第6話

 数日後の夜、人気もなくなってきた時刻だった。百合は赤井戸神社の境内にいた。手には明かりもなく、ただ夜空に輝く月を見ている。暗くてわかりづらいが、嘉隆の社殿の陰に隠れていた。二人はこの赤井戸神社で瑠奈を待っているのだ。


 月が雲に隠れたころ、瑠奈が赤井戸神社の境内にやってきた。スマートフォンで明かりを灯している。



「百合さん、待ちましたか?」



 薄明かりの中でもよくわかる満面の笑みだ。その笑みに応えるように百合は首を振る。実際は二時間も前から赤井戸神社に着いていた。嘉隆と打ち合わせをするためである。



「それでは、いきましょうか」



 瑠奈が境内を出ようとするのを百合が手をつかんで引き留めた。



「えっ、どうしたんですか?」


「こっち」



 百合はそのまま瑠奈の手を引いて嘉隆が隠れている社殿の裏手へと歩き出した。



「そっちに何かあるんですか?」



 百合は答えない。ただ黙々と歩いているだけである。瑠奈も黙って百合のあとについていった。


 百合と瑠奈が嘉隆の前を通り過ぎた。社殿の陰にいるために瑠奈は嘉隆に気づかなかったようだ。


 百合の足が止まる。合わせて瑠奈の足も止まった。



「ここ?」



 社殿の裏手は薄明かりすらなく、真っ暗だった。唯一瑠奈の持っているスマートフォンの灯りが周囲をぼんやりと照らしている。



「ここです」



 百合が意味深にうなずく。その様子を瑠奈は恍惚と見つめていた。


 瑠奈が百合に見惚れているとき、嘉隆がこっそりと社殿の陰から這い出てきた。その手には金属バットが握られている。


 瑠奈は気づかない。百合に密着しようと必死なようだ。


 嘉隆は瑠奈のうしろに回った。そこで金属バットを大きく振りかぶる。あとは振り下ろすだけで瑠奈の頭は割れてしまうだろう。



「瑠奈さん」


「はい」



 百合が瑠奈に笑顔で話しかける。その言葉に瑠奈が頬を紅潮させながら反応する。だが、次の瞬間――。



「ごめんなさい」



 百合の顔から笑顔が消える。


 嘉隆の金属バットが瑠奈の後頭部に向かって振り下ろされた。鈍い音がして瑠奈の頭が割れる。血が社殿の壁にまで散っていった。


 スマートフォンが瑠奈の手から滑り落ちる。その光が照らすのは、動かなくなった持ち主と二匹の鬼の姿だっただろう。




 嘉隆と百合は瑠奈の死体を鬼隠しの井戸まで運んできた。百合が井戸にかぶせてあった木製の蓋を手際よく取り除いていく。手許は暗いはずなのによくわかるものだなと嘉隆は感心した。


 百合はロープを瑠奈の死体に巻き付けていく。これでゆっくりと井戸の中に死体を降ろすのだという。



(手慣れている)



 百合の手際が、だ。何度もこのような作業を繰り返し行ったことがあるかのように、よどみなく瑠奈の死体がロープで縛られていく。



「あとはこの死体を井戸の底に降ろすだけです」


「このロープも瑠奈の死体と一緒に消えるのか? もし消えないとしたら証拠が残ることになってしまうが」


「大丈夫です。ロープも一緒に消えますよ。証拠なんて、何一つ残りません」



 百合は自信ありげに答える。その様子に、嘉隆は違和感を覚えた。



(もしかすると、俺は勘違いをしていたのではないだろうか)



 嘉隆は今までの鬼隠しが瑠奈の犯行だと思い込んでいた。そのことを前提に物事を考えてきたのだが、今百合の行動を見てその考えに揺らぎが出てきた。あまりにも百合の手際がよすぎるのだ。これは一度や二度、鬼隠しを行った人の手際ではない。


 一度疑念を持つと他の行動も怪しく思えてくる。


 マリの鬼隠し。百合ならばマリを呼び出すことも簡単だろう。マリは百合に惚れていた。動機もある。瑠奈との仲を壊されたくない百合がマリを煩わしく思ったということならばつじつまが合う。


 真夕乃鬼隠しも同じだ。あのときの真夕ならば百合の呼び出しにも簡単に応じただろう。理由は瑠奈に真夕との関係を言及されたというところだろうか。


 ならば嘉隆の殺人未遂はどうなる。手紙の筆跡は瑠奈のものだった。しかし、名前が書いてあったのは封書の外側だけだ。手紙の部分には名前は書かれていない。もし瑠奈が百合に向けて書いた手紙があったとしたら、そしてそれを百合が嘉隆への手紙へと再利用したとしたら……。


