サリーン/ティエゴの恋人
ディエゴはカフェの従業員の
「そんなにお酒が強いわけじゃないのに……。」
そう言ったあたしに、ディエゴは「あ~」とうめいて答えるだけだった。
どうして男ってこういう見栄ばかり張るんだろう。ワーゲンに少し挑発されただけで、強めの火酒を交互にショットグラスで飲みあい始めて、とうとう最後に彼は倒れてしまった。彼がお酒が強くないって知ってるお友だちが止めれば止めるほど、余計に
「まぁ……ディエゴとワーゲンは、暗黙の了解でディエゴがこのチームのリーダーってことになってるが、明確な上下関係はないからな。たまにこうして張りあっちまうんだよ」
というのが、ロメオの見方だった。そういう浅はかなプライドは持っていない人だと思ったんだけど。
つきあってみて感じたことは、彼は存在がとにかく矛盾してるっていうことだった。最初はおぼろげな影の薄い人だと思ったのに、そこにいないといないことがすぐに分かる存在感があったりもする。年齢の倍以上の感性を持っているところがあれば、ある年齢で心が止まってしまっているところもあった。女の子に対しては声を荒げるようなことさえしないけれど、男に対しては平気で恐ろしい仕打ちをする。それも取り返しのつかないような仕打ちを。
先日、ディエゴがアリエルに新しい服をプレゼントしたいと言って、あたしとアリエルを街の洋服屋に連れていってくれた時のことだった。出会ってからというもの、彼の気さくな態度と絶え間ない贈り物攻めで、娘はずいぶんとディエゴに心を開くようになっていたのだけれど……。
洋服屋の店主はディエゴの身なりを見て、お金を持ったお客だと分かって接客してくれたみたいだった。けれど従業員のひとりが良くなかった。アリエルが試着している時に、陰で「猫耳のガキが着飾ってやがる」と笑っていたのだ。あたしたちフェルプールはヒトよりも耳が良い。その言葉はあたしにもアリエルにも、そしてディエゴにも聞こえていた。
ディエゴがその従業員を見た。目の色が変わっていた。あたしはディエゴのスーツの袖をつかんで首をふった。娘の前ではやめてほしかった。けれどディエゴは収まってくれなかった。
ただ歩いていただけだったのに、ディエゴはあっという間にその従業員の男の近くに立っていた。
「……よぉ、あんちゃん」
「な、なんだよ」
その従業員の男はディエゴよりも頭一つ高かったけど、ディエゴの剣幕に思わず身じろいでいた。
「つらぁ貸してくんねぇか」
「……は?」
ディエゴはとても自然な、ついている糸くずを取ってあげるくらいの動きで従業員の髪に手を伸ばすと、その髪をわしづかみにして床に引きずり倒した。さっきまでほほ笑んでいたディエゴの顔は、男の髪をつかんだ瞬間、顔そのものが入れ替わったように
「……!」
店内にいた者すべてが言葉を失った。
「い、いだっ、なにすんだ!?」
ディエゴは髪をおさえる従業員を引きずって店の外に連れ出す。普段、ワーゲンやロメオに比べると喧嘩が弱いと自分でも
「て、てめぇ、うぉ!?」
従業員が立ち上がろうとしても、その度にディエゴが突き飛ばす。さらにディエゴは四つん
「う、ふぅ……」
声も出せなくなった男の髪をつかんで、ディエゴは顔を道の
「口ぃ開けや」
けれど店員はディエゴの言う通りにはしない。それならと、ディエゴは後ろから男の鼻や目を殴り、男はたまらずに口を開けた。そしてディエゴは
ディエゴは敷石を噛んでいる男の後頭部に足をのせた。
「悪い口だよあんちゃん、とぉっても悪い口だ。二度とそういう口がきけねぇよぉにしとかねぇとなぁ。俺が
「あ……あが……。」
「いい加減にして!」
あたしは本気で男の歯を折りにかかっていたディエゴを突き飛ばした。
「……?」
あたしに突き飛ばされたディエゴは、驚いたような目でこちらを見ていた。けれどすぐにディエゴは驚いているのではないことを知ってあたしはぞっとした。
「……ああ、オメェか」
ディエゴは一瞬、あたしが誰だか分かっていなかったのだ。
それ以来、あたしは彼を見る目が変わってしまった。それは娘も同じだった。あんなにも親し気にしていたのに、アリエルはどこかディエゴを怖がっていて、接し方がぎこちなくなってしまったように見える。
一度そんなディエゴのことをロメオに相談したことがあったけれど、ロメオは「まぁ、それがディエゴだからな……」と苦い顔をするだけだった。
ディエゴはディエゴ、他の誰とも相容れない。けれど、あたしやアリエルに対する想いには偽りはないように見える。本当に娘のことを気にかけてくれているし、姿を消した彼女の本当の父親よりも父親らしく接してくれる。あんな仕事をしているせいで、普段から気が昂っているのかもしれない。あたしはそう思うようにした。いつか落ち着くことがあれば、きっとこんなにも身内想いの彼のことだ、穏やかな家庭を築くことだってできるかもしれない。
今、酔いつぶれて無防備な彼を見てると特にそう思う。みんなが彼を必要以上に恐れているだけで、本当は普通の、何てことない男の一面だってあるのだと。一緒にその普通の道へ歩んでいけばいい。心根は優しい彼のことだ、きっといつかは足取りをあたしに合わせてくれる。
「……ディエゴ?」
おしぼりを目の上に乗せているディエゴの様子がおかしいのに気づいた。いつの間にか、ディエゴはうめくことをやめて、静かに何かに聞き耳を立てているみたいだった。
ディエゴはおしぼりを取ると、あたしの後ろの方に目を遣った。あたしもそちらをふり向く。そこにいたのは、雑談をしているカフェの給仕の女の子たちだった。
女の子たちは客のうわさ話をしていた。話の内容は、羽振りの良いふりをしているが実はあの客は借金まみれなのだとか、誰が新しい仕事を始めようとしているとか、はたまた誰が奥さんと仲が悪いのかとか、そんな他愛もない会話だった。
あたしはてっきり、ディエゴは女の子たちの声をうるさく思っているのだと、彼女たちに声をかけようとした。すると、そんなあたしの手首をディエゴがつかんだ。
「……?」
ディエゴが重い体を起き上がらせる。
「……ディエゴ?」
ディエゴはさっきまで酩酊して足元がふらついていたとは思えない、軽やかな足取りで雑談をしている女の子たちの背後に立った。
「……よぉ」
突然にディエゴに話しかけられて、女の子たちは一斉に話すのをやめて彼を見る。
「……クライスラーさん」自分たちの話声がうるさかったのかと思った女の子のひとりが気まずそうな顔をして言った。
けれど、ディエゴは酔いがさめているみたいに機嫌の良い表情で言った。
「面白れぇ話してんじゃねぇか」
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