ロメオ⑪
大げさな言い方をすれば、サリーンは愛の力があれば悪いものは自分たちの周りから追い払えると信じているような女だった。そういう女は良い、どんな苦しい状況でも明日を信じられるんだ。メルセデスもそんな女だった。だが、愛の力ってのは場合によっては単なる願いにしかならないこともある。彼女がどんなに望もうが、ディエゴの仕事は大きくなっていった。例え日のあたる場所を歩いていても、影がどうしようもなく濃くなっていくように。それはディエゴ自身について回るものでもあったし、影の方からディエゴを求めるものでもあった。
俺たちの仕事は大きくなるにつれて、自分たちでは制御できないものになりつつあるように俺には感じられた。目的地を目指してスピードをぐんぐん上げる馬車、不安になってそこから下車したくもなってくるが、もうどこで止まって良いか分からない。もしかしたら、後はもう飛び降りるしかここから離れることはできないんじゃないか、そう思っていた矢先に事件が起きた。
俺たちの
俺とディエゴはベルトーレに例の如く呼び出されていた。
「とんどもないことになったな、クライスラー」
久しぶりに会うベルトーレは少ししぼんでいた。太っているから短めに見えると思っていた手足は、やせていても短かった。本人が健康に気を使ってそうなっているのならそれでいいが、以前の恰幅の良いおっさんという愛嬌はなくなっていた。代わりに疑い深い光が垂れた
「あんな事件があった後に、俺らのシマでヤクを売りさばこうって馬鹿がまた出てくるのは不思議なもんだ」ディエゴは言った。「もしかしたら、組織だって動いてる奴らが背後にいる可能性もありますぜ」
「それが厄介なんだ」ベルトーレの横にいたマクラーレンが言った。
「でしょうな」ディエゴは言う。
「ここで言う厄介は、お前の考えている厄介と少し違う」
マクラーレンの言葉に、ディエゴは訊ねるようにして右目を少し歪めた。
「本家のマセラティ一家は、うちが薬物の売買に関わってるんじゃないかと疑い始めている」
「……それはそれは」
「これは、以前よりもまずい事態だ、なんとしてでも解決しなければならない。そして……」マクラーレンが、ベルトーレに確認を求めるかのように一瞥する。「クライスラー、お前にマセラティ一家からお呼びがかかってる」
「……俺に?」
「今回の件、本家はもしかしたらお前たちが関わってるんじゃないかと疑ってるんだ」
「よしてくれよ」
ディエゴは軽く手をふったが、多分俺と同じで内心はビビりまくってると思う。この業界、始末されるには疑惑で十分だからだ。
「もちろん、俺たちもお前が関わってるとは考えていない。最近のお前の稼ぎをみたら、わざわざ危険なヤクに手を出す理由もないからな」マクラーレンの声の低い響きはヤクザのくせに人を安心させる。「だが、上がそう言っている以上、こちらも従わないわけにはいかない」
ディエゴは肩をすくめる。
マクラーレンは続ける。「詳細は追って報告する。すぐに動けるよう、自分のシマで待機しておけ」
俺とディエゴはうなずいて部屋から出ようとした。しかし……
「……ロメオ、お前は少し残れ、訊きたいことがある」
マクラーレンが俺を止めた。
「……え?」
俺とディエゴは顔を見合わせる。
「あの……え?」突然のマクラーレンの引き留めに俺は戸惑った。これまで、俺はベルトーレやマクラーレンと、ディエゴ抜きで話したことがなかった。
何かを言いたいものの上手く言えない俺を見ると、ディエゴは肩をすくめてひとりで部屋を出ていった。
「……あの、なにか?」俺は手のひらの中で、しずくが落ちそうなほどにべっしょりと汗をかいていた。
「もしかしたら、忘れているかもしれないから言っておく」マクラーレンが言った。「ロメオ、お前はクライスラーの部下である前に、ベルトーレ一家の、引いてはマセラティ一家の人間だ。お前の親はベルトーレさんであり、さらにその上にマセラティさんがいる」
「……忘れちゃいませんよ」
「もし、クライスラーがファミリーに何か良からぬことを企んでいたなら、お前はすぐに俺たち報告する義務がある」
「……わかってます」
俺たちは二秒くらい沈黙した。その二秒でも俺は十分に死ねそうだった。
「……ところで、さっきもマクラーレンが言っていたが、お前の所は最近ずいぶん忙しいらしいな」ベルトーレは感情が消えかかったような薄い水色の瞳で、舐めまわしているみたいにして俺を見ていた。
「は、はい」
「他のチームなど比べ物にならないくらい稼いでいるようだ」
「え、ええ……おかげさまで」
