エピローグ、もしくはプロローグ
※
騒がしかった酒場には、ほとんど客がいなくなっていた。
「……終わったのね」女は言った。
「……ああ」
女は杯に残った最後の酒を飲み干した。
「……でも、満身創痍だったとはいえ、貴女がロッキードを倒したのは間違いないじゃない。他が倒せなかったあの怪物を倒した。どうして、それを認めたがらないの?」
「……殺す必要のない相手だった」
「……どういうこと?」
「あの後、私たちに追っ手はこなかったんだ。
「……それは、彼が嘘をついていたということ?」
「リアルトラズの所長は死んでいたんだ」
「何ですってっ? でも……どうして? 殺されてしまったのかしら?」
「自殺らしい」
「自殺? ちょっと待って、いったい何が起こったの?」
私はカウンターにいる店主を呼んで、酒のお代わりを頼んだ。店主が酒を運んできたが、私はすぐには口をつけなかった。
「……あの後、私はコルトに残って色々調べてみたんだ。ヘイローに対しても可能な限り合法的な聞き込みをしたりしてね。それで知ったんだが、本当はヘイローが所長に殺害するように指示されていたのは、クロックではなくてリーガルだったんだよ。奴が無茶をするようだったら、始末をするようにとね。ところが実行の段階で暗殺をリーガルに見破られてしまった。リーガルは見逃す代わりにヘイローにクロックを殺害させたんだ。そうすれば、わざわざコルトを荒らさなくてもロッキードに殺害の罪を被せ、私たちをおびき出すことも追跡することもできると。つまり、彼女にとってクロックの死は想定外の出来事だったのさ」
「……でも、なぜクロックが死んだからといって所長までも?」
「……これからは、聞き込みからことのあらましだけを知った私の憶測になるが」私は杯を口に運んだ。「きっと、あのふたりはどこかでつながっていたんだ。長い年月、長い距離を隔ててはいたが、最後の一本の糸が鋼よりも頑丈にね」
「……
「言ったろう、私はこの舞台ではかなり遅れて登場した役者なのだと」
「まぁ、そうだけど」
「クロックは伴侶を早くに亡くしていたらしい。コルトで成り上がる前のことだ。そんな彼の前に現れたのが、戦後に流れてきた身寄りのないメロディアだった。クロックは彼女を身請けして仕事を任せるなど目をかけていたのだけれど、執事によれば彼らは男と女の仲ではなかったのだそうだ。むしろ、そんなものよりも深く結びついていたように見えていたと。で、静かな蜜月を送っていたふたりだったが、ある時、メロディアはクロックの前から
「そんなことを言われても……。」
「唯一繋がっていた最後の一本の糸、それが
「……理由?」
「男にとって、女に捧げられる唯一のものが自分の命だった。男は女が自分の命を求めていると思ったんだ。なぜ、そこまでしたのかは憶測だけれど、自分が成功する前に死んでしまった妻への想いが関係あるのかもしれない。ひとつ言えることは、男は女が死を求めたと思って、それを躊躇なく差し出したということだ。けれど、実際女はそんなものは求めていなかった。綿密に作り上げられ、自分にとっての必然であったはずの計画が
女は小さく首を振った。「……ずいぶんと、ロマンティックな解釈をするのね?」
「自分でも話してて鼻につくと思ったよ。別に、彼女たちにも善いところがあったんだとかは言うつもりはない、何より私は彼女に死を願われていたわけだからね。ただ、すべてはボタンのかけ違いだったということだけだ。……私がロッキードを殺したのと同じように」
女は不満げだった。善悪の刃物で裁断しようにも、その布の繊維は複雑に入り組んでいた。
私は言った。「まぁ別にいいじゃないか、いずれにせよ確認のしようがないんだから。すべては春の訪れで消え去ったんだ、雪とともにね」
「で、それが貴女がロッキードを殺めたことを後悔している理由というわけなの?」
「……すこし違う」
「じゃあなぜ?」
「……奴は、ロッキードは男という生き物の最後の生き残りだった」
女は酒場を見渡した。男は大勢いた。
