嵐の後の雨

 ディアゴスティーノがサリーンの家へ行くと、異変に気付いた。玄関の前に大小の鞄が出されている。

「……なんだ?」

 入ると、部屋の中ではサリーンが大きな鞄に服を詰め込んでいた。ディアゴスティーノが入ってきたにも関わらず、サリーンは彼の方を見ようともしない。

「……どうしたんだ?」ディアゴスティーノは言う。「何も言わずに引っ越しか?」

「ええ……。」サリーンはてきぱきと手を動かしながら言う。「こんな危険なところに娘を置いてはおけないから」

「危険って……心配するな、もう大丈夫だ」

「大丈夫? 何が?」

 サリーンはディアゴスティーノを見ようとしない。

「お前らを傷つけようとする奴らは全員……」

「始末したものね」苦々しくサリーンはため息をつく。

「……おいおい、どうしたってんだ?」

 ディアゴスティーノはサリーンに近づいていく。

「もううんざりなの」サリーンは鞄をバタンと閉めて、ディアゴスティーノを睨んだ。向けられた瞳は、これまで彼の見たことのないものだった。「あなたにも、あなたの仕事にも!」

「何を言ってるんだ? ちょっと落ち着けよ。最近忙しすぎて余裕がなくなっちまってるだけだぜ、お互い」部屋の隅にいるアリエルにディアゴスティーノは近づいた。「よぉアリエル、飯でも食いに行こう。すっげぇ良い店に連れてってやるよ、デザートには……」

に近づかないで!」

「……サリーン」

「あなたからは血の臭いがするの……」サリーンはおぞましいものからそうするように、ディアゴスティーノから顔をそらす。「あなたからも、この街からも……。」

「おおげさだぜ、サリーン。俺はちょいと他とは違う仕事に就いてるってだけじゃねぇか……。」

 サリーンは「他とは違う仕事?」と苦笑して、鞄を手に取り立ち上がった。

「ディエゴ、あなたは怪物よ……。」

 そう言って、母娘は家を出ていった。

 取り残されたディアゴスティーノは呆然と立ち尽くし、そして部屋の真ん中のソファにどさりと腰を掛けた。

 ディアゴスティーノは部屋を見渡して呟く。

「なんでぇ、空っぽになっちまったじゃねぇか……。」

 しかし、彼女の持っていった荷物の少なさを思い出し、ディアゴスティーノは苦笑した。

「いや……もともと空っぽだったな……。」

 自分の女への想いへの証として捧げた、母と娘二人が過ごすには大きすぎる家は、寒々しい街の片隅に廃棄された空箱のようだった。



 その夜、ディアゴスティーノが呼び出されたのは、マセラティのシマにあるレストランテだった。以前、ディアゴスティーノが四老頭と顔を合わせた所だ。前回は昼まで他に客がいなかったが、夕暮れ時の今は多くの客がいた。フェルプールの中でも、上流階級と目される人々がディナーを楽しんでいる。イヴェナはそこの一室で、人払いをした状態で待っていた。

 部屋に入るなり、ディアゴスティーノは中折れ帽を取り頭を下げる。「今宵はお招きいただきありがとうございます」

「そうかしこまるのはやめてくれ。立場上、私がファミリーのドンとはいえ、君の方がこの稼業は長いんだ。これから君に助力を乞うこともあるだろう」

 イヴェナ・マセラティは言った。イヴェナは成人するまで、身の安全と生来の気の難しさから修道院に入れられていた。しかし、その修道院では「修道女になるにはマセラティの血が強すぎる」とうとまれてしまうほどに、彼女のたたずまいには威圧感があった。ダークブラウンの長髪に吊り上がった眉毛、眼光の強い瞳をもつイヴェナ・マセラティを、誰もが男装すれば男だと疑わないだろう。下がスカートになっているモスグリーンのスーツを着ている今でさえ、もしかしたら美丈夫(※美しくりっぱな男子)の女装だと見る者もいるかもしれない。

