04明後日の方向を見たくもなる

 鈍痛を訴えている頭を押さえつける。この状況は事実存在していると今だけは馬鹿みたいに信じ込んだ方が、精神的負担が少なくて済むのではないだろうか。付喪神、並行世界、自身が死ぬと言うこと諸々、にわかには信じがたくて、朔利は無意識にあさっての方向を見る。夢だとか絵空事だとか、そう思うには向こうの表情が怖すぎであるし、あとは制服についた唾液のような液体が滴ってきたことが本当にあった感触として身体にこびりついていた。

朔利は地獄の底から這い出るような低いトーンで彼らに尋ねる。

「……二つ目もあります?」

「ええ。二つ目に、この世界とその並行世界は至る所で繋がっています。例えば、何の変哲もない路地裏の小道、鏡、変哲もない民家の玄関口、垣根が破れてできた人ひとりが通れるような隙間。さきほどのムカデのように、彼らがそういった世界と世界が繋がる場所、わたしたちはこれを”扉漏れした世界”と呼びますが、そういった場所から侵入して、――」

 ぱきん、と何かが割れる音が辺りに響き渡る。それはちょうど朔利たちが通ってきた鏡のあたりから聞こえてきた。これはちょっとまずいかもね、ヤオシーがそう言う前に朱理が立ち上がった。

「いったいどうかしたんですか?」

「どうやら見つかったようです。もう少し猶予があると思ったのですが。瀬川さん、お忘れ物はございませんね?」

「たぶん無いとおも、ちょっと待ってください、ちゃんと説明をっ!」

「ここから逃げます。説明は逃げながら。いいですね?」

 朱理から貰った名刺を、朔利は急いで制服の胸ポケットの中に入れる。

 朱理が白衣の内からじゃらじゃらとした鍵束を取り出すと、朔利の手首をぎゅっと掴んだ。急ぐような歩調で鏡の方へと。鏡の横には古めかしい扉があった。朽ちかけの木の扉。彼はその鍵穴にがちゃりがちゃりと鍵を差し込む。

 ヤオシーが彼を急かす。彼女に何が見えているか分からないが、とてもまずい状況であるらしいことから声音と顔色からうかがえた。

「ああもう姿が見える! もう朱理くん、ここ安全じゃなかったの?」

「こんなことは初めてです。そもそもヤオシーあなたがここに来てこんなこと一度もなかったでしょう? 異常事態です」

 先ほど、ぱき、と音がしたのはこの鏡のようだった。朔利が見た時になかった亀裂が一つ二つとできているからだ。地震でもないのにいったいどうしてこんな亀裂が、朔利はそう思ってじっと眺めれば、鏡の奥に何かが蠢いているのが見える。ぼんやりとした、黒い身体。気持ちの悪い動きをして、こちらへと出ていきたいとでも言うような。それが自身を襲ったムカデのようだとはたと気が付いて、朔利の身の毛がよだつ。

こちらへ、と朱理が再び朔利の腕を力強く引く。扉の内に入ると彼はがちゃりと施錠をし、傍らにあったかんぬきをさした。気密性なんてたかが知れている扉だが、無いよりだったらある方が幾分かマシ、ということなのだろろう。

「二つ目、ですよね。彼らは扉漏れした世界から、この世界へと介入してきます。先ほど瀬川さんを襲ったムカデのようなものが、今後とも、というか今もですけど。現れてあなたを襲う可能性が非常に高いです」

「それどのみち私死ぬって意味で合ってます?」

「合ってます」

 うわー最高、と皮肉交じりに朔利が漏らせば、今はそうならないために逃げていますけど、と付け足される。

 木のフローリングが真っ直ぐに永遠に続いているような空間だ。その両壁には等間隔で扉が張り付けてある。普通の木の扉もあれば、白と赤のどぎついボーダーの扉、鹿の剥製が掛けられている扉、チャイムが横についている扉、私の身長の半分ほどしかない小さな扉、その道を走っていて眺め見るその扉たちは全て異なったデザインをしていた。その光景に目を疑っていると、彼が補足をする。これは様々な世界に繋がっている扉ですよ、と。よく見ると扉の真ん中には、現地時間を示しているのか時計がそれぞれに掛けられている。

「これいったいどこまで続いているんですか?」

「持久走ができるくらいには、次右に曲がります」

 ぐるん、と体の向きが半強制的に変わる。

 朔利はふと、ずっとこの長たらしい廊下のような場所を駆ける自分たち二人の足音のほかに、何か異なる音が聞こえることにふと気が付いた。何の音だろう、耳を澄ませばそれは低く鳴り響く地鳴りだ。どすん、ゆるやかな音が徐々に間隔が狭まり、そして大きく、振動もまたよく伝わってくることが分かった。

「あーもうサイアク! そもそもなんでこんなにしつこいの! 使役獣は目の前に標的が居なくなったら術者の元に帰るものじゃないの!」

「わたしには判断しかねますが、最近は随分と倫理的にギリギリなことをしているとも聞きますし、人間の一人や二人組み込んでいてもおかしくないのでは」

「いったい何の話ですか!」

「ムカデのことです、次左です」

ふわりふわりと朔利たちの横で必死な顔をして、ヤオシーが付いて来る。

「こんなに命が狙われるって、いったいこの子の能力って何なんですか!」

「無効化です」

「それどんなことが起きるんですか!」

「触れたものを砂塵に帰したり、不可視の壁を創造したり、絶対的な守りの力と言われています」

「それ今ムカデに使ったらどうなんですか!」

「最高じゃん朱理くん、それしようよ」

「ヤオシー、あなたそれ本気で言っているのですか! 正式な契約は、魔女の祝福と証人の血の提示によって果たされるって、あなた前にもしたことあるでしょう!」

「力が発動しなかったら、きっとあのムカデがさくりんの首をちょん切っちゃう感じだね! 死体の胴体と首を繋ぎ合わせるのってなにですればいいのかな、針と糸?」

「縁起でもないので死んだ後のこと言うのやめてください!」

 息が弾む。隣の朱理はというと、普段からこういうことは慣れっこのようで、平然とした表情だ 。

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