紅の宴
ディアゴスティーノ・クライスラーが会場の入り口に立っていた。うす水色の中折れ帽に、水色のダブルのスーツ、光さえも飲み込むような黒い革靴に身を包んだディアゴスティーノは、他の来賓の誰よりも
「おい……あれ」
「……クライスラーだ」
「生きてたのか……。」
来賓たちは口々に言う。そんな彼らなど眼中にないかのように、ディアゴスティーノはまっすぐにイヴェナを含む四老頭の前へと歩き出す。
「……待て」
ディアゴスティーノの前に男が立った。ヴィトー・マセラティからの部下、アルフェルドだった。
「改めさせてもらうぞ、クライスラー」
そう言って、アルファエルドはディアゴスティーノの体をスーツの上から触り始める。
「懐かしいな」ディアゴスティーノは無表情で言う。
「お前の無駄口もな」アルフェルドも無表情で言う。
アルフェルドは体を調べ終えるとイヴェナを見る。イヴェナがうなずくとディアゴスティーノは彼女の下へと再び歩き始めた。
イヴェナの前に
「偉大なるイヴェナ・マセラティ、お父上と同じ手をしてらっしゃる」
ディアゴスティーノが言うと、イヴェナは微笑んだ。口元だけの笑みではなかった。
立ち上がると、ディアゴスティーノは近くにいたベルトーレに顔を向ける。「久しぶりだな、ベルトーレさん。お体の具合は良いので?」
ベルトーレは周囲を気にしつつ「ああ……。」と言う。額から脂汗が流れていた。
「
そう言ったのはロールズだった。
「これはこれは、ロールズさん。その節はどうも」
ディアゴスティーノは右手を差し出す。
ほんの一瞬、ロールズは考えたが、その手を握り返した。武器は持っていないことは確認済みだった。
ロールズはディアゴスティーノに顔を近づけて
ディアゴスティーノは言う。「すぐにでも礼がしたいと」
ふたりは顔を離した。そして笑顔で応え合う。
ロールズは不敵に笑う。「いったいどうやって──」
笑顔から一転、ディアゴスティーノの顔が一瞬にして紅潮した。
そして拳をふり上げてテーブルの上にあった杯を叩き割った。
ディアゴスティーノはその杯の破片を握りしめると、それをロールズの首に突きさした。
ロールズは首から血を流しながら「あが……。」と呻く。
「ロメオからだ受け取れくそったれ」
そしてディアゴスティーノは破片を真横に引き、ロールズの首を切り裂いた。切るよりも引きちぎるに近い切り口から、噴水のように血が噴き出していた。
突然の出来事に言葉を失う来賓たち。ディアゴスティーノはテーブルの上に飛び乗ると、親指で首をかっ切るジェスチャーをした。
「やれ」
一斉に男たちは動き出した。
来賓に扮していたディアゴスティーノの部下が連れの女性の髪飾りを引き抜き女の髪がはだける。部下は隣にいたロールズの手先の首に髪飾りを突きさした。髪飾りは暗器になっていた。
また別の部下が
また別の部下は、ローストチキンを取り分けるためのナイフを手に取る。そのナイフは調理用にしては鋭すぎた。部下が背後からロールズの手下の首をかっ切れるくらいに。
イヴェナの
四老頭のひとり、アウディとその部下が前に進み出て騒ぎに
しかし、そのアウディたちの前に、マクラーレンがたちはだかった。
「お前は……。」アウディが言う。
マクラーレンはアウディたちに対して頭を下げて言う。
「アウディ一家には恥をかかせません。どうかここは……。」
アウディは室内の様子を見渡す。殺されているのはロールズとベルトーレの直属の部下たちだった。同じ四老頭のルノゥは恐れをなして縮こまっているが、彼とその部下にはディアゴスティーノたちは手を出そうとしていない。イヴェナにいたっては、コンサートで興味のない音楽を聴いているようであった。
「……なるほど」
すべてを悟ったアウディは部下を下がらせた。
「あ、あ……。」死んでいく自分側の人間を目の当たりにしながら、ベルトーレからはみるみる力が失われていった。頼みにしていたロールズはとうに息が止まっている。
「き、きさまぁ!」ベルトーレが叫ぶ。「ク、クライスラー! な、なんてことをっ! こんなことしてただで済むと思ってんのか!?」
イヴェナは椅子に座ったまま、厳しい瞳をベルトーレに向ける。
「まったく、とんでもないことをしてくれたな……ベルトーレ氏」
「な!? いったい……なにを……?」
「君の不始末でこんなことになったのだ。君は麻薬の売買、それにアウディ一家襲撃に一役買っていた。私が何も知らないとでも? マセラティの名に泥を塗ったこと、そのけじめはつけてもらおう」
「そ、そんなぁ……。」
ベルトーレはすぐに察した。ファミリーのドンが、今夜おこったことのすべてを自分に被せようとしていることを。
ベルトーレがふり返ると、そこにはディアゴスティーノが立っていた。ディアゴスティーノの顔が問うていた。「どちらにするか?」と。
「う……ぐ……。」
「務めを終えたらお前の今回の不始末は目をつむってやろう」
ベルトーレはイヴェナの部下に囲まれて部屋を出ようとする。
「そんなにアルベルトの再来ってのが嫌かね? いい加減大人になりなよ、おっさん。喧嘩ばかりがすべてじゃねぇ」
「俺が言ってるのは貴様の血の問題だ!」
「知らなかったな、あんたクライスラーの血統にビビってたのか?」ディアゴスティーノは言う。「心配するな、俺はちったぁお袋の血で薄まってるさ」
「お袋? メルセデスのことか? ……はんっ笑わせるな! 何も知らないんだな、貴様はメルセデスの血なんぞ引いていない!」
「……なんだと?」
「クライスラーの親父が、どこぞの女との間に勝手に作った私生児だ貴様は! ある日突然お前の親父がメルセデスの所に連れてきたんだよ! お前はガキ過ぎて覚えちゃいないだろうがなぁ!」
室内の視線がディアゴスティーノに集まっていた。
「……。」
「いや……。」ベルトーレは顎から汗を
「もしかしたら、クライスラーの血すら引いていないかもな」
「とっとと連れていけ!」イヴェナが命じる。
「残念だったなディアゴスティーノォ!」イヴェナの部下たちに引っ張られながらベルトーレは叫ぶ。「テメェは誰とも繋がっちゃいねぇ! お前ら覚えておけ! どこの血筋とも分からん奴にお前らは
イヴェナの部下に「もう黙れ!」と殴られベルトーレは黙った。
「……まったく、よりにもってあんな嘘をつくとは。
イヴェナは全員に聞こえるように言った。宴が始まってから終始堂々としていた彼女にとって、唯一のわざとらしく、とりつくろいの見える振る舞いだった。
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