11.魔界の番人
男はフードを深く被っていて顔はよく見えないが、獲物を見る蛇のような鋭い目がじっとこちらを睨んでいるのがわかる。
こいつ...いつの間に俺の隣に...!? 足跡なんて全く聞こえなかったのに...
すぐにでも逃げ出してしまいたい思いだが、フェリアに何度も言われていたことを思い出す。
もっと魔王らしく振る舞えと...。 そう、俺は今魔王だ。 それだけじゃなく、元は勇者。 どちらにせよ、俺が世界の運命を分ける存在であることに変わりはない。
考えてみれば、魔王は魔界にいる全ての魔族の頂点に君臨する力を持ち、人間界すら脅かす圧倒的な支配者。 何もこんな強盗一人に怯える必要はない。 ここは強気にでよう。
「そんな粗末な武器で、俺がやれるとでも思っているのか?」
「...お前俺を舐めてるのか...?」
「ああ勿論、多種多様な武器が出回っているだけでなく、魔法すら存在するこの世の中。 ナイフ一本で強盗できると思ってるやつなんて舐められて当然だね」
カウンターに置いてあった紙ナプキンで、フォークとナイフを拭きながら相手を煽る。
「自分の立場が分かっていないようだな。 俺がナイフ以外に手があるとしたら、どうするつもりだ」
「悪いな、さすがに甘く見過ぎたよ。 お詫びに、剣に詳しい俺から一つアドバイスをしよう。 刃物を持てば強くなれるわけじゃないんだ。 戦況を左右するのは、武器の良し悪しでもなく...」
「使い手の実力だ」
城から出る時にも使った空間転移魔法とやらで男の背後に周り、首筋にテーブルナイフを回す。
これには男も驚愕したようだったが、マントの内側から取り出した剣で、ナイフをはじかれた。 男はそのまま距離を取り、剣を俺に向けた。
「残念だったなぁ坊主...ナイフ以外にも手があるんだわ。 護身用の武器一つ持ってないなんて、お前こそこの世界を舐めてるんじゃないのか?」
しまった...本当にナイフ以外にも武器があるとは予想してなかった...。 こっちはただの食事目的で出てきたから何の武器も持ち合わせていない。 一応魔法は使えるのだろうが、空間転移以外は使い物にならない。
...待てよ...唯一使えるその空間転移で、城へ逃げ帰ってしまえばいいんじゃないか?
...いや、俺がいなくなったら、今度は店のマスターが標的になるだろう。 そんなことは元勇者として、魔王としても見過ごしてはいけない。 それに...まだ美味い料理の代金払ってないしな。
「その剣で俺を殺すつもりか?」
「金を渡さないのならな」
「やっぱりそうか...でも、お前は俺を殺さない。 お前の目には殺意が全く宿っていないからだ。 幾多の戦いを乗り越えてきた俺だから分かる。 さっきからのお前の目は、模擬戦を楽しむ奴の目と同じだ」
そう、俺は元々農家の生まれだが、昔から騎士や剣士に憧れて暇さえあれば剣技の練習をしていた。
暇な衛兵に実戦練習を挑んだりしたのが懐かしい。 衛兵の戦闘風景や、本を見ながらもほとんど独学で練習を続けたため、かなり自己流なら動きになったが、だからこそ他の剣使いを圧倒できて、おかげで街一番の農夫剣士から勇者なんて予想以上に立派な役に選ばれてしまった。 その頃はまだ、剣を振るうのが楽しかった。 相手も観衆も、それを楽しんでくれていたからだ。
...でも、勇者に選定されてからは、本当に生きるか死ぬかという場面の方が多くなってきた。
低級の魔物ではあったが、言葉も通じないそいつと初めて戦った時のことは、今でも鮮明に覚えている。
殺さなければ殺される。 死にたくない。 お前が俺が生きるのを邪魔するなら、お前を殺してでも俺は生き延びてやると...。 そんな、必死に生きようとして俺に向けた、恐怖すら感じる殺意の目と叫びを、徐々に温くなっていった、返り血の温度を。 俺は決して忘れない。
本物の殺意が宿った目なんて、狂人でもない限り、相手を威嚇する程度の生半可な殺意しか抱いていない奴には真似できないことだ。
「...くくく、あっはははは! こりゃあ勝てんわ。 久しぶりに良い客が来てよかったなマスター!」
男は笑った後に剣を収めてフードを脱ぐと、さっきから動じずに傍観していたマスターに言った。
フードを脱いだ男は、以前から見えていた鋭い目にお似合いの蛇のような顔をしていた。 というより、蛇そのものだった。 まさかとは思って下をよく見てみると、案の定足が一本も見当たらず、胴体がそのまま尾へ繋がっているようだった。 簡単に言うなら、手が生えた人並みの蛇といったところだろう。 通りで足音一つたてずに俺に近づけたわけだ。
「ええ、お客様が増えるのは誠に嬉しい限りでございます」
...これは一体どういうことだ? さっきから店を狙わない強盗も、客が目の前で脅迫されていても一切動じないマスターも含めて、何か異常な空間な気がしていたが...まさかこの2人は元々グルだったのか?
「おいおい、一体これは何の茶番なんだ?」
「あー悪い悪い、この店のしきたりみたいなもんでさー。 初めてきた客には、ここいてもいいやつかどうか試させてもらうんだよ」
「余計意味がわからないんだが」
「ヨルム、お前は少し説明不足すぎる。 お客様、簡単に言えばここは、あの程度の恐怖で逃げ出すような方だと困るということです。 怖いと思ったから、そこにいたくないと思ったから逃げる。 そのような自分の意志のまま安直に行動する単純な方では、お客様だけなく我々にも危険が伴う」
なるほど、どうやら俺は中々やばい連中に出くわしてしまったようだな。 『我々』と言ったということは、この老紳士と蛇男だけでなく、裏にかなりの規模の組織がいるようだ。
「...ほう、つまりあんたらは、公にされると困るような秘密を持ったやばい組織ってことか」
「なあ兄ちゃん、考えを一つ訂正しよう。 俺等は傍から見れば確かにやばい組織じゃあるけど、あんたが思っているやばいとは少し意味が違う。 あくまで善良な国民なんだぜ、俺等」
蛇男は近くの席にどかっと座り込むと、妙に知的に、遠回しなことを言った。 適当な奴なのかと思っていたが、蛇なだけあって目と感覚的なことだけは鋭いのか。 俺も席に座りなおす。
...それにしても、やばい組織ではあっても善良ではある? 謎かけみたいな言い方だが、導き出される答えはこれしかない。
「義賊ってことか」
「いやーまあ義賊っちゃ義賊とも言えるんだけど...ここまで言って気づかないか? 」
頭をポリポリと掻きながら早くこちらに分かってほしそうにこちらを見る。
「魔王の監視下にある魔界で、表にも顔だせる力持った組織なんて数えるほどしかないだろ」
「『ケルベロス』。 お客様も一度は聞いたことがあるでしょう。 ご紹介が遅れました。 私は、元魔王軍騎士団長、そしてケルベロス警護担当の『クリス・マスカレイド』と申します」
そう言ってマスターが取り出した手帳に描かれていたのは、魔王のノートにあったものと同じ、切れた首輪の紋章だった。
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