第3話
「嘉隆、ちょっといいかな」
真夕がいなくなったところで淳二が少し思いつめた顔をしながら話しかけてきた。
「ん、どうした」
「真夕の話、どう思う?」
淳二のほうから鬼隠しに関する話を振ってくるのは珍しい。嘉隆からしたら淳二はこんな話には興味がないものだと思っていたのだろう。
「くだらないの一言だな。鬼隠しなんてものがあったら一度見てみたいよ」
「ボクは、見たよ」
「……は?」
嘉隆は一瞬淳二が何を言ったのかわからなかった。あれほど鬼隠しの噂を嫌っていた淳二だ。その淳二から鬼隠しを見たという言葉が出てくるとは思わなかった。
「ど、どういうことだよ」
「先週、マリさんを見たんだ。それも赤井戸神社で」
「でも、さっきはお前――」
「ごめん。真夕に鬼隠しのことを話したくなくて嘘をついだんだ」
たしかに真夕に鬼隠しのことを話せば大騒ぎになるだろう。淳二の判断は当然だといえる。
「それで、マリはどうなったんだ? 鬼隠しを見たってことは、殺されたのか?」
「……うん」
淳二はゆっくり頷く。その顔は青く、やつれているようにも見えた。
「ボクがマリさんを見たのは先週の金曜日。夜も遅くなってもう寝ようとしたんだ。その時にふと窓から赤井戸神社を覗いてみると、光が見えたんだよ」
「その光が、マリだったと」
淳二はうなずく。
「マリさんは懐中電灯を持ってたからね。よくわかったよ。それに、もう一人マリさんと一緒に行動している人がいた」
「瑠奈か!?」
「それはわからない。顔は見えなかったから。でも、体格からして女性だったと思う」
マリと出会っていた女性。現時点では瑠奈の可能性が高いだろう。だが、断定はできない。
「それで、お前はどうしたんだよ」
「……」
ここで淳二は言いよどんでしまう。何か話しづらいことでもあるに違いない。
「大丈夫だ。この子とは真夕にも他の誰にも言わないから。たとえ警察にもな」
淳二がうなずく。嘉隆を信用したのだろう。
「マリさんたちの後を追ったんだ。恥ずかしいことだけど、興味があったんだ」
「まあ、いろんな噂の絶えないマリだからな。そんなところで何をやってるのかはお前じゃなくても気になるだろう」
「はは、気を遣ってくれてありがとう」
嘉隆のフォローで淳二の心は少し楽になったようだ。マリの後をついていってしまったことに罪悪感を覚えていたのだろう。
「それで、こっそりとマリさんたちの後をついていったら――」
「ついていったら……?」
嘉隆はごくりと咽喉を鳴らす。
「マリさんと一緒にいた女性が突然何かを取り出してマリさんの背中を刺したんだ。たぶん、ナイフのような刃物だと思う」
「殺人現場を見たってことか!?」
「うん……」
「なんでそれを警察に言わないんだよ」
「話はこれで終わらないからだよ」
「何?」
話の雲行きが怪しくなってきた。淳二は先ほど嘉隆に鬼隠しを見たといった。ということは――。
「女性は死んだマリさんを鬼隠しの井戸に投げ入れた。ナイフも井戸に投げ入れてたよ。あれで証拠隠滅してるつもりかなって不思議に思ったよ」
たしかに証拠隠滅にしては杜撰なものだ。井戸の中に死体や凶器を投げ入れたからといって、少し発見が遅れるだけだろう。
「その後女性はどこかに去ってしまった。ボクはすぐに井戸の中を確信したよ。そこには血まみれになったマリさんと、凶器らしきナイフが落ちてた」
「……」
嘉隆は話の重さに口が開かない。じっと淳二の話に耳を傾けるしかなかった。
「ボクは怖くなった。すぐにその場を離れて家に逃げ帰ったよ」
「まあ、そうだろうな。死体を見て――しかもクラスメイトだったやつの死体だ。そこで冷静になれるやつなんてそうはいない」
「問題は翌朝だった。ボクは一睡もできなかったよ。でも、冷静になってきた頭で考えたんだ。これは殺人事件。警察に連絡しないといけないって」
淳二の行動問題はない。おそらく嘉隆でも同じことをしたであろう。
「そこで怖かったけど、念のためもう一度マリさんの死体を確認しようと思ったんだ。その場で警察に連絡したほうが現場の状況を伝えやすいかなって思って」
「なるほどな」
「でも、なかった」
二人の間に冷たい風が吹き通ったような気がした。肌寒さと同時に言い知れない恐怖が忍び寄ってきたように感じたのだ。
「井戸の中には何もなかったよ。マリさんの死体も、凶器のナイフも……」
「……」
嘉隆は言葉が出なかった。じっとりとした汗が流れ出るのをわずかに感じるのみである。
「ボクは思ったよ。確かにこれは『鬼隠し』なんだってね」
にわかには信じられない話だった。しかし、淳二が嘘をつくとも思えない。
「それは俺以外の誰かに言ったか?」
「いや、嘉隆が初めてだよ。真夕に言ったらまた鬼隠しの井戸を見に行こうって言いだしそうだしね」
「それでいい。このことは誰にも話すな。話せば頭がおかしいやつって思われるだけだ」
「嘉隆は、信じてくれるの?」
「……ああ」
逡巡。「信じられない」という気持ちと、「信じたい」という気持ちが入り混じっている。
「そう、よかったよ。少し気が楽になった」
嘉隆は淳二の笑顔を見て自分の判断が間違っていないことを確信した。
――鬼隠し。
嘉隆の中で、それはただの噂ではなくなってきていた。
真夕はトイレへと向かっていた。この学校のトイレは階段の近くにある。彼女たちは二年生なので、二階のトイレを使用することが多い。真夕はいつものように教室を出て左手にあるトイレへと向かった。
しかし、運の悪いことにすべての個室が使用中だった。
(うわぁ、最悪)
仕方なく真夕は階段を下りて一階のトイレを使うことを決意する。一年生に混ざるのは少々恥ずかしいが、背に腹は代えられない。
真夕が二階のトイレを出て階段を下りようとした――その瞬間、真夕の視界はぐらりと揺れた。足を踏み外してしまったのだ。
(やばいっ!)