「そして奴は“社長”を名乗ると……。」ベルトーレは可笑しそうにマクラーレンを見る。マクラーレンの表情はピクリともしない。
「いや、あれは
「俺はワーゲンとお前らを組ませた時に、上下関係を設けた覚えはない。だが……」ベルトーレはため息をついて、膝の上の両手を組みなおした。「お前らはいつの間にか下と上になった。誰が見ても分かるほどにな」
「まぁ……そう、見られるでしょうね」
「お前は、それでいいのか?」
「……どういう意味です?」
「お前もワーゲンも、このままずっとあいつの下でいいのか? 奴がムショに入ってた4年間、チームを支えてきたのはお前らだろう?」
「……チームが上手くいってる以上、良いんじゃないかとは思っています。それに、さっきから質問の意味が分かりかねます。あいつは、ディエゴはいつだってフェルプール全体のことを誰よりも考えていますよ。いつも隣にいる俺が言うんだから本当です。心配しないでください」
「まぁ、俺も奴の腹の中は分からん。だが、気質は分かる」
「気質……ですか?」
「奴の家系のな。……お前も奴の幼なじみなら知っているだろう、“クライスラー”の血のことを。
「……ディエゴがすべてをぶち壊しかねないと?」
「奴の本音は問題じゃない。もし、奴がそうあるべき立場にふさわしくない行動をとっていると思ったら、すぐに俺に伝えろ。お前のチームはお前やワーゲンといった優秀なのがそろってるんだ。奴にこだわる必要はない」
「……分かりました」
「ベルトーレさんはお前に期待していると言っているんだ」マクラーレンが言った。
ようするに、こいつらは俺をディエゴの首輪にしたいらしい。おそらく、俺たちは上に睨まれ始めているんだろう。やっぱり、分相応を越えると
「……本当だぞ、ロメオ。俺は、普段からよくやってくれているお前たちに、新しい
ベルトーレの顔には悪意を隠すことのない、いじめっ子みたいな表情が浮かんでいた。この男は悪意を見せつけて俺にギフトを差し出している。それでも俺は、例え毒入りのケーキでも、立場上、いったんはそれを持ち帰るしかなかった。
俺がベルトーレの質屋から出ると、外ではディエゴが待っていた。足元には大量の煙草の吸殻があった。
「……先に帰ってくれてても良かったのによ」俺は言った。
「……オメェが戻ってこないって可能性もあり得るだろう」
俺はおどろいて質屋をふり返った。心臓が待ってましたとばかりに激しく鼓動する。
「……冗談だ。さすがにそんな露骨な事はしねぇだろうよ」
そう言うと、ディエゴは馬車に乗り込んだ。俺も続いて乗り込む。馬車が動きしてしばらくの間、俺たちは話をしなかった。俺は窓の外の景色を見る。面白みのない街並みだが、最低の気分の俺には一層退屈なものに見えた。
「……何があったか訊かねえのか?」俺は窓の外を見ながら言った。
「……多分」ディエゴも窓の外を見ながら言った。「ベルトーレの娘がオメェを気に入ったから、婿養子にしてぇとかじゃあねぇか?」
「……お前まで腹芸をやるのはやめてくれ」
「……分かってる。……厄介なことになっちまったな」
「……あいつら、お前がヤクを流してるって疑ってるみたいだな」
「……それだけじゃあねぇな」
「……どういう意味だ?」
「あいつら、俺たちのシマを、いずれ削り取れるよう下準備を始めてんだよ。お前にまず首輪をつけて、俺たちの間に亀裂を入れようって魂胆さ」
「……中での会話を聞いてたのか?」
「オメェの顔に書いてあるぞ」
あり得るわけがないのに、俺は思わず自分の顔を触った。
「なんで、そんなことを……。」
「まぁ、ひとつに子分が自分よりデカくなりつつあるのが気に食わないからだろう。あのベルトーレのおっさんだって、しっかりとヤクザ者なんだよ。それに、子分がでかくなったら、いずれ組を乗っ取られるか、そうでなくとも独立されてシマをごっそれ奪われる可能性だってある。それと……うちの仕事のやりくちを取り入れて、自分たちも一儲けしようってのもあるだろうな。いずれの場合でも、俺たちに亀裂を入れとけば、潰すのが簡単になる」
「……いつ頃からベルトーレがそういう行動に出ると思ってたんだ?」
「ヤクザになる時からだ」
「勘弁してくれよ……」俺はずるりと椅子に深く座った。
「逆に言うと、想定の範囲内ってことだよ。……大丈夫だ、心配すんな」
そう言うディエゴ自身も、そうは思ってなさそうな表情だった。
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