彼の罪

 親子で街に買い出しに行っていた少年は、父に商店街に連れていかれた。しかし、その日連れていかれた商店街はいつもと違い、子供が行くには刺激の強いものだった。屋根もない、不正規の闇市で、足の踏み場もない雑踏には、様々な種族、民族がごったがえしていた。また彼らの自分を見る目もこれまで経験したものとは違った。不思議だった。ただいるだけなのに、ある者は不快な表情を向けてきたり、目を背けようとするのだ。

 人の姿と臭い、その情報量の多さに少年はめまいを起こしていたが、ふと開けた場所に目を凝らした。そこには檻に入れられたフェルプール同族たちの姿があった。中には自分と同じくらいの年齢の少女もいた。

「あれをよく見ておけ」

 父が言った。

「あれがこの世界の正体だ。俺たちが一歩間違えたら足を踏み入れる場所なんだよ」

 世界の全てをあざ笑っているような言い方だった。少年は父が嫌いだった。意識的にこういう露悪的な振る舞いをすることも、わざわざ自分の手を引いてこういう光景を見せようとすることも。

 その後、父と子はまっすぐに帰らなかった。父は妻から預かった金で、村のなじみの酒場で飲み明かしていた。少年は何度も父に早く帰ろうと袖を引っ張るが、酔いが回った父は言うことを聞かない。

「おいおい、クライスラーのとっつぁん、今日は飲み過ぎじゃねぇのか? またにするのだけは勘弁してくれよ?」酒場の主人が心配して言う。

「ばっきゃろぉ」父は言う。「いつまでも貧乏人扱いすんじゃねぇよ~。もうすぐしたらなぁ、おめぇらだって、俺のことをクライスラーの親分~って呼ぶことになんだぞぉ~」

「何だいそれ」

 店主があきれていると、後ろにいた常連客が「こいつ、マセラティ一家に入るんだってよぉ」と、酒で赤らめた顔で言った。

「なんだ、とうとうホンモノのヤクザ者になっちまうのかクライスラー、お前の親戚はどいつもこいつもろくでなしばっかだな」

「うるせぇ、今のうちに言ってやがれ~」 

 そう言うと、父は椅子からずるりと落ちて仰向けになった。周りの客が「飲み過ぎだ馬鹿」と冷ややかな視線を向けていた。

「おい坊主、もうこうなっちまったらどうしようもねぇから、お父ちゃん引っ張って帰んな」

 少年はうなづくと、寝転がっている父の懐から財布を取り出そうとする。

「そういうことはしなくていい」店主は言った。「またになった時に親父さんに払わせるよ」

 少年はうなづくと、父親を引っ張って出ていった。

「しかしまぁ、あの坊主はクライスラーのどの男とも似てねぇな……。」

 店主が店から出ていく少年の後姿を見ながら言うと、常連客のひとりが「それを言うなら娘だってそうだぜ。親父とは全然似てねぇ。ありゃメルセデスのおかげだな」と言った。「こうやって、ゆっくりクライスラーの血も薄まっていくのさ、世の中が平和になって良いことだ」

 「違いねぇ」と、酒場の常連客達は声を上げて笑いあっていた。

 一方の少年は、店を出た後に父を連れて冬の寒空の下を歩いていた。しかし、父は体を完全に子供に預けてしまって、ふたりは一向に家にたどり着くことができない。冬の夜だというのに、少年は汗をかいていた。

「父ちゃん、重いよぉ~」

 しかし、聞いているのかいないのか、父はぶつくさ言ってそれに応えるだけだった。

 疲れてしまった少年は、父をいったん木の根元に横たわらせて体をゆする。

「父ちゃんってばぁっ、しっかりしてよぉっ」

「へへ、もうすぐなんだよ~」

「もうすぐって、なにが~?」

「もう少ししたら、うちにもたんまり金が入ってくるんだ~、ようやくでっけぇ仕事につけるんだからなぁ」

「ああそうっ」

「そしたらなぁ、お前らに良い暮らしだってさせられるし、マイの病気だって治るんだよぉ~」

「……もぅ」

 父親の大口はいつものことだった。やれ大物と知り合いになっただの、やれ金山を掘り当てただの、そういった山師根性が旺盛おうせいな父からは年がら年中嘘が出た。そして、少年はこういう実のない父の言葉が嫌いだった。