「かつてはいたんだよ。底抜けの陽気さで困難に乗り出して、うんざりするほどの頑固さで幾千の敵に挑み、呆れるくらいのおおざっぱさで自分の命を差し出してしまう奴らが。人はそれを男と呼んだ。そして、そんな奴らが生きた時代があったんだ。もちろん、その時代には多くの過ちと愚かしさがあった。だが、谷底を
女はすでに空になっている杯を傾け、物憂げに私の話を聞いていた。
「……私は」女は言った。「私たち家族は、例え不名誉であろうとも父が生きて帰ってくることを願ってたわ。父の武勲を口にしながらも、それでもそれは世間体で、心にあったのは父の命だった。形のないものなどいくら積まれても、心は埋められない。貴女の言うような奴らが重んじた曖昧なもののために、私たちは今でも冬の中にいるのよ……。雪と共に消えた、貴女はそう言ったわね。その通りよ、あいつらは季節と一緒に消えるべきなのよ」
「私もそう思うよ」
「……ほんとうかしら?」
「ロッキードを切った後、ロッキードの息子へ挨拶に行ったんだ。彼の父の遺品を届けにね。息子さんの態度は何ともそっけないものだったよ。……きっと、あいつは善い父親ではなかったんだろう」
女は懐から硬貨を取り出した。
「謝礼の方がまだだったわね」女は硬貨をカウンターに置いた。「一昔前は、女が独りでこういった店に入るだけで娼婦呼ばわりされたものだわ。でも、今ではこれを持っていれば、女でも尊厳を失わない……。良い時代になったわ」
「私もそう思うよ」
「……ありがとう、時間を取らせたわね」
「望むものは得られたかい?」
「花を摘みにでかけたら、子犬を拾った気分だわ」
「大切に育ててやってくれ。花と違って、子犬は想うだけじゃあ育たない」
女は立ち上がると「じゃあ」と言って私に背を向けた。帰るようだ。望む話をしたはずなのに、ずいぶんとつれないものだ。
女は少し歩くと立ち止まった。
「やっぱり貴女はロッキードを殺すべきよ」
私は女を見た。
「手前勝手なはかりごとに巻き込まれたし、すれ違いもあったのかもしれない。きっとこの話に関わったすべての者にとって不本意な結末を迎えたのだと思うわ。生き残った貴女としては受け入れがたいのでしょうね。でもね、私思うの。誰かがあいつの物語に始末をつけなければって。今でもアンチェインを何らかの形で語ろうとする者がいるもの、過ぎ去りし時代を懐かしむかのように。彼の魂はさまよっているのよ、介錯を求めてね。そしてそれができるのは貴女だけ。……貴女がロッキード・バルカを、最強の男を倒したのよ。時代からはき出されたあいつがたどり着いた終着点、それが貴女だったんじゃないかしら」
「最強の男を倒したのは最強の女、というわけか」
「どうかしらね、貴女はファントムなのでしょう? きっととらえられない何かじゃないかしら?」
そうして女は去っていった。思ったよりも、私にとって話した甲斐があったのかもしれない。
私は女の残した金を指先で押して若い奉公人にさし出した。だが、彼はその硬貨を指で私の方へ押し戻した。私は彼を見る。
若い奉公人は微笑んで言った。「お代は結構です、貴重なお話を聞かせていただきました」
栗毛色の巻き毛に頬に少し脂肪をたくわえた若い青年は、鼻息を荒くしていた。まるでひとかどの男になったかのようだった。
私は微笑んで硬貨を押し戻す。奉公人は困った顔をした。
「口止め料だ」
扉を開け、酒場に新たな客が入ってきた。開かれた扉から、冬の匂いが漂ってきた。雪が降りそうだ。きっと、あの丘の雪原にも新しい足跡がつくのだろう。
「ミルクください」
いつの間にか、隣にはマテルがいた。丸椅子の上に立ち、ちょこんとカウンターから顔を出している。
「マテル、いたのか?」
「ふふふ、ぼくはどこにでもいるんだよ」
「そうか」
シスターの所で待っているように言っていたのだが、ついてきたらしい。
私は立ち上がると、新しく入ってきた客のもとへ行った。
「……久しぶりだね」
「……あなた」
女は私を薄い水色の瞳で見ていた。
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