ロメオ⑨

 ひと仕事を終えた晩、俺とディエゴは酒場で飲んでいた。方々を歩き回った後だったから、俺たちは少し疲れていて無言だった。酒の良し悪しさえも言葉にしない。俺たちの間じゃあ、そんなささいな会話さえも使い古されていた。自分で言うのもなんだが、こんな風にディエゴと無言でいられるのは俺くらいのもんだ。恋人サリーンだって、こいつの難しさには会話を重ねて誤魔化しをうつ。

「……最高の贅沢ってのは何だと思う?」ほお杖をついたディエゴが遠くを見ながら言う。指に挟んだ煙草は今にも灰が落ちそうなくらいに長くなっていた。

「……最高の贅沢?」俺はディエゴの視線の先を見た。火の灯ったランプがあるだけだった。そこに答えはなさそうだ。「……さあな。良いもん食って、良いところ住んで、良い女抱く……そんなんじゃないか?」

「……俺が思うによ、最高の贅沢ってのは無駄なことに金を使うことだ。最高に無駄なことにな」

「……例えばなんだ?」

「例えば馬だ。荷車も引けない移動にも使えない、競馬で使うような競走馬をテメェんところで繁殖させんのよ」

「……それに何の意味がある?」

「だから意味なんかねぇよ。だから良いんじゃねぇか」

「……なるほど」なるほど、よく分かるような分からないような。「……で、お前はいつか馬でも買おうってのか?」

「そんな無駄なことするかよ」ディエゴはけったくそ悪そうに言った。

 なんだいそりゃ。

「オメェはどうだ? 使い切れねぇほどの金を手に入れたらどうしたい?」

「俺は──」 

 ディエゴが何かに気づいたように遠くを見た。視線の先に気づいた俺はそちらを見る。今度はそちらに答えがあった。ベルトーレの腹心のマクラーレンが酒場に入ってきていた。

 マクラーレンはこっちに気づくと、部下にモスグリーンのコートを預け、俺たちの方まで歩いてきた。俺とディエゴはマクラーレンに会釈する。

「聞いたぞクライスラー」マクラーレンは言った。「ダチアのところに金を貸さなかったそうだな」

「……ああ、情報が速いな」

「ダチアが俺たちの所にも話を持ってきたからな」

「あの野郎……。」

 ディエゴは俺を見て肩をすくめて笑った。俺は愛想笑いもできなかった。マクラーレンの言いたいことが分かっていたからだ。

 マクラーレンは俺たちのテーブルに座った。俺は煙草を取り出してマクラーレンにさし出す。マクラーレンは黒い皮の手袋をしたままの手でそれを指に挟んだ。俺はマッチを擦ると、両手でそれをマクラーレンに近づける。マクラーレンは顔を近づけて煙草に火をつけた。マクラーレンは俺を見て小さくうなずいた。俺は少しホッとする。

「……クライスラー、ダチアはここいらでも名の通った建築屋だぞ? なのにどうして貸し渋った? もちろん、考えがあるんだよな?」

「もちろん」

「……逆に、これまでウチが貸し渋ってた奴らに貸してるのもか?」

 ディエゴはうなずくだけだった。

「それだけじゃない、少額だが、お前がウチの債務者の借金をチャラにしてるって話も聞こえてきてるぞ。それさえも考えがあると?」

「考えなしに算盤そろばんは弾けねぇさ」ディエゴは俺を見て笑った。あまり俺を巻き込まないでほしいが。

「……そうか」マクラーレンも俺を見た。俺はマクラーレンの左の眼帯の奥からのぞき込まれたような気になって、辛抱できずに顔をそらしてしまった。「考えがあるなら良いだろう……と言いたいところだが、誰もが貸してたろうダチアに貸さずに、それどころか昨日今日商売を始めたような奴らに金を貸して、組織に大損かけたらただじゃすまないことくらいは分かるな?」

「……マクラーレンさん、あんたが心配してるようなことはねぇよ」ディエゴは相変わらずの自信に満ちた表情で、しかし幹部のマクラーレンを逆なでしないよう丁寧な口調で言う。「俺は組織のためを思ってこそやってるんだ。俺があんたの立場なら同じことを言いに来るだろうが、なぁに、そのうち俺に感謝する時が来るだろうぜ。俺は全部先を考えたうえでやってんのさ」