「今日の市場で見たような、あんな酷ぇおもい、俺は家族にはさせねぇ……。」

「分かったから、もう帰ろうよぉ」

「何だお前、父親の言葉を疑ってんのかぁ?」

「そういうことは言ってないじゃん、帰ろうって言ってるのっ」

「おう、帰れ帰れ。お前みたいな話の分からない馬鹿とは話しててもどうしようもねぇ」

「ほんとに置いてくよぉ?」

「ああけっこう、ここで酔いをさますさ。ひんやりしてて気持ちいい~」

「もうっ」

 少年は呆れて自分だけ家に帰っていった。遠くから父のいびきを聞いていた。

 家に帰ると母と姉はもう眠っていて、疲れて果てていた少年は床についた。

 そうして夜が白んできた頃、少年たちの家の戸がけたたましくノックされる音が家中に響いた。

「たいへんだ、メルセデスっ!」

 声は近所の農民だった。

 メルセデスは声の主の慌てっぷりに、急いで戸を開けた。

「どうしたんだいマフダさん? こんな、まだ夜も明けてないじゃないのさ?」

「大変なんだよメルセデスっ! あんたの旦那さんが!」

「……あの人が、どうかしたのかい?」

 村人が発見したのは、硬くなったクライスラーだった。男は気持ちよさそうに眠ったままだった。酒瓶を胸に抱え、永遠に目覚めないという事を除けば、幸せそうな姿だった。

 誰もが、酒を飲み過ぎた男が冬の屋外で酔いつぶれ、そのまま亡くなったのだと、よくある話だと結論付けた。ただひとつ、クライスラーの男だったということ以外は。


「お袋と妹を守らねぇといけねぇと思ってた。……だが、結局誰も救えなかったよ」ディアゴスティーノは自嘲する。「女はみんな俺の前からいなくなる」

「……これから君には富も名誉も集まる、女だって寄ってくるだろう」

「そういう意味じゃねぇことくらいは分かってんだろ」

「……なぁクラスラー氏」イヴェナは口をぬぐった。「私と一緒になる気はないか?」

「一緒になるってぇのは……そりゃもしかして、そういう話か?」

「そういう話だ」

「なんだ、やぶからぼうだな」

「形式だけの夫婦で良いんだ。私の足元はいま不安定だし、四老頭もまとまっていない、ロールズ一家の処分もあるしな。誰かが後ろ盾になってくれると助かる。それに……私の家の名は尊ばれているが疎まれてもいる、相手を見つけるのにも一苦労だ。人から勧められたり強いられるのも御免だし、私は何としてでも自分の時代を自分の力で作り上げたいんだ。そしてそれには……今の所しがらみのない君が一番の適任だと思っている。君にも後ろ盾ができるんだ、マセラティの血という後ろ盾がね」

「しかしだなぁ、その……子供とかはどうするんだ?」

「そんなもの、どうにだってなる」

 結婚を申し込むにしては驚くほどに冷静な物言いだった。まるで強い権威を持つ父が、娘の結婚を勝手に決めているような淡々とした口調、しかし、それは他でもない当事者の話だった。

「……なるほど、魅力的な話だ。……だがお断りするよ。申し出は嬉しいんだがね」

 ディアゴスティーノはイヴェナを見る。彼女は次の言葉を待っていた。

「急に大きな力を持つってのはろくなことが起こらねぇ、転生者しかりな。力の周りにいる奴らでさえ、その力のことを必要以上に心配するもんだ。ものが発芽する前にも枯れちまった後のことさえにも、気をもんで右往左往しやがる。もし俺たちが一枚岩になっちまったら、他の四老頭は俺たちを潰すために協力するだろうぜ。俺とあんたが組んでも、四老頭全てを敵に回すのは分が悪い。……それに、俺たちは今たがいに足を引っ張れるし、互いに後ろを刺しあえる状態だ。。ベルトーレの部下の中には、まだ俺を認めてねぇ奴らがいる。他のファミリーにだって、今回の俺のやり方には不満を持ってる奴がいるだろうさ。で、オメェの方は自分の部下を掌握しきれていねぇ。お互いがお互いの弱みを知っている……それが大事なんだ。カードは持っているだけで良い、それだけであんたは俺を潰すができるんだからな。俺を嫌う奴があんたになんらかのギフトを持ってくることだってある」

 ゲームを続けるなら、カードの種類は多い方が良いだろう? とディアゴスティーノは言った。

「……なるほどね」イヴェナは小さく何度もうなづいた。「確かに君の言う通りだな……。」

「そんなにしょげなさんなよ」

「いっとくがねクライスラー氏、形はどうであれ私は今プロポーズをして、そしてふられたんだぞ」

「……なるほどね」ディアゴスティーノはイヴェナの隣に席に座った。「確かに、身内になるってことはできないが、こうして時おり逢瀬おうせを楽しむってのはどうだい?」

 ディアゴスティーノはイヴェナの腰に手を回し顔を近づける。

「……図に乗るなよクライスラー」

 イヴェナは杯の酒をディアゴスティーノの顔に引っかけた。

 顔から酒を滴らせ、ディアゴスティーノがとぼけた顔をする。しかしそのわざとらしい顔を見る限り、彼はあまり役者としは優れていないようだった。

 イヴェナは席を立ち、コート掛けにあったコートを羽織る。そしてそのまま立ち去ろうとしたが、その足は勢いを失い彼女は立ち止まった。

「……気を使わせたな、クライスラー氏」

「良いってことよ」

 得意げに笑うディアゴスティーノ、顔からはまだ酒が滴っていた。

「いったい、君はどんな女に心動かされるんだ?」イヴェナが顔を傾け訊ねる、すでに嫌悪の表情はない。

「どんな女……」ディアゴスティーノは言う。「そりゃあ……誰からも支配されない女だな」

「妙だな」イヴェナは微笑む。「心当たりはあるんだが」

「そして……」ディアゴスティーノは笑う。「誰も支配しない女だ」

 イヴェナは苦笑した。

「女に夢を見すぎだクライスラー氏、一生バラ色のもや・・の中で黄金の蝶を追い続けてろ」

 イヴェナはコートを翻して去って行った。

 ひとり残されたディアゴスティーノは、仕方ない笑いを浮かべながら酒を口に運ぶ。そんな彼の姿を見て、給仕が「何か拭くものをお持ちしましょうか?」と訊ねてきた。ディアゴスティーノは、「いらねぇ、チェイサーをくれ」と、顔を酒で濡らしたままの顔で言った。

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