ブラン/レストラン“デューティーズ”料理長兼店長

 レストラン“デューティーズ”は、ランセルの中央にある、貴族や地主といった金持ち御用達ごようたつの店で、俺はそこで料理長兼店長を任されていた。うちの家系かけいはジイさんの代からヘルメス侯のところで料理人をやっていたが、俺の代でヘルメス侯が転生者の趣味にかぶれちまって、俺は屋敷からお役御免になっちまった。ガキの頃から料理だけを教え込まれ、他のこと何てまるっきり学んだこともなかった、そんな俺を拾ってくれたのが、ここのオーナーのクアーズさんだった。貴族のクアーズさんの期待に応えるため、そして代々の味を守ってきたっていうプライドがあったから、うちの店の客はヒトかエルフが限定、それ以外は入店を断ってきたんだ。特にような奴らはな。だいたいあいつら、猫みてぇな耳をしてるくせに、“猫耳”って呼んだらキレるなんておかしいだろ。

 そんな俺らのことを、種族差別してると言いやがる奴らがいる。よそ者の慈悲深く教養のあるはそう思うんだろうが、実情を知ってほしいもんだ。あいつらフェルプールは俺たち人間とは違うってことをな。俺たち人間は長い約束事の中で生きている。だから田舎では畑を耕すし、街では契約ってもんがあるし、だからこそ金を使った商売ができるんだ。だがフェルプールときたらその日暮らしみたいな奴らばっかりで、未だに森で狩りをして生活してる方が似合ってるような奴だって大勢いる。そんな奴らと真面目にビジネスなんてやれるわけがない。契約書を交わしたら「そんなものはただの紙切れだ」って平気で反故ほごにしてきやがるんだから、商売人としては話にもならんわな。

 商売だけじゃあない、街にいるフェルプールなんてだいたいが短気なヤクザもんなんだから、奴らとは関わらずに生きていくのが賢い生き方なんだ。俺はそうしてるし、俺の仲間だってそうしてる。いや、そうしていたんだ。あの男が現れるまでは。

 その日はオーナーのクアーズさんが新しいビジネスパートナーを連れてくるってことで、俺は腕によりをかけた料理を用意していた。前菜には港から取り寄せたクロダイ、もちろん生で食えるくらい新鮮な奴だ。メインには鹿と鴨の希少部位を品がないほどに贅沢に使って、デザートには食いきれないほどのフルーツの盛り合わせを、ヘルメス以外から取り寄せているから、そこら辺の貧乏人は一生見ることができないような珍しい品ばかりだった。食前酒には一杯が真珠一粒くらいの価値のあるシェリー酒もあった。クアーズさんに喜んでもらえるよう、俺は何週間も前から準備をし続けてたんだ。

 ……それがあんなことになるなんてな。

「紹介しよう、ブラン」品のある太り方をした50代のクアーズさん、その左には20歳近く年の離れた奥方のカランさん、そしてさらにその隣には……。「私の大切な友人のクライスラー君だ」

 猫耳の男が立っていた。

、料理長」猫耳は中折れ帽を脱ぎながら、俺にうやうやしく頭を下げた。

「なんだ、お前たち知り合いか?」クアーズさんは不思議そうに俺と猫耳を見る。

「ええ……」猫耳は意味深な笑顔を浮かべる。「一度だけ挨拶を交わしただけですがね」

「おお、そうか。ささ、入りたまえ」

 クアーズさんはよりによって猫耳をエスコートしてテーブルに着いた。

 宴の間、ずっと俺の足元はぐらぐらしてた。何が起きたか分からなかった、いや、認めたくはなかった。俺の最高の料理を、よりによって猫耳が食べるなんて事態は。 

 納得いかない俺は、給仕を手伝うふりをして、何が起きているのか探ろうとふたりの会話に聞き耳を立てていた。

 話から察すると、どうやら猫耳はクアーズさんというよりも、奥方のカランさんのお気に入りらしい。彼女が欲しがっていた毛皮や宝石を、裏ルートで格安で仕入れてみせたのだという。油断ならない猫耳だ。歳の差があり過ぎて妻を満足させられない夫の悩みの種を代わりに解消してるってわけだ。クアーズさんからしたら、商談をするだけで女房が満足してくれるなら、十分に割に合う出費ってところだろう。