「……クライスラー」マクラーレンは座っている姿勢を変えた。「俺が欲しいのは言葉じゃなくて保証だ」

「俺があんたなら、やっぱりそれを求めるな」ディエゴも姿勢を変えた。「……そういえば、ベルトーレさんが娘ともめてたな。三下のチンピラに入れ込んで、あげく結婚したいだとか言ってるってぇな。……側近のあんたなら知ってるよな?」

 ディエゴは「父親ってのは大変だ」と肩をすくめる。

「……それがどうした?」

「その頭痛のタネが、もうすぐ解決するって話さ」

「……クライスラー、お前が何を企んでいるかは知らんが言っておく。まだガキだから分らんだろうが、若い男と女ってのは障害が増えれば増えるほど余計に自分たちの世界にのめり込むもんだ。俺だってあいつをのめして・・・・街から追い出すくらいのことは考えた。だがな、下手に奴に手を出せば、駆け落ちだってしかねんだろう。お前の考えとやらは、その先まで及んでいるのか?」

「駆け落ちの心配はねぇ。ただ、娘が傷心するかもしれないがな」

「……どういうことだ?」

「からんじまった糸だ、簡単には解きほぐせねぇ。どこかで誰かがちょっぴり割を喰らうが、今回の件ではそれが一番その割ってやつが小さくて済むやり方だ」

 マクラーレンはディエゴと俺を交互に見る。

「……クライスラー、正直いうと俺はお前のことを買っている」

「光栄です」

「だがファミリーに弓を引いた時は、遠慮なく俺はお前を始末する」

「あんたならそうすることを知ってるさ」

「そうなったら、逃げも隠れもできないことは?」

「あんたならそうすることを知ってる。なぁ、あんたが用心深いのは知ってるが、三度も同じことは言わせないでくれ。三度も聞かれたら、そりゃ単に俺の言う事には聞く耳持たねぇってことだぜ。最初はなっから俺を始末してくれよ」ディエゴは右の人差し指で自分の首をかっ切るジェスチャーをした。

 マクラーレンの目がすわった。勘弁してくれよ、ディエゴ。

「……そうだな、そっちの方が手っ取り早い」マクラーレンはたいして吸っていない煙草を灰皿でもみ消した。そしてマクラーレンが人差し指を立てくい・・っと動かすと、部下が寄ってきて預けられていたマクラーレンのコートを広げた。「だが、今夜はをしに来たんじゃあない」流れるような動作でマクラーレンはコートを羽織る。

「なんでぇ、帰るのか? 一杯くらいひっかけてけよ」

「そういうこともに来たわけじゃあないな」

 マクラーレンは颯爽さっそうとコートをひるがえして去って行った。いちいち様になる男だ。

 俺たちはマクラーレンが酒場から出ていった後も、しばらく扉を見つめていた。

「……正直言うと」指に挟んだ煙草を俺に見せた。一回も吸わずに煙草は根元まで灰になっていた。「ぶるっちまってよぉ、煙草吸うにも指が上がらなかったぜ」

 ディエゴは愉しそうにしているが、俺は呼吸をすることさえ忘れていて、口を開いた瞬間ぜえぜえと酷い風邪をやっちまったみたいに息を始めた。

「そこまでびびるこたぁねぇだろ……。」

「……お、お前なぁ、マクラーレンの言ったようにファミリーに大損でもさせてみろ、おれたち、ただじゃあすまないんだぞ?」

「マクラーレンの言ったようにならなけりゃあいいんだ。だったろ?」

「もしもってこともあるだろう?」

「“もしも”を心配するなら、あいつらに金貸して大損こく“もしも”だってあるじゃあねぇかよ」

「それは、そうかもしれないけど……。」

「……ようロメオ、これは単純な話なんだ」ディエゴは新しい煙草に火をつけ、火消しのためとはいえ乱暴にマッチを振り回した。「ポーカーで配られたカードを、人にめくってもらうか自分でやるか、そこに違いはねぇだろ。結果が同じだろうが、俺は自分で選ぶタイプなんだよ」

「そ、そうか……。」

 俺は少し釈然としなかった。

「祈る奴と祈らない奴の違いだ」

「……なぁディエゴ」

「なんだ?」

「でもさ、周りが勧めるとおりにやって、それでしくじっちまったら、同じ危ない橋でも多少は保険がかかるんじゃないのか? 組織の奴らも“まさか”ってことでおとがめなしとか」

