ロメオ⑤

 ディエゴと俺は手柄を立てたようなもんだった。これで俺たちの出世街道は明るく開ける……そのはずだったのに、俺の気持ちはまったく晴れず、それどころか毎日一歩ずつ、深くて暗い沼の中を進んでいるような日々だった。

 そしていつの間にか、気づいたら俺は沼の深くまでどっぷりと浸かっていた。

 俺には夢があった。いつか彼女の手を取って、あの部屋から救い出すという目標が。そのために、多少の事で手を汚したって平気なはずだった。それはきっとディエゴだって同じだ。

 俺はあの日、たしかに彼女の手を取っていた。でも、狭い部屋から救い出そうと思っていたのに、今では彼女はもっと狭い場所にいる。棺桶の中で花に囲まれている彼女は、死化粧が施されていたが、生前よりも明らかにやせ細っていた。さんざん死神を遠ざけようとしていた俺たちをあざ笑うかのように、マイの病状はとつぜん悪化して何の前触れもなく昨晩に逝ったそうだ。よりによって、俺たちが愚連隊を叩きつぶした日に。

 すべてが無駄だった。

 死ぬかもしれない危険を冒して、人の生き死にに関わって、そこまでして積み上げてきたはずのものは、結局どこにも届かなかった。

 メルセデスは気丈だった。こんな時でも葬式を取り仕切り、参列者に挨拶をかわしていた。ディエゴの方は気丈というよりも、魂をぬかれて何も感情が無くなってしまったみたいだった。奴の気持ちは痛いほど分かる。だが、“気持ちは分かる”だなんて言葉も、今のあいつにはなんのなぐさめになりゃしない。

 俺は葬式が終わった後、街へくり出した。何か用があったわけじゃない。人混みの中にいないと、やり場のない感情でぶっ壊れちまいそうだったんだ。

 すべてが無駄だった。

 うっかりすると、この言葉が俺の頭をよぎる。俺はどうでもいいもんをいっぱい見て、どうでもいい他人の会話に耳を立てようと街をさまよう。

 ちょうど街では転生者の誕生日を祝う祭りが開催されていた。まったく、間の悪いことだぜ。マイが死んだってのに、街の奴らは酒池肉林の大騒ぎをしてやがった。

 俺は酔っ払いと肩がぶつかって喧嘩になったが、体中から力が無くなっちまってる俺は、普段だったら一発なぐりゃあ黙らせられるおっさんにぼこぼこにやられてしまった。

 無様に倒れているそんな俺を見て、女連れの男がせせら笑っていた。

 世の中はおかしい。俺らがこんなに悲しんでるのに、何でこんなに笑顔があふれてるんだ。つか、何でこんなに空が晴れてんだ?

 俺はどうしようもない気持ちになって、建物に背を預けて涙を流していた。そんな俺を物乞いが憐れんで、まだ空けていない酒瓶を渡し、「人生いろいろあるからさ、嘆いてちゃダメだよ~」と慰めてきた。

 俺たちはどん底に落ちたと思っていた。だが、どん底に落ちたと思う余裕があるのなら、それはどん底じゃないってことだ。

 後日、マクラーレンから今回の火事の責任を取ってウチのチームから誰かひとりを自首させろという命令がきた。

「……もちろん俺が行くぜ」

 葬式みたいに静まり返ったなじみの酒場で、まっさきにワーゲンがそう言った。ワーゲンみたいな男にとって、刑務所に入るのははく・・がつくようなものだった。

「……いや、言い出しっぺの俺が行くべきだろう」とディエゴが言う。

「確かに、言い出したのはディエゴだが、かと言って……」とワーゲンが言う。

「俺は自分の策に絶対の自信があった。それで他の奴らを巻き込んだんだ。だとしたら、俺が何とかするってのが筋じゃねぇか」

「……良いのか?」とワーゲンが訊ねる。

「何がだよ?」

「いや……」

 ディエゴの身内に不幸があったことはチームの奴らは全員が知っていた。

「心配すんな、マクラーレンも言ってたろ? テメェんとこの建物に火をつけたんだから、罪は軽いってな。まぁ、せいぜい懲役で1年以下か、上手くいけば罰金で済むだろうぜ」

「……ああ」

「……じゃあ」俺はテーブルの上のコールドミートやドライフルーツ、安物のぶどう酒を指した。「これがディエゴの送別会って奴か」

「しけてんな、おい」ディエゴは力なく笑った。今のこいつは、きっと力なくしか笑えない。

「女でも連れてくるか。おいランド、街に出て女ひっかけてこいっ」

 ワーゲンがランドに命じるが、「いや、そういう気分じゃねぇ」とディエゴは手をふった。

「……そうか」

「オメェがしみったれた顔すんなよ、別に今生の別れってわけじゃねぇんだから」

「ディエゴ……」ワーゲンが前のめりになってディエゴに言う。「ムショはただ長い間外に出られないってだけじゃないんだぜ? 下手したら囚人同士のトラブルで殺されちまうってこともある。今生の別れになるとも限らねぇんだ。なぁ、ホントに俺がいかなくていいのか?」

