第5話
その日の放課後、嘉隆はまたしても校舎裏にいる。相変わらず気分は重い。
(なんであんな女に好かれなきゃいけないんだ)
嘉隆は百合を好いていない。しかし、百合のほうはどうだろうか。おそらく嘉隆を好いている――いや、嘉隆『も』好いていると言ったほうが正確だろう。
嘉隆は頭が痛くなるほど悩んだ。まさか好かれることでここまで苦しまなければならないとは思わなかっただろう。
ホームルームが終わって数十分。そろそろ百合の姿が見えてもおかしくないはずである。
(おかしいな)
百合の姿はどこにも見えない。約束などすっぽかして帰ってしまったのだろうか。
その時、ぱらぱらと頭上から土が降ってきた。
嘉隆はそれに誘われるように頭をあげる。その瞬間、嘉隆の頭上に何かが接近していることに気づく。
「なっ!」
嘉隆は身体を回転させながらその場を離れた。
大きな音を立てて何かがアスファルトの地面にぶつかった。
嘉隆は立ち上がり、何が降ってきたのかを確認すると、その場には陶器でできた植木鉢が砕け散っていた。その場所に立っていたままであれば嘉隆の頭に直撃していたことだろう。
嘉隆は校舎の上――屋上を見る。そこには人影があった。逆光になっていて顔まではわからなかったが、あの人物が植木鉢を落とした犯人に違いない。
「誰だっ!」
人影は嘉隆の声に反応して姿を消した。このままでは取り逃がしてしまう。嘉隆はすぐさま屋上へと向かった。
途中で淳二に話しかけられたが無視をした。
さらに瑠奈ともすれ違ったが、彼女は上機嫌に鼻歌を歌っているだけだった。
屋上に着くと鍵が開いていた。普段は生徒が侵入しないように施錠されているはずなのに。
屋上に出てみると緩やかな風が嘉隆の頬を撫でる。しかし、それでも嘉隆の興奮は収まらない。
(どこだ?)
嘉隆は屋上の縁を見回した。すると、一か所だけ不自然に真新しい土がこぼれている。近づいてそこから下を覗くと、ちょうど先ほどまで嘉隆が立っていた校舎裏だった。ここから植木鉢が落とされたのは間違いない。しかもわざわざ屋上にあるはずのない植木鉢を落ちしたところを見ると並々ならぬ殺意が感じられる。
(どこのどいつだ、俺を殺そうとしたやつは。まさか、俺を呼び出した百合!?)
「嘉隆くん?」
嘉隆は口から心臓が飛び出すかと思った。声をかけてきたのは百合だった。
「ゆ、百合さん? どうしたの、こんなところで」
まさか犯人かもしれない百合に屋上で会うとは思わなかった。嘉隆は動揺を悟られないように冷静を装う。
「えっ? それは私が聞きたいですよ。ものすごい勢いで階段を駆け上がっていく嘉隆くんを見たので後を追ってきたのですけれど、何があったのですか?」
「いや、何でもない。ただ屋上で風にでも当たりたいなと思って」
「ふふっ。でも、屋上は立ち入り禁止ですよ。先生に見つからないうちに戻ったほうが賢明だと思いますけど」
「ああ、そうするよ」
百合の会話には怪しいところはない。百合は犯人ではないのか。犯人にしては落ち着きすぎているような気もする。
「そういえば待ち合わせの場所は校舎裏だったよね? なんで百合さんがまだ校舎の中にいるんだ?」
百合は少し首を傾げたまま固まってしまった。何を言われているのかわかっていないようだ。
「これだよ、これ。これは百合さんが書いたものだろう?」
嘉隆は今朝下駄箱の中にあった手紙を見せた。封書の裏にはしっかりと百合の名前が記されている。
「えっ!? 私、こんなもの出した覚えありませんよ」
「何だって!?」
嘉隆は百合に呼び出されたと思っていた。だからこそ屋上に人影を見た際、咄嗟に百合の顔が頭に浮かんだのだ。
百合が鞄の中からノートを取り出す。手紙の字と自らが書いた字を見比べているようだった。
「ええ、やっぱり筆跡が違います。私が書いたものではありません」
嘉隆もノートと手紙を受け取って見比べてみる。確かにノートの筆跡と手紙の筆跡は違うものだった。すると、この手紙は百合以外の誰かが書いたことになる。
(わけがわからない。誰が俺を校舎裏に呼び出して殺そうとしたっていうんだ……)
「この筆跡――」
百合が手紙を見ながら意味ありげにつぶやく。
「この筆跡に心当たりがあるのか?」
「ええ。おそらく、瑠奈さんのものではないかと」
「瑠奈……」
わからなくもない。昨日百合と校舎裏で会った時、近くに瑠奈もいたようだった。嘉隆と百合の関係を疑われたとしたら、瑠奈が嫉妬に狂ったとしても不思議ではないつじつまが合う。
しかし、嘉隆を殺したところで死体はどうするつもりだったのか。学校で死体が見つかれば大騒ぎになる。
「……鬼隠し」
「えっ?」
「あ、いや……。何でもない」
嘉隆は真夕から聞いた鬼隠しの噂を思い出した。