「マセラティの新しいドンは謙虚さも身につけていらっしゃる、マセラティの未来は安泰ですな」

 ディアゴスティーノが冗談めかして言うと、イヴェナは笑った。その彼女は間違いなく女性と見えた。

「おべっかはよせ、うちはまだ足元がごたついている、前途は多難だよ」

「凪になる方が珍しい稼業だ。……で、そんなお忙しいイヴェナ・マセラティがどんなご用向きで? まさか、俺に一目ぼれしてデートに誘ったわけでもないでしょう」

 ディアゴスティーノはやや下卑た笑いを浮かべつつ、イヴェナのテーブル越し、正面の席についた。

「軽口を叩くのは不安の表れか、それともその反応で相手を計ろうとしているのか……。無礼も相まって二重に不愉快だな」

「……。」

「しかしクライスラー、私が君に一目置いているのはその腹芸だ。教えを乞いたいところだが、それはきっと天性のものだろう。だが、私が気にしているのはその技術じゃない、深さだ」

「深さってぇのは?」

「君がどこまでを自分のために人を利用できるかだよ。君が親兄弟さえも道具の一つと考えているような奴なら、私もベルトーレのような態度にならざる得ない」

「ハグをするこたぁねぇ、シェイクハンドだけで十分だろう。ホントの所、誰だって他人の心の内なんて知りようがねぇんだ」

「ああそうだ。だがこんな我々でも、いや、我々だからこそ仁義というものがある」

「……時代がかったヤクザだねぇ」ディアゴスティーノは苦々しく首をふる。「さすがマセラティだ」

「君はなにか大きな隠し事をしていないか? 身内のことで」

 ディアゴスティーノの体がピクリと動いた。

「身内の事? ベルトーレが言った事か?」

「違う、兄弟分の話だ。……君はロメオの死を利用したんじゃないのか? 当初君たちは劣勢だった、ロールズとベルトーレの繋がりが白日の下にさらされた後でも、我々は二の足を踏んでいた。だがあのロメオの、“嫌いな奴のいない男”の死はすべての関係者の背中を押したんだ。動かざるを得ない、あるいはと考えてしまうようにな」

「……。」

「ロメオの死で君たちのチームは結束も強めたはずだ。彼の死は君にとって都合が良すぎることが多い。パズルのピースがぴたりとはまって絵図が完成した。すべては後付けだが、私は組織の長としての臭いには敏感になっておかないといけないんだ」

 ディアゴスティーノは「俺も一杯もらっても?」と訊ねると、イヴェナはうなづいた。ディアゴスティーノは給仕から酒をもらうとそれをひと飲みする。

「……確かに、あのしらせを聞いた時、これで一気に巻き返せる、と思ったのは確かだ。だが、さすがにそこまで冷徹じゃねぇよ。俺が本気でやるんなら、あいつをどこかに隠して、別のちんぴら、この場合はロールズのところの適当な奴を見つくろって、そいつを死体にして偽装する。そんで、騒ぎがおさまりゃ“ロメオは実は生きてました”ってやれば良いだけの話だ」

「……それで通用するのか?」

「焼いたりして、に分かんなくすりゃいいだろ」

 イヴェナはたんたんと凄惨な計画を話すディアゴスティーノに眉をひそめる。

「……だがクライスラー、君は私の言葉に反応した。ロメオではないなら、身内の隠し事とはなんだ?」

「ここで杯を交わしたいってんなら、それ相応のもんを出してもらわないとな。俺が心を開きたくなるようなギフト……とか」

「……それは、そうだな」イヴェナは杯の酒をすべて飲んだ。そして給仕にお代わりを命じてから話し始める。「私は父の、ヴィトー・マセラティの落とし子(※妻以外の女に生ませた子)だった。母は家にいた家政婦だ。まぁ、そのおかげで修道院に入っていたし、他の子共と違って早死にせずに済んだのだが」

 ヴィトー・マセラティの子供は三人いたが、皆成人する前に亡くなっている。謎の病死と事故死だった。

「……知っているのは?」

「ごく一部の幹部だけだ」

「違う、俺が知ってるのを知ってるのは?」

「まだいない」

「勘弁してくれよ、その話が下手に広まったら俺のせいにされる。問題は秘密をばらすことじゃない、この手の秘密は抱えた方が不利になるやつじゃねぇか」

「その通りだ、だが君が希望したんだぞ、私からのギフトを」

「けっ、食えねぇ女だ」

「これは食えるギフトじゃあない、これは襟元に飾ってもらうものだよ、忠誠のあかしだてとしてね。……で、クライスラー氏、君の秘密はいったい何だ?」

 ディアゴスティーノはしばらくイヴェナを見つめた。そしてため息をつくと酒を一口飲み、口をうるわせてから話し始めた。

「父親を……」

「父親? クライスラーか?」

「ああ……クライスラーだ」

 いったんためらい、そしてディアゴスティーノはその告白をした。

「俺は父親を殺した」

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