ロメオ⑦

 俺は憂鬱ゆううつだった。となりのテーブルにいるこの囚人が、仮に何十人もの子供を殺したような極悪人であっても、その時の俺は怖がりもしなかったろう。あらゆる感情を染め直すような、どんよりとした黒い感情の中にいた。

「よぉ、ロメオ」

 ディエゴが面会用の広間に入ってきた。

「お、おお、ディエゴ」

 ディエゴは機嫌よさげに俺の前に座るなり、懐から札束を取り出した。刑務所の使用済みの札だけあって、めちゃ汚かった。

「今回の分だ、受け取れよ」

「……すげぇな」

 まったく、外から面会に来た人間が、囚人から金を受け取るなんて。

 ディエゴは煙草に火をつけて言う。

「外はどうだ?」

「ああ、ランドもワーゲンもうまくやってるよ……。ワーゲンなんて、よそのチームで重宝がられてる。下手したらそのまま引き抜きってこともあるかもな」

「マセラティの周辺はどうだ?」

「あ、ああ、あれからはヤクの騒ぎは出てない……んだが。妙なことになってな」

「なんだよ?」

「四老頭のひとりが、ヤクの売買を認めて欲しいってぇことを言い出したんだ」

「……。」

「マセラティはもちろん反対しているが、回る金がとんでもねぇからな。マセラティ一家の中にも興味を示し始めてる奴もいるよ」

「うちのベルトーレはどういう立ち位置だ?」

「あのおっさんは様子見に回るつもりみたいだぜ。マセラティが首をどっちに振るかで態度を決めるだろうぜ」

「ベルトーレのあだ・・名、知ってるか?」

「……いや?」

「スウィングドアだよ、どっちにでも開く」

「へぇ……。」

「もしかしたら、俺たちもヤクの売買に関わるってぇこと、頭に入れとく必要があるかもな……。」

「……さすがだな、ディエゴ」

「なにがだ?」

「もう、ここから出た後のことを考え始めてる」

「俺らの人生は短ぇからな……ところでオメェはどうなんだよ?」

「え?」

「ますますやつれてんじゃねぇか。まるで、オメェが刑務所に入ったみたいだぞ」

「……そうか?」俺は顎のをなでた。俺は自分がマセラティの仕事以外、港で肉体労働をやっていることを伝えていなかった。

「で、おふくろはどうだ? 順調か?」

 ほら来なすった。俺はこの時のために幾度も練習をしておいたんだ。

「ああ、お前が紹介してくれた医者から、バカたけぇ薬を買って飲ませてるよ」

「……そうか」

「お前からもらってる金も、それで全部飛んじまってるがな」俺はスーツの胸を叩いて、金を示した。

「まったくだぜ」ディエゴは机の隅で煙草をもみ消した。「もう少ししたら、俺も出所だ……」

「もう4年経つのか、速いな」

「そうしたら、いよいよ本格的に稼ぎにまわるぜ。ここでつちかったノウハウやコネクションを利用してな」

「……大変だな」

他人事ひとごとみてぇに言うなよ。オメェも一緒にやんだぞ」

「ああ……そうだったな……。」

「大丈夫だ、心配すんな」ディエゴは俺の胸を拳で小突いた。

 それから半年後、ついにディエゴは出所した。俺とディエゴは20歳(人間の年齢で30歳)になっていた。

「……なんでぇ、しけてんな」

 ディエゴは迎えに来た俺を見て言った。迎えに来たのは俺だけで、乗ってきたのはボロい荷馬車だった。

 馬車に乗ろうとするディエゴに俺は言う。「仕方ないだろ、他の奴らは別のチームの仕事で忙しいんだ。……これからどうする?」

「まぁ、先ずは飯だな。ムショのまずい飯ばっかりだったからな、久しぶりに外のまともなもんを食いてぇ。飯食って、カフェで甘いもん食って、昼から酒だ」

「気持ちは分かるがディエゴ、出所したなら何よりもまずベルトーレに挨拶しねぇとな。酒はその後にしようぜ」

 ディエゴはつまらなさそうに、「わかったよ」と言った。

「とりあえず、高ぇ店でランチぐらいは良いだろう?」とディエゴは言う。

「それくらいなら」

「よし来た、出所祝いに奮発しようぜ。金ならあるんだろ?」

「あ、ああ、もちろんだ」

 俺とディエゴは街に繰り出した。せっかくの出所祝いという事で、これまでに行ったことがなかったレストランに入った。それが良くなかった。俺とディエゴが入って席につくと、遠くからウェイターがちらちらとこちらを見ているのが気になった。