――鬼隠しの井戸は死体を消す。
淳二の話だとマリの死体も消えたという。マリを殺したのは女の可能性が高い。瑠奈はマリのことをよく思っていなかった……。
(俺も、鬼隠しの井戸で消そうとしたのか? マリと同じように――)
嘉隆の想像は悪い方向へと膨れ上がっていく。それは恐怖という形で嘉隆を支配した。
肩が震える。嘉隆は今まで命を狙われる経験をしたことがない。怖いのは当たり前だ。
「震えています。大丈夫ですか?」
百合が心配そうに嘉隆の手を握る。今だけは百合の過剰なスキンシップがありがたかった。
「ありがとう。だ、大丈夫だから」
嘉隆はふらふらになりながら校内へと戻っていった。すぐそばには百合が付き添っている。何も知らない人から見たら今の百合は嘉隆の彼女に見えたことだろう。
事件があってから数週間が過ぎた。嘉隆は瑠奈の行動に注意しながら学校生活を送っている。あの事件以来、特に身の危険を感じることはなかった。
瑠奈にしてみたら警告しただけなのかもしれない。だとしたらその警告は成功だ。嘉隆はあの事件以後、百合との接触は最小限にしているのだから。
それよりも嘉隆には看過できないことがあった。
「真夕、今日も来ないね」
淳二が寂しそうにつぶやく。ここ数日、真夕の姿が見えないのだ。
嘉隆には何があったかすぐに予想できた。瑠奈の鬼隠しだ。
真夕も百合に積極的に接触していた。瑠奈からしたら煩わしかっただろう。マリと同じ目にあったとしてもおかしくはない。
(瑠奈のやつ、真夕にも手を出したのか……。俺の友達にっ!)
嘉隆はそう思うと深い悲しみと怒りが湧き上がってきた。自分が狙われていると知った時には逃げることしか考えていなかった。しかし、友人が被害にあったかもしれないと思うと犯人をこのままにしておこうとは考えられない。
(瑠奈を殺すか。マリや真夕と同じ方法――鬼隠しで)
思い込むと瑠奈のことがますます憎くなる。
警察に突き出せるなら今すぐ突き出したかった。しかし、瑠奈が真夕を殺したという証拠はない。証拠がなければ警察も動かないだろう。警察に頼れないとなると、もはや自分の手で何とかするしかない。
瑠奈を殺し、鬼隠しの井戸に捨てる。これだけで完全犯罪が成立するのだ。
(バレやしない。瑠奈だってそうやってきたじゃないか。しっかりと準備をすれば人を殺すことなんて簡単さ)
嘉隆の眉間の皴が深くなっていく。鬼の形相とはこのような顔を言うのだろうか。
「嘉隆、どうしたの? 顔が怖いよ」
淳二に声をかけられて嘉隆の思考は正常さを取り戻す。こんなことを考えるなんて馬鹿げている。どうかしていたと嘉隆は思い込んだ。
「何でもない」
嘉隆は平静を取り繕った。真夕のことは心配だが、まだ瑠奈に殺されたと決まったわけではない。
「真夕のことだ。また噂を追いかけて迷子にでもなってるんじゃないか?」
「そんな、小学生じゃないんだから」
淳二との何気ない会話が嘉隆の救いだった。一人でいるとすぐにあの悪魔のような考えに行きついてしまうからだ。
そんな嘉隆の変化に気づいた人物がいた。百合である。百合は嘉隆が接触してこなくなってからも嘉隆のことをよく見ていた。もしかしたら客観的に見ることができる分、嘉隆よりも嘉隆のことを理解しているのかもしれない。
放課後、嘉隆が一人になっていると百合が話しかけてきた。
「復讐、したいんでしょう?」
夕日に照らされた百合は惚れ惚れするほど美しかった。しかし、嘉隆はそれ以上に自分の心を読まれたような気がして気持ちが悪かった。
「……何のことだ?」
「あなたは瑠奈さんのことを恨んでいます――殺したいほどに。それで鬼隠しを使って復讐しようと計画しました。違いますか?」
的確な指摘だった。それほどまでに嘉隆の考えは読みやすいのか、それとも百合の洞察力が異常なのか。
「もしそうだとして、お前はどうするつもりだ。止めるか?」
百合は微笑みながら首を横に振った。
「協力、したいの」
百合が艶めかしい声で囁いた。わずかに時間が止まった。百合の発言は嘉隆にとって信じられない言葉だった。
「まさか、復讐に協力するってことなのか!?」
百合は頷く。頬が少し赤くなっているように見えるのは夕日のせいだけではないだろう。
嘉隆は百合の瞳をじっと見つめた。次第に視界がぼやけてくる。嘉隆の目には百合の姿しか映らなくなっていた。
瑠奈を殺す。嘉隆の気持ちは百合の瞳を見つめているうちに決まってしまっていた。
「わかった。お願いするよ」
嘉隆が短く答える。その短い言葉の中には、瑠奈へ復讐する決意がはっきりと刻み込まれていた。
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