「くどいぜ、ワーゲン。組織の目も考えろよ、俺はお前に自分の責任とらせた臆病もんだと思われるだろうが」

「ああ、まぁ……」

「じゃ、せめて笑顔で送り出すとするか」俺は言った。

「あ、ああ、帰ってきたら幹部だもんな」ランドも言った。

「大げさだ」ディエゴは小さく首をふった。

 俺たちは乾杯した。少しでも俺たちの、口に出してそうだとは言わないが、リーダーの未来が明るいことを信じて。

 浮かない顔をしている俺を見てディエゴが笑う。

「大丈夫、心配すんなって」

 そして、その未来はいきなり暗くなった。

 ディエゴに下された判決は懲役ちょうえき4年、ヒトやエルフからすれば短いが俺たちからすれば十分な痛手だ。

「嘘だろ!?」俺は傍聴席ぼうちょうせきで叫んだ。「テメェん所の建物燃やして何でそんなにくらう・・・んだ!?」

静粛せいしゅくに」裁判官がガベルを叩いた。

「判決理由は、貴様らのせいで街に騒ぎが起きたからだ。公共の秩序を乱した。避難中に怪我人を出すというな」

「どんくせぇ奴らの自己責任だろぉ?」

「ロメオ、少し黙ったほうが良い。追い出されるぞ」

 そう注意したのは、ファミリーで雇ってる弁護士だった。ヒトだったが、マセラティ一家の厄介ごとはこいつが手がけている。

「しかしよぉ……。」

 ディエゴは終始無言だった。職員に引っ張られ退廷していくディエゴと俺は、視線だけで会話をしていた。

「多分、フェルプールじゃあなかったら、もっと罪は軽かったろうな……」弁護士は裁判官を見ながらぽつりと言った。俺らの目の前にいるのは、全員がヒトだった。俺たちのことを、人を噛んだ犬を見るような、さげすんだ目で見てやがった。

 俺は法廷内を見渡した。メルセデスの姿はなかった。流石のメルセデスといえど、娘が亡くなったすぐ後に、息子が刑務所に入ったなんて知ったらその場で倒れちまうだろう。

 裁判が終わった後、俺はベンズ村に帰らなかった。メルセデスへの報告に関しては、ディエゴと相談して決めようと思った。

 間もなくして、ディエゴと刑務所での面会が可能になると、俺はすぐに奴のもとに向かった。

「……1か月しか経ってねぇのに、なんか痩せたじゃねぇか」ディエゴは俺をまじまじと見て言った。

「こっちも大変なんだよ。俺たちのチームは解散して、皆バラバラになっちまった。俺も新しい所で下働きみたいな雑用やらされて、マジで大変なんだよ」

「なるほどね」

「……でさ、ディエゴ、俺が気にしてんのは……その……。」

「お袋に何て説明するかだろう?」

「あ、ああ……。」

「まぁなぁ……。」

 ディエゴはめんどくさそうに頭をかいた。 

「ロメオよ、とりあえず、お袋には俺は仕事で遠出してるって言っといてくんねぇか?」

「はぁ? お前、それで通ると思ってんのかよ?」

「いや、まぁ、いずれは言わないといけないとは思ってるが、いきなり懲役4年はデカいだろ? ショックでお袋がどうなっちまうことか。……マイのことだってある」

「そりゃそうだが……。」

「1年くらいして、お袋がマイの事で整理がついたくらい、そのあたりで俺が他所よそで取っ捕まったって言ってくれれば、お袋のショックも少ないと思うんだ」

「……1年は長くないか?」

「そんなこと……ねぇだろ? 娘の死だぜ? 1年だって短いくらいだ」

 要するに、ディエゴは何とかしておふくろさんに自分のムショ入りを知られたくないようだ。メルセデスの事となると、とたんにディエゴはただのガキに成り下がる。

「分かったよ。じゃあ、ディエゴはしばらく俺も知らない所で上からの指示で何かやってる……てことで良いか?」

「それだと、あいまいだな」

「……じゃあお前が考えろよ」

 俺はディエゴにメルセデスへ伝える嘘の細かい指導を受けた。だが、結局ディエゴは「オメェは嘘が下手だから、あんまり難しい設定にしない方が良いかもな」と、俺が最初に言った話に戻った。

 俺はベンズの村に里帰りがてら、メルセデスにディエゴの件の報告に向かった。

 メルセデスは寄り合い所で村の女たちを集めてキルトを教えながら談笑をしていた。けれどメルセデスのこれはただの談笑じゃあない。こうして女同士で話をしながらお互いの悩みを打ち解け、解決を示し、時に団結をするための日常の一部なんだ。だから戦後の混乱期にも、ベンズの女たちはメルセデスを中心としてまとまったおかげで、他の土地のように略奪や殺人がほとんどなかったのだという。「女が結束してりゃ世の中もまとまるのさ」というのはメルセデスの言葉だ。そんな彼女だから、ベンズ村の本当の村長はメルセデスだと考えている男たちも少なくない。