「……なるほど」ディエゴは天井に向かって煙を吐いた。「そこまでは頭が回らなかったな……。」

「おぉい!」

「心配すんな、大丈夫だ。俺たちがつかんだ情報は確かだ」

「……だといいがな」

 しかし俺の心配のひとつはすぐに解消した。その酒場での会話から一週間もしないうちに、ベルトーレの娘が男と別れたという話が俺たちの耳に入ってきたからだ。

 裏で手を回していたたディエゴは、ベルトーレから直に礼をと、奴の部屋に呼ばれていた。もちろん、俺もその隣にいた。

「聞いたぞクライスラー、お前が裏で手を回してくれたらしいな」頭痛の種がなくなったベルトーレはずいぶんと晴れやかな顔をしていた。

「お役に立てたなら何よりです」ディエゴは得意げに頭を下げる。

「……ふむ」頬杖をつき、少し疑うようなまなざしをこちらに向けてベルトーレは言う。「お前に関しては最近、良くない話を聞いていた。金の貸し方が妙だとかな。だが、今回の件でお前への評価は上がった。娘の男関係の整理だからあまり表立った取り立てはできないが、俺としてはこの恩は決して忘れないつもりだ」

「それは光栄ですね」

「……ところで、いったいどうやったんだ?」ベルトーレは前のめりになる。「刃物をちらつかせたわけでも金をちらつかせたわけでもない。しかし、奴は綺麗さっぱり娘の前から消えやがった。しゃくさわるくらいに綺麗にな」

「そいつぁ企業秘密って奴ですぜ、ベルトーレさん」ディエゴは小さく首をふる。

「……。」

「ただひとつ言えるのは、俺にかかればこの手の難問だって片づけられるってことでさぁ。誰にもできないやり方でね」

「……なるほど」

「今後とも、何か困ったことがあれば是非うちのチームに相談してくださいな」

 ディエゴは「じゃあ」と頭を下げると部屋を出ていった。

 俺はディエゴの後について行きながら、背中が笑うのを必死にこらえていた。恐怖とおかしさでどうにかなりそうだった。

 ディエゴの評価の上りっぷりはこれだけでは終わらなかった。ダチアの野郎が夜逃げしたという話が俺たちの界隈で話題になったからだ。実はダチアの奴は娼婦の女に入れ込んで、そいつに貢ぐために経営している建築屋の営業資金に手を出して首が回らなくなっていたらしい。奴に金を貸した金貸しは大損をこいて、今では血眼になって奴を追っているが、まぁ無駄だと考えた方が良い。ダニエルズかアルセロールか、隣の国にでも飛んじまえばこらとしてはお手上げなんだから。

 数々の出来事の先を見越すディエゴのことを、周りの奴らはこう言うようになった。“ディアゴスティーノの千里眼”と。それは俺たちフェルプールだけじゃあない、他種族の、人間の商売人なんかもそれを口にするようになっていた。ベルトーレの名は知らないが、ディエゴの名は知ってるって人間もいるくらいだ。

 だが、俺に言わせればあれは“千里眼”じゃあなくて、“地獄耳”ってのが正しい。俺は別の角度から見てるから、奴の手品のタネが見えてるんだ。言ってるだろ、俺だけが真実を知ってるって。

 ディエゴは普通の男衆が煩わしいと聞き流すような、そんな女たちの噂話が商売になると考えたのさ。どうやら、カフェの女たちの控室でひらめいたらしい。そんなカフェの女たちの会話、街での噂話、そこには真実もあれば嘘もあるが、嘘なら嘘で嘘なりの広め方もある。そうやって女たちの情報から男の裏を知るってのはもちろんだが、ディエゴは女を使って男を動かしたりもした。それが例のベルトーレの娘の件だ。

 ディエゴは手練れのカフェの女を使って、ベルトーレの娘の彼氏を寝取らせたんだ。それが娘にばれて即破局、王子様が一晩ですけこましのチンピラになっちまったってことだ。夢から覚まさせる一番効果的なやり方だよな。

 流れてくる噂話にとどまらず、ディエゴは情報源の駒をさらに求めた。例えば、問題になっていたディエゴが借金をチャラにしてやった奴らのことだが、実はそいつらは神父の妻や街で信頼されている占い師の息子といった、人の裏側に日常で関わっている奴らの関係者だったんだ。そいつらに恩を売って、神父や占い師から情報を集めて利用する。ディエゴはまるで、暗闇に住み着いたクモみたいに、糸をせっせと張り巡らせ手繰り寄せ、人の動きをコントロールし始めていた。

 そのやり方には幼なじみの俺だってぞっとするものがあった。なぜって、ディエゴは最初から利用するつもりで神父の妻なんかを賭け事にはまらせて・・・・・借金漬けにしたわけだからな。

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