8.勇者の場合
俺は勇者『ジンク・ブレイバ』...のはずだったのに...。
魔王と姿を入れ替えられ、俺が現魔王『ヴェルカード・サタン』ということになってしまった。
つい数時間前、気まぐれな暇女神に呼び出され、世界の運命を変えもする壮大な喜劇に付き合わされている真っ最中だ。
俺と魔王がいかに困って見苦しい程の努力をしたとしても、あの自称女神からすれば滑稽なゲームの一部でしかないんだろう。
俺と入れ替わった魔王は今頃どうしているんだろうか...。
いや、魔王といっても元はこの魔界と魔族たちを治め、頂点に君臨していた王だ。
向こうだってこんな狂ったゲームを早く終わらせたいはず。
きっと今するべきことを明確に理解し、動き始めているだろう。
何たって元王だ、よっぽとのことがない限り大失敗をしでかすことはないと信じたい。
「...様! 魔王様!」
「...ん? どうした」
王座に座る俺を、近くで心配そうに見ていた大臣らしき老人が呼んだ。
「どうしたじゃありませんよ! さっきからぼーっとして、相手の話しを聞いているんですか?」
「相手...?」
相手と言われたが、周りを見渡してもそれらしき人物はどこにも見当たらない。
いるのは、この老人と俺だけだ。
「おや? もうお帰りになられた...。 全く、相変わらず神出鬼没なお方だ...」
「相手って...」
「まさか相手の顔もちゃんと見ていなかったのですか!? リッチ様ですよ!」
リッチ...!? リッチって...別名死神とも呼ばれるあのリッチか...!?
死を司るというだけあって、人間の間でもかなり恐れられていることで有名な魔族だ。
確か、魔界大元帥とかいうエリート司令官の内の一人で、死んだ魂の審判をしていると聞く。
暇さえあれば度々人間界にも訪れて暗躍しているらしく、その容姿、見た者によって証言は様々だが、いずれも雰囲気から見て同一人物だと言われている。
この老人が言ったように、こちらでも同様に神出鬼没で亡霊のような奴なんだろう。
どうせなら、この機会に真相を確かめておくべきだった...。
「...魔王様!」
「...! 何だ?」
またも考え事に熱中してしまっていたようで、さっきと似たような反応をしたが、老人は先ほどよりもずっと深刻そうな顔つきになっている。
「本当に大丈夫ですか!? 昨日よりも大分疲れが見えますが...仕事に支障がでるようであれば、たまには休まれてもいいんですよ?」
どうやら老人は本当に俺の身を案じているようだった。
確かにこのままでは雰囲気が重くなりばかりで、いつ呪術師の診察なんかをされるかもわからない。
ここは素直に言葉に甘えるふりをし、いったん心を落ち着かせた方が良さそうだ。
「そうだな...。 お、私も大分疲れが溜まっているみたいだ。 お前の言う通り、少し休ませてもらうよ」
癖で俺と言いそうになったが、魔王の一人称が私か我だったことを思い出し、咄嗟に言いかえる。
「かしこまりました」
「では、ゆっくりお休みください」
魔王の自室らしき部屋の前で老人と別れ、中へ入る。
あの老人、疲れた俺を何も言わずとも部屋まで先導してくれるとは...。
何て気遣いのできる良い部下なんだろうか。
恐らく、俺一人で謁見の間を出てきても、城内で迷ってここまで辿り着けなかっただろう。
俺も魔導士程ではないが一応魔法の心得があるので、この部屋に特殊な結界が張ってあることが分かった。
恐らく、その部屋の管理者しか入れない、もしくは、管理者が許可した者しか入ることができないような結界がある部屋だ。
主に王族や領主の部屋などに使われる高度な魔法である。
自室や仕事机といったプライベートな空間では、その人の性格が出るというが...魔王、道理で隙が無いわけだ。
結界まで張られた完璧なプライベート空間であるというのに、他の部屋と変わらず清潔で整理、整備が行き届いている。
当然、基本的な掃除等は使用人に任せているのだろうが、生活感が残る書斎スペースの机周りや、本棚の整い具合を見ると、有能なできる上司といった印象を受ける。
今からはこの部屋は俺の使う空間となるのだが、この心地いい状態はできるだけ崩したくない。
さっきから気になっていたまさに王族といった感じのふかふかな天蓋付きキングサイズベッドに腰を下ろし、どうせなので仰向けに寝転がってみる。
晴天日に自然の音を聞きながら木陰や草原で昼寝するのとは、また違った良さがあった。
急に人生観というか、人生そのものが変わってしまうようなことをされ、初体験の連続だったこともあり、精神的な疲れが大きかったのだろう。
ベッドに入ったのをきっかけに一気に緊張感が抜け、その疲れからの睡魔に襲われた。
今後のことについていろいろと考えるつもりだったのだが、身近な予定も知らないまま眠りについてしまった。
夢と現実の狭間で、あの老人の声がかすかに聞こえた気がしたが、眠気の方がそれに打ち勝っていた。
「...起きて! 早く起きて!」
小鳥の囀りのように心地よく優しい声で目が覚めた。
「早く扉を開けて! 外が大変なの!」
「何だよ...別に何も聞こえないじゃないか...」
誰も入れるはずのない部屋で聞いたことの無い声に指図されてることも大して気にせず、目を擦りながら起き上がる。
「この部屋は防音も完璧なの! いいから早く!」
「...そんな、まさか...!」
それが本当だとすれば、いつか聞こえたあの老人の呼び声も、本当に心配して必死に俺の安否を気にかけている声だったということか...!?
何やらとんでもないことをやらかしてしまったような気がして一気に眠気が覚めた。
慌ててベッドから飛び起き、恐る恐る部屋の扉を少し開ける。
その隙間からゆっくりと顔を出して外の光景を覗くと、眠気どころか血の気が引き、身が凍り付くように感じた。
扉の向こう側に広がっていたのは、手術室前で待つ親族のように、魔王である俺を心配する人々だった。
あの大臣仮称の老人を始め、使用人や兵士、もう少し遅ければ強行突破でもするつもりだったのか、魔導士らしき者達までいる。
俺が扉を開けた瞬間、それらが一斉にこちらを見たのだ。
トラウマになってもおかしくないレベルの恐怖と罪悪感を感じ、とりあえず扉を閉めた。
心を落ち着かせて軽く身だしなみを整えると、深呼吸をして覚悟を決め、再び扉を開けた。
「魔王様~!!」
俺が扉を開けると、例の老人が勢いよく俺に泣きついてきた。
「魔王様...よくぞご無事で! 6分以上たっても出てこないので室内で何かあったのかと心配しましたよ...」
6分...?
確かに仕事場や団体行動をする場では5分前行動が重視されると聞くが、たった6分でもここまでの騒動になるのか...!?
というか、普段の魔王がいかに時間厳守でしっかりしたやつなのかというのが、だんだんと見えてきた。
「すまない。 私は少し体調が優れないようだ。 私のせいで迷惑をかけてしまったことは十分理解している。 お前たちも疲れているだろう。 これはせめてものお詫びとして、城の者たちに明日から3日間の休暇を与えよう」
「そんな...! よろしいのですか魔王様!?」
驚く老人だけでなく、その後ろにいる者たちも動揺しているようだった。
「ああ、たまにはお前たちにも休みは必要だろう。 それに、3日あればこの程度の疲れは自力で治せる。 休み明けにはいつもの私に戻っているはずだ」
一日目だけでこの騒動。 これから先、気の抜けない日々が続きそうだ...
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