし、仲間を起こそうとしたとたんに押し倒された。
虎が獲物に襲いかかるような、しなやかな跳躍からは逃れられない。
その
女は与助の顔に、ふぅと息を吹き掛けた。そのとたん、痺れたように体の力が抜けていく。恐怖に目を見開き、その口は何か叫ぼうと空しく開閉を繰り返していた。
声をあげられては厄介だとばかりに、女は与助の口を塞ごうと空いた片手を伸ばす。
されど何かにはたと気付き、勝ち誇るような笑みを浮かべた。
女はしなだれかかるように近づくと、伸ばした手で口を塞ぐ代わり、与助の首筋に手を滑らせる。冷たい手に首の裏を撫で上げられ、肌が泡立った。
「おまえ、口が利けないのだねぇ。可哀想にこんなに近くに仲間が居るのに、助けも呼べやしないんだねぇ」
静かな艶のある、されど冷ややかさを含む声が耳を撫でた。猫が捕らえた獲物をいたぶるように、女は与助の頬を指でなぞる。
与助は何とか逃れようと顔を背け、動きの鈍い両手でもどかしく朽ち葉を掻いた。
ガサガサと乾いた音を立てるも逃れることならず、人に気付かれるような大きな音を立てるまでにも及ばない。
やがて視界を覆うように女の面が近付いていき、恐怖凍る吐息が漏れる男の口を塞ぐ。
波打つように毒を含んだ甘い痺れが、無遠慮に与助の脳髄を侵食し、意識を遠退かせていった。浮きつ沈みつ弱まる抵抗のなか。
何処からか、花の薫りがする。
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