 そして店員は俺たちの席には来ないどころか、店の奥に入って行ってしまった。

「……なんだ?」

 俺はディエゴを見た。ディエゴは何かを察したようだった。

 店員が店の奥からコック帽をかぶった店長らしき人間を連れると、そいつは俺たちのテーブルの前に立った。料理帽をかぶっているせいで全体的に四角い顔をした男で、灰色の口ひげをたくわえていた。口の形が歪んでいるのは、あまり友好的ではないしるし・・・だ。

「……注文取りに来たにしては仰々ぎょうぎょうしいな」ディエゴは支配人を見上げて言った。

「……申し訳ないが、出てってくれんかね」店長は言った。「ウチは亜人はお断りなんだ」

「おいおい、金ならもってんぜ」俺は懐から札束の入った財布を見せた。「それに見ろよ」

 俺は自分たちのなり・・を見せた。スーツに革靴も、そこらへんのヒトやエルフよりも稼いでる証明だ。

「金持ちだろうと貧乏人だろうと関係ない。うちは猫耳はお断りなんだよ」

「テメェ……」ディアゴスティーノが立ち上がった。目の輝きがヤバい。

「な、なんだ?」

「おいディエゴ」俺も立ち上がってディエゴを抑える。「すまねぇ、俺がこういう店だってよく調べてなかったんだ……。」

 俺は店内を見渡した。確かに、店員も客もエルフやヒトしかいない。客の入りが多くないから気付かなかった。

「おい、おっさん」

 俺は「ディエゴ」と小さく言った。刑務所から出てきたその日にまた刑務所に入ったんじゃあ話にならない。

「なんだ猫耳?」

 その店主の言葉でディエゴの目がぎらついた。

「……俺の前で猫耳その言葉、3回使うんじゃあねぇぞ。でねぇとえれぇ目に合うぜ?」

「ほう、どうなると?」マネージャーは強がって見せる。

「2度とその口叩けねぇように舌ぁ切り落として皿にのせて本日のおすすめっつってここの客に出すんだよ、わかるか?」

 ちなみに、この“三度目まで”ってのは怒りっぽいディエゴに、メルセデスが「三回は我慢しな」と教え込んだものだ。しかし、ディエゴときたらそれを三度目には許さないという意味にはき・・違えちまってる。

「……なっ」

「出るぜ、ロメオ」

「あ、ああ……。」

 俺たちは店を出ていった。ディエゴは店を出ると「しけた店だぜ」と言った。

「ああ、どうせすぐにつぶれるさ」

「ただつぶすだけじゃあ、面白くねぇな」

「……どういう意味だ?」

「なんでもねぇさ」ディエゴは“デューティーズ”という店の看板をにらんでいた。

 その後、適当な安い店で昼食をすますと、俺とディエゴはベルトーレの所に顔を出した。太っちょのベルトーレはディエゴが刑務所に入っている間に少しやつれていた。ただ、それは俺やディエゴと違って単なる加齢と不摂生だった。体調の悪いベルトーレは、組織の仕事をほとんどマクラーレンに任せるようになっていた。

 そんな状態だったので、ベルトーレの部屋でディエゴを迎えたのは彼ではなくてマクラーレンだった。

「……もどってきたか、クライスラー」

 マクラーレンはをわきまえている男だ。たとえベルトーレが不在だったとしても、ベルトーレの椅子には座らない。まるで主人が再びそこに座るのを待っている忠犬のように、その隣に立っていた。

「ええ……。」

「お前が戻って来たなら、お前たちのチームはすぐにでも戻さないとな。それに、お前の前回の働きでウチの組織はずいぶん助かった。刑務所での評判も俺の耳に入ってきている。約束通り、お前たちのチームには新しい仕事を任せようと思う」