 つじつまは合う。手紙は封書の部分だけ新しく作られたのだ。中身の手紙は瑠奈が書いたもの。瑠奈が百合に向けて書いたものである。この筆跡があったからこそ嘉隆は瑠奈が犯人だと思い込んだのだ。


 しかし、今嘉隆の頭の中には真犯人は百合ではないかという考えが支配している。

(百合が犯人だとすると、俺が屋上に上がったときにすれ違わなかったのはなぜだ? いや、それは階段の近くにあるトイレに潜んでいれば済む話か。そして俺が屋上へ上がったのを確認してから自分も屋上に入る。そして筆跡のことを教えれば、俺は瑠奈が犯人だと思い込むってことだ)


 これはあくまで嘉隆の推論である。証拠はない。しかし、嘉隆の推論が正しいと思わせるだけのことを百合は行動で示していた。



「どうしたんですか? 早く死体、降ろさないと」



 百合が首を傾げながら嘉隆の顔を覗き込む。その笑顔に嘉隆は狂気を感じた。


 嘉隆は一歩退いた。しかし、ここで逃げるわけにもいかない。



「わかった」



 嘉隆はゆっくりと瑠奈の死体を井戸の底へと降ろしていく。できる限り死体が井戸の側面にぶつからないように注意しなければならない。もし妙なところにぶつけてしまい、痕跡でも残すようなら完全犯罪が台無しである。



(おそらく、マリのときはそれで失敗したんだろう。血痕が警察に見つかって大騒ぎだ)



 瑠奈の死体が井戸の底についた。瑠奈を縛ってあったロープも一緒に井戸の中へと放り投げる。



「これで本当に死体が消えるのか?」



 嘉隆は不安だった。噂を信じ込み、こんなことまでやってしまった。いまさら鬼隠しの噂が嘘だったならどうする。



(そのときは、素直に自首でもするか)



 殺人という出来事は嘉隆の精神を破壊してしまったのかもしれない。もう深く考えるのが億劫になってきているようであった。



「死体は消えますよ。鬼隠しは、本当にあるんです」



 その確信めいた発言は一連の犯人が百合であると信じるに十分な力を持っていた。嘉隆の内側に渦巻いていた憎しみが、百合へと向けられた瞬間である。



「百合さん……」



 百合は嘉隆の呼びかけに応じて近づいてきた。



「これで二人っきりですね」


「そうだな……」



 嘉隆は百合を突き飛ばす。急なことだったので百合は目を白黒とさせていた。


 嘉隆は井戸の縁に立て掛けてあった血まみれの金属バットを握る。



「な、何をしているんですか……?」



 百合は腰が抜けてしまって動けない。



「お前だろう」


「何を……」


「お前がみんなを殺したんだろう」


「……」



 百合は「はい」とも「いいえ」とも答えない。



「それは「はい」と言っているようなものだぞ」



 嘉隆は金属バットを振りかぶった。狙いは百合の頭である。



「ま、待ってっ! 違うの。私はあなたのために――」



 金属バットが振り下ろされた。渾身の一撃が百合の細腕とともに頭部を砕く。辺りには噴水のように真っ赤な血が流れた。


 そのあとは簡単だった。瑠奈と同じようにロープを百合に巻き付けて井戸の底に降ろす。血の付いた服は社殿の中に隠してあった新しい服に着替えたあと、井戸の中に捨てた。百合の分も新しい服は用意されていたが、それも井戸の中に捨てた。金属バットも、瑠奈が持っていたスマートフォンも、証拠になりそうなものはすべて井戸の底だ。


 嘉隆は井戸の蓋をしめるとその場を立ち去った。


 もし明日鬼隠しの井戸の中を見て死体が消えていなかったら警察に行って自首しよう。嘉隆は静かに心の中でそう思った。




 明朝、陽が上る前に嘉隆は行動を開始した。


 鬼隠しの井戸に着くと、井戸の様子を確かめる。木製の蓋が動いた様子はない。当然だが、死体が井戸から引き揚げられた形跡もなかった。



(やっぱり、噂は噂か)



 嘉隆は諦念似た感情のまま井戸の蓋を開けて中を覗いてみる。中は暗かった。スマートフォンの灯りが井戸の中に広がる。



「……ない」



 死体は消えていた。瑠奈と百合、二人ともだ。一緒に投げ入れられたロープや金属バットもなくなっている。嘉隆の目に見えるのは枯れた井戸の底だけだった。



「鬼……隠し?」



 嘉隆は急に怖くなった。心のどこかではやはり噂は噂でしかないと思っていた。それがこうも簡単に実現してしまったのだ。


 嘉隆は井戸の前で放心したかのように座り込んでしまう。周りからは何も聞こえない。何も感じない。そこには無の空間がずっと広がっているようであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る