幕間の部~Stand by you~

某日某所

 月が厚い雲に隠れた夜だった。目の前には水平線も見えない黒い海が広がっていた。遠くに見えるイカ釣りの漁船が、灯を灯しながら地引網を引っ張っている。

 向こうからは見えないはずの漁師の奴らが、こちらを監視しているような気がした。ならやりかねないことだ。俺は吸いかけの煙草を地面に叩きつけると、その火を靴の底でもみ消し、奴らをひとにらみして倉庫に戻った。

 倉庫の中には仲間たちがテーブルの前に座っていた。今回の俺の話に乗ってくれたカズとネッドだ。あの組織の中で、唯一俺の誘いに乗ってきた。

「なぁロメオ、これが終わったらどうすんだ?」

 カズが俺に訊ねる。頬の半分にあみだくじ・・・・・みたいな傷跡のある男だった。これでも良くなった方で、当時は顔面をケンカ相手にナイフでズタズタに切り刻まれて、ふた目と見れない顔にされていたのだから。もっとも、こいつはあみだくじみたいな顔面にされたが、その相手は福笑いみたいな顔面にされちまってたがな。腕っぷしに自信のあるカズは、口八丁で成り上がったあいつのことを快く思っていない。

 俺は椅子に座りながら言った。

「遠くにとんずらするさ。ベクテルがいいだろうな、あそこは人の出入りが激しい。いったん逃げ込んじまえば、あいつだって追ってこれない」

「そうか……。」

 ふと、もうひとりの仲間、ネッドを見る。ネッドの顔は蒼白していた。

「何だよ、お前、まだビビってんのか?」俺は届かない手でネッドを押す真似をする。

「ち、ちげぇよ、ビビってるわけじゃねぇよ……。」

 ネッドは小心者だが、こいつもこいつであいつには恨みがある。こいつは片足を引きずってるのだけれど、それはあいつがただでさえ機嫌の悪い時にポカをやらかして、部下に命じてこいつをリンチにかけた時の後遺症だ。あれくらいのミスでヒステリーを起こすあいつの王座、仮にあるとすればだが、改めて見ると足元はずいぶんと危うい。

「心配すんな、これが最後だ。んで、俺はこの稼業から足を洗う」

「足を洗うって……どうすんだよ?」カズが半笑いで言う。

「仕立て屋でもやって、つつましく生きてくさ。……実はな、ツレに子供ができたんだ」

「……へぇ」

「手先の器用さには俺もあいつも自信があるからな、ベクテルで仕立て屋でもやってのんびり暮らすよ。本当はな、そういうのがガキの頃からの夢だったんだ。どっかで間違えちまったみたいだがな……。俺はようやく俺の人生を始められる。すべての重荷をおろして、何でもない自分になるんだ。……俺はあいつとは違う」

 俺は深々と椅子に座った。妻と、これから産まれてくる子供との生活、未来からの風が俺の頬をなでたように思えた。

 思えばずいぶん遠くに来た。そして間違えてきた。交わした約束はどれも果たせずに、過去になって消えようとしている。でも、まだ最後のひとつは残っている。

 一方のカズとネッドは、暗い顔で顔を見合わせていた。

「……どうした?」

「……いや」

 ふたりの異変、そして俺はテーブルの上の異変に気づいた。一服するためにいったん外に出る前と今、机の上の様子が少し違う。

「……俺のダガーはどこだ?」

 カズとネッドは俺から顔をそらした。

 それがすべてを物語っていた。

 俺の体からは、さっきまでみなぎっていたすべてのものが、大きな穴をあけたボールから空気が抜けるように、するすると失われていった。ここまで奴の手のひらの上だとは。

「……そうかい」

 俺は“お手上げ”という具合に両手を挙げた。

「……いいぜ、やれよ」

 それが合図だったかのように、正面口、そして裏口から、一斉にフェルプールたちがなだれ込んできた。見知った男たちだった。

 駆けこんできた男たちは俺の両腕を取ると、両肩の関節を二人で固めて身動きが取れないようにした。俺はその間、いっさいの抵抗をしなかった。

「何もしやしねぇよ、今さら。無茶しないでくれ」

 男たちは何も言わなかった。ほんの数日前まで、気さくに会話をしていた奴らのはずなのに、今では俺を初めてみる赤の他人のような顔つきをしてやがる。さすがあいつにしっかりとしつけけられた男たちだ。

 俺が抵抗しなかったせいか、倉庫の中はすぐに静かになった。だが、その静けさが、より緊張をかき立てる。そしてその静けさを破るように、革靴の足音が一歩、また一歩とこちらに近づいてきた。

 誰もが同じ方向を見ていた。俺も、カズもネッドも、そして俺を捕えに来た奴らも。

 正面口に人影が現れた。漁船の逆光でシルエットにしか見えない。しかし、そこにいる誰もが、そのシルエットだけでそいつが何者なのか区別がついた。この状況だからじゃあない。いつだってこいつはそういう奴だ。

 シルエットはいったん入り口で止まったが、また一歩ずつ、こちらに近づいてきた。

 そして倉庫の真ん中まで来た時、倉庫の灯でようやくそいつの顔が分かるようになった。


 ディアゴスティーノ・クライスラー


 そいつは俺の顔を、これまで情け容赦なく始末してきた奴らと同じ目で見下していた。あの、グリーンとイエローが混じった淡褐色ヘーゼルの瞳で。


 ……よう兄弟、まったくなんて顔してんだい。

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