「……そうだ、これを奥様に」猫耳はスーツの懐から小箱を取り出してカランさんにさし出した。

「……これは?」

 猫耳は得意げに「プレゼントです、開けてみてください」と笑った。

 小箱を空けると、中に入っていたのは真珠のネックレスだった。それもただの真珠じゃあない、真っ黒な真珠だ。俺は鼻で笑いそうになった、真珠は白くてなんぼ・・・だろう。

「黒い……わね」そしてそれはカランさんも同じようだった。彼女の顔が戸惑っていたんだから。

「ええ、南方の諸島で採れる希少な黒真珠です。実はそれ……。」獲物を狙うようないやらしい顔をして、猫耳が前のめりになった。「チェスター夫人とカールトン夫人も購入していましてねぇ」

 カランさんの目が丸くなった。猫耳が口にしたふたりは、俺も名ばかりで顔を見たことがない、この店で出す料理でさえ自分の家で用意できるような、超がつく上流階級の貴族なのだから。

「ひとりでやるなら数奇ものです。だが、数人でやれば流行りものになる。奥様は、その流行りの中心になるってわけですな」 

 カランさんの目ん玉が、その真珠になったみたいに黒々としていた。

「その真珠、次に仕入れるまで、あと一年以上はかかるそうです」

 さらにカランさんの口が下品に歪んだ。

「そのあいだ、奥様は社交界の注目のまとになりますね。いや、羨望の的でしょうか」

 カランさんは興奮を抑えきれない様子でクアーズさんを見る。

「クライスラー君、こんな良いものを……。」真珠になんて興味がなかっただろうクアーズさんも、奥方の様子にされて戸惑っていた。

「日ごろの感謝のしるしです、どうか気になさらないで。……それよりも、例のお話を」

「そ、そうだな……。おいブラン」クアーズさんが俺を呼んだ。

「なんでしょう?」聞き耳を立てていた俺は、突然呼ばれ慌てて早歩きでクアーズさんの元へ向かった。

「お前にも伝えておかないといけないな。クライスラー君がこれからこの店の経営することになったんだ」

「……へ? い、いったいどういうことで?」

「私はあれやこれや手を伸ばし過ぎた」クアーズさんが疲れを見せた笑顔で首をふる。「ここいらで、ビジネスのひとつを誰かに任せようと思ってな」クアーズさんは猫耳を見る。猫耳は小さくうなずいて笑った。「このクライスラー君は、おどろくほどの目利きでね。いま私たちの業界ではフェルプールといえば彼、というぐらいの有名人なんだ。何より先ず、人を見る目が違う。男だというのに、女の気持ちを手に取るように知っているしね」

「褒めすぎですよ」猫耳は耳をかく真似をした。

「謙遜することはない。結婚して十数年経つが、妻がこんな顔をするのを見るのは初めてだよ」クアーズさんはカランさんの手の甲に自分の手をそっと置いた。カランさんは嬉しそうに夫を見ていた。「彼の目なら、この店をより大きくしてくれるに違いない、そう判断したんだよ」

 意味がわからなかった。俺の料理を猫耳が食べている、それだけでも今日は一年で一番奇妙な出来事が起きたと思っていたのに、さらに猫耳がこの店のオーナーになる? つまり俺を猫耳が雇うだと? 俺は次は地面が空に吸い込まれていくんじゃないかとさえ思った

 そんな俺をしり目に、猫耳はワインの香りを楽しみ、店をひととおり眺めてから言った。

「悪くない店だ。これからよろしく頼むぜ」

「あ、な、ん……。」

 猫耳は立ち上がると、混乱して何も言えない俺に近寄り耳元で囁いた。

「おやおや、タンをどうかしちまったのかい?」

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