「ありがとうございます」

 マクラーレンはベルトーレよりもディエゴのことを買ってくれている。新参者な上に、今回のムショいきは自業自得だとディエゴを認めようとしない組織の他の奴らの声を抑えて、俺たちを取り立ててくれる約束までしてくれていた。

「さっそく他のメンバーにも声をかけておこう。それと……」マクラーレンは表情を変えた。「その……おふくろさんのことは残念だったな……。」

「……おふくろ?」ディエゴはマクラーレンの言ってることの意味がわからず俺を見る。

「ああ~と、そのことに関しては俺から言っておきます」俺は慌てて頭を下げる。マクラーレンは、俺が例のことをディエゴにまだ話していないことを知っておどろいていたようだった。

「おいロメオ、どういう意味だ?」

「行きながら説明するよ……」

 俺たちは馬車に乗ってベンズ村へ向かった。

「……マクラーレンの言ってたのはどういう意味だ? おふくろが残念だと?」

「び、病気のことだよ」

「そういう場合は残念とは言わねぇだろ。“大変”だろうが」

「行けば分かる……」

 馬車はベンズ村に着いた。けれど、俺はディエゴの家には向かわせずに、御者に馬車を道中で止めさせた。 

「……どうしてここで止めるんだ」ディエゴが言った。

「……ついてきてくれ」

 馬車を降りた俺は目的の場所に向かって歩き始めた。ディエゴも無言でついてくる。

 俺たちのついた場所は墓地だった。そして俺はとある場所の前で足を止めた。

 メルセデスの墓だった。村人から尊敬されていた彼女らしく、墓前には多くの花が捧げられていた。

 ディエゴは表情ひとつ変えずにその墓を見ていた。

「……すまねぇ、メルセデスに絶対言わないでくれって言われてたんだ。もし、言っちまったらお前は脱獄しかねないし、刑務所で自暴自棄になりかねない。どっちにしたって、出所しない限り墓参りには来れないんだから、ムショを出るまで黙っててほしいって……」

 ディエゴは黙っていた。最初は呼吸の音も聞こえないくらいに静かだったから、もしかして立ったまま死んじまってるのかと思ってた。だが、聞こえないほどに小さかった呼吸は、次第に荒くなっていた。俺はこの場から離れた方が良いような気がしていたが、黙ってディエゴの後ろに立っていた。

「……ロメオ」

「……。」

 ディエゴはふり向きざまに俺を殴った。俺は吹っ飛んで尻もちをつく。

「どうして黙ってた!?」

「聞こえなかったか? メルセデスに言われてたんだよ!」

 起き上がろうとしていた俺を、ディエゴが蹴り飛ばす。俺はまた地面に倒れた。

「そういう問題じゃねぇだろ!? ふつう、ダチの親が死んだってのに黙ってる馬鹿がいるかよ!?」

「……ダチだからだよ」俺は倒れたままで言った。

「なにぃ!?」

「ダチだから……お前がメルセデスの死を知ったら、ヤバいことになるくらい分かってた。メルセデスの言う通りだと思ったよ」

「ふざけんな!」

 ディエゴは俺に馬乗りになると、拳を浴びせかけた。俺はただ殴られていた。ディエゴの気持ちも分かるが、メルセデスの言う通りなんだ。ムショにいるこいつには言ってはいけないことだった。

「俺だって……つらかったんだ……。」ディエゴの拳を浴びながら俺は言った。

「知るかよ! 俺がどういう思いで刑務所かけずり回って危ない橋わたって……何とかして……」

 ディエゴの拳は弱くなりつつあった。もともと、喧嘩の得意な奴じゃない。

「そんなお前を知ってたからだろうが……」

 ディエゴは気の抜けたパンチを俺の顔に数発入れると、俺の上で泣き始めた。女友だちだったら、ここで背中に手を回すだろうが、あいにくこいつはそうじゃないので、俺は体の上からディエゴを退かした。

 ディエゴは「ちきしょう」とくり返しながら泣いていた。

 青い大空をあおぎながら、俺の目からも涙がこぼれていた。

 墓の前で、大の男ふたりが泣いている。なんとも滑稽な光景だな。


 ……なぁ兄弟、いったい俺たちはどこに行こうとしてるんだろう。いや……どこに行けばいいんだろう。

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