 しかし、そんなメルセデスだからこそ、話しかけにくいというものもある。

「……あのぉ」俺は寄り合い所に、頭を下げながら顔を出した。

「おや、ロメオじゃないかい? 今日はお前さんひとりかね?」

「はい……実はおばさんに報告しなきゃあいけない事があってさぁ……。」

「……ふたりきりで話した方が良いかい?」メルセデスはキルトを縫いながら首を傾ける。

「あ、え~と、どうかな……。」

 ディエゴが仕事で遠くに行ってるということを伝えるだけなんだから、そんなに周囲に聞かれてまずいものでもないのだけれど……。

「……ちょいと外すよ」

 そう村の女たちに告げると、メルセデスは自分から外に出ていった。

 寄り合いからそこそこの距離が離れると、メルセデスが口を開いた。

「あの子のことかい?」

「え? ええ、まぁ……。」

 ただディエゴの嘘の仕事の話をするだけなのに、俺は上手く切り出せなかった。この人に何かを悟られてるのではないかと、俺もメルセデスをただ者ではないと思っているところがあった。

「なにか……やらかしたのかい……」

「あ~いやいやいや、違うんだよ、おばさん。じつはディエゴはダニエルズに行かなきゃいけなくなったんだ」

「ダニエルズ? お隣の国じゃないのさ」

「うちのの上司が、うちで手がけているダニエルズでの仕事を若手にやってほしいってことで、あいつが選ばれちまったんだ」 

「お前さんは行かないのかい?」

「いやぁ、俺は……上司に期待されてないから……。」

「けど隣の国って……あたしには何も告げずに行くつもりかい、あの子は」

「いや、もう急なことでバタバタしてて……。これはあくまで俺の考えだけど、マイさんのことがあって、あいつも器用に立ち回れなくなってんのかもしれないね……。」

「そんなんでダニエルズに行って大丈夫かね? あそこはヒトの国だろう?」

「ああ、まぁ、でも、ディエゴなら大丈夫……じゃあねぇかな?」

「どうだろうだねぇ……。」

「……おばさんこそ大丈夫かよ?」

「ん?」

「その……マイのこと……。」

「……お前さんこそ大丈夫かね」

「……え? 俺が? ……どうして?」

「惚れてたんだろ、あの子に」

「へぇ!? え? いや!?」

「隠さなくったっていいよ。あたしも気づいてたし、マイだってそうさ……。」

「……。」

「あの子もね、悪い気はしてなかったと思うよ……。ただ、病気がねぇ……。」

「俺は気にしなかったぜ。病気でも、いつかマイと……。」

「ダメだよ、そんなことしたら、あんたの心にあの子が居座ることになっちまう……。」

「そんなのっ……」

 メルセデスは俺の前に立って俺を抱きしめた。

「なっ」

 メルセデスは太めの体だったが、使い慣れた毛布のように軽くて心地が良かった。

「ありがとう、あの子とのことを想ってくれて……。」

「あ、あ……。」

「ごめんね、あの子を強く産んであげられなくって……。」

「……。」

「でも、あんたは前に行くんだよ。あの子をふり返るんじゃあない。あの子の痕がまだ浅いのなら、すぐにでも前に歩き出せるさ」

 メルセデスの想いを耳元で聞かされたせいで、俺の目からは目ん玉がふやけそうなほどに大量の涙がこぼれ始めていた。よりによって、遺族に遺族よりも泣かされていた。

 ひとしきり泣いた後、メルセデスは俺を放した。

「じゃあね、ロメオ。ディエゴあいつによろしく」

「え、ええ……。何かことづけ・・・・とかあったら伝えるぜ?」

「“面会に来てほしかったらそう言いな”って言っといてくれ」

「……え?」

「ウチらの情報網をなめんじゃないよ」

「は……はは……。」

 去り際に、メルセデスは数回咳をしていた。

 顔を生まれたばかりの赤ん坊みたいに腫らせ、俺はマイの墓に行った。

 俺は墓の前にひざまずく。

「……好きだったんだぜ。いや、まぁ、それは知ってたのか。……だったら、もっと言葉ぁかわしときゃよかったな、俺ら……」

 俺の目からはまた涙が流れてきた。交わした言葉が些細すぎて思い出せない。それでも、交わした約束は思い出せた。

 マイの病気を治すこと、マイを部屋から連れ出して街を見せること、そして教会で式を挙げること。最後のは俺だけの約束だったが。

 残った約束は、ディエゴとずっとダチでいるってことだった。それが、俺とマイをつなぐ最後の約束だった。

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