頭ではそう思ってももう遅い。すでに真夕の身体は宙に投げ出されてしまっているのだ。
その時、誰かが真夕の右手をつかんだ。さらには抱きかかえられるように背中に手を回される。その手は温かく、なめらかな肌触りだった。
「あ、ありがとう」
真夕は誰が自分を助けてくれたのかと顔をあげる。そこには、百合の顔が真夕の目の前に迫っていた。
その時の百合の顔はとても美しく、まるで物語の中から飛び出してきた王子様のようだと真夕は思った。
百合は真夕の手を握ったまま放さない。そのまま眉を廊下の壁に押し付けてきた。
(え? えっ!?)
ゆっくりと百合の顔が真夕に接近する。あまりのことに真夕は反応できない。そして必然のこととして百合の唇と真夕の唇が重なった。その瞬間、真夕は世界から色が消えたかのような感覚に襲われたのだ。
「……」
どれほど唇を重ねていただろう。その感覚もなくなってきたころ、ようやく百合は真夕の唇を解放した。
百合は何も言わずに立ち去ってしまう。真夕はその様子をへたり込んだままただ呆然と眺めていることしかできなかった。
トイレから真夕が戻ってきたころには、百合はすでに自分の席に座っていた。彼女が真夕にしたことなど初めからなかったかのようなふるまいだ。真夕はそれでも百合のことをじっと見つめる。
「真夕、どうした。顔が赤いぞ」
真夕は嘉隆に声をかけられて初めて自分の普通ではない感情に気づいた。
「な、な、何でもない」
「何をそんなに焦ってるんだよ」
嘉隆は真夕と話したいこともあったが、もうすぐ休み時間が終わってしまう。どうせたいしたことはないだろうと思い自分の席に戻っていった。
真夕はその後も百合のことを目で追ってしまう。時折ため息も出た。
(あれはどういうこと?)
真夕の疑問に答える人は誰もいない。こんなことは嘉隆や淳二に相談できるはずもなかった。
そして数週間が経った。最近真夕の様子がおかしいと気づいたのは嘉隆だった。放課後になっても嘉隆たちと遊ぶ回数が減り、代わりに百合と一緒にいるところを多く見かけるようになった。
(まさか、真夕は百合に――)
嘉隆は真夕と百合の関係に疑問を持った時から二人を観察することにした。もはや疑いようがない。真夕は百合に惚れているのだ。
そのことがわかった瞬間、嘉隆は強烈な嫌悪感に襲われた。知らない人同士が同性愛者になることは何とも思わない。しかし、友人が同性愛者として取り込まれていく姿を見るのは何とも言えない気持ちになる。
(これは、差別……なのか?)
嘉隆の感情は渦巻いていた。自分の嫌悪感が差別になるかもしれないと思うと嘉隆は自分のことが嫌いになってくる。もはや誰を嫌悪しているのかわからなくなるほど、嘉隆の心は複雑な感情に支配された。
嘉隆は激しい音をたてて頭を机にぶつけた。その音に反応して一瞬だけ教室が静かになる。
「よ、嘉隆、どうしたの!?」
淳二が心配そうに様子を見に来た。しかし、嘉隆はこんなことを淳二に言う勇気を持っていない。
「いや、何でもない。ただ居眠りをして頭をぶつけただけだ」
嘉隆は愛想笑いをしてその場を取り繕った。淳二は疑問に思いながらのすぐに席に戻る。机の上に広げられているノートには複雑な数式が描かれていた。
(俺が、真夕を助け出さないといけない)
嘉隆は静かに決意する。何が正しいかはわからない。しかし、嘉隆は自分が正しいと思ったことをやるだけだった。
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