舞台の幕開け②

──一年後


「ぐぁっ」

 クロックは豪雨の行軍の中、倒れて泥に顔を突っ込んだ。彼が配属されたのは、数合わせの混成の部隊だった。本来の主力だったオークやオーガ、フェーンドは戦争の初めにすでに大半が戦死し、残りは精鋭として一か所に集められ、後は人数のそろわないマイノリティたちが寄り合わせの大所帯となっていた。そのため行軍は文字通り足取りがそろわず、途中で脱落し、さらには動かないままに置いてきぼりをくらう兵士が多くいた。

「おい白んぼ、いい加減にしろよ、お前置いてくぞ」オークの部隊長がクロックを叱責する。

「ま、待ってくれ、すぐに起き上がるから。俺は、まだ大丈夫だ……。」

 起き上がるクロック。目の前には、木の幹に背を預け、うつろな目をしている生き倒れた男がいた。クロックの近所に住む男だった。

 クロックは男の元へ歩み寄り彼に声をかけようとした。

「何やってんだ白んぼ! 置いていくっつってんだろ!?」

「え、いや、しかし、彼はまだ……。」

「へばったやつの為に部隊の進行を遅らせるつもりか!? 明日までにこの物資を前線にまで送らなきゃならんのだぞ!?」

 クロックは知人を指していった。「か、彼はまだ生きてるんです!」

「……くそがっ」

 オークはクロックたちのもとへ歩み寄った。

「せめて担ぐなりして……。」

「担ぐ? 馬でか? こいつが物資になるのか? さばいて食わすか? あん?」

「そんな……人を物みたいに言うなんてあんまりじゃないかっ」

「状況を考えろっ、戦争やってるんだよ! 今の貴様らの存在価値何ぞ、黒パン以下だ馬鹿たれ!」

「な、なんだって……。」

「どうしてもと言うなら、貴様がこいつを担いで行け!」

「それは……。」

「それで決まりだ、とっとと出発するぞ! 貴様らのせいで到着が遅れたっ!」

 部隊の仲間たちは、クロックたちを疎ましさのあまり一瞥いちべつすらしなかった。

「ったく、俺も運のない男だぜ。こんな白んぼばかりの寄せ集め部隊の指揮をらされるとはな……。」と、部隊長はクロックたちに聞こえるようにぼやいていた。

 しかたなく、クロックは知人を担いで歩いていた。しかし、50メートルも歩かないうちにクロックは再び倒れ、知人に詫びながらその場を去って行った。彼にかけた「すまない」という短い言葉が、あまりにも軽々しく残酷で、従軍中、そしてそれ以降も、彼の心に刺さり続けていた。


 その夜、クロックたちの部隊は森の奥地で夜営のためのキャンプを開いていた。そういう場合には、クロックたち人間は料理当番を押し付けられるのが常だった。

「おい白んぼ、こんなんじゃ足りねぇよ」

 配膳された器の縁をスプーンで叩きながら、オークが文句を言ってきた。

「そうは言っても……。」クロックと一緒に鍋の前で配膳をやっていた人間の男が言った。

 兵站は限られていた。それを知らないオークでもなかったが、行軍のストレスが無理難題むりなんだいを弱い者に突きつけるようになっていた。

「お前らと俺たちの胃袋は作りが違うんだよっ」

「ああ」男は鼻で笑った。「豚は胃袋が四つあるっていうからな」

「なんだとぅ!」

「まあまぁ落ち着けよ」クロックが割って入った。「俺の分を少し分けてやる。それでいいだろ?」

「おいクロック……。」

「いいんだ、俺たちの体は彼らに比べて小さいんだ。それに合わせないと不平等だろう。なぁどうだい、あとどれくらい欲しい?」

「いや、別にそこまで……。」

 難癖なんくせをつけたいだけだったのに、本当に目の前の男に施されそうになったためオークは狼狽ろうばいした。

「おいおい、なぁに白んぼに絡んでんだよ、可哀想なことするなよな」

 遠目にその様子を見ていた、混成部隊のゴブリンが彼らをからかった。

「う……。」

 オークは気まずそうに、器を持ってその場を去っていった。

「……牛だ」去っていくオークを見ながらクロックは言った。

「え?」

「胃袋が四つあるのは豚じゃない、牛だ」

「そうかよ。……なぁクロック、あんた恥ずかしくねえのかよ」

「……何がだ?」

「他の人間が陰で言ってるぜ、フェーンドたちに媚びてる白んぼってな」

「別に媚びてるわけじゃない。俺たちと奴らは同じ国の同胞だ。国が危機に瀕してるんだから、協力し合うのは当然だろう?」

「へっ、同胞か。あいつらがそう思ってりゃあな」

「この戦いが終われば……そうなる」

「だといいがな」

 クロックは、そうなるはずなんだと小さくつぶやいた。


──翌々日

 夜以外に休みを取らない行軍で、クロックたちは前線の部隊と合流した。

「なんということだ……。」

 合流した兵士たちを見て、クロックの部隊の隊長のオークは絶句した。最後の攻勢をかけるための精鋭とされていたオークの軍隊、しかし彼らが到着した時には、その数を三分の二に減らしていた。

 クロックの部隊長は前線の大将のいる陣幕(戦場における陣地を作るための幕)へ向かった。そこで部隊長は再び絶句することになった。彼の記憶する屈強な戦士だった将軍が、今では重傷を負い衛生兵に看病をしてもらわなければならない、死にかけの負傷兵となって横たわっていたのだ。

「お、おい……これはどういう……ことだ?」

「……見ての通りだ」顔中を包帯で巻かれている将軍は、唯一のぞいている右目で部隊長を見た。右腕を手当てしている従者の包帯の巻き方が乱暴だったらしく、将軍は「もっと丁寧にやれっ」と彼を叱責した。

「この軍勢ですら……歯が立たないというのか……。」

 大将は右目で陣幕の天井を見上げた。「……この戦い……負けるな」

「そんな、まさか……。」

にはもはや策など無意味だ。我々の想像を超えている。……あんなのは戦いですらない」

「し、しかし、これまでの戦いの中で、わが軍が奴らを打ち破ったことだってある。すべてを諦めるにはまだ……。」

「あの転生者……いったい何者なのか……。奴がこちらに来たばかりはまだ対抗することができた。絶え間なく火を噴き続ける杖など、探せば同等の術の使える魔導士くらいはいた……。しかし、業火を放つ動く鉄の箱や、大地を破壊する鉄の鳥など、我々の力の及ぶところではない。我々のことわりのな……。ターレス様であっても、もう……。」

 重い沈黙が二人の間に流れた。戦いの終わりは国の終わりだった。彼らが体験する初めての総力戦、その結果はいかな教訓にもなりえなかった。彼らはもう滅ぶのだから。それを悟ったふたりは静かに絶望していた。本当の絶望は苦痛すらなく、何も見えなくなるほどに真っ白だった。


 クロックたちは運んできた物資の荷下ろしに励んでいた。

「……おい」

 呼ぶ声がしたので振り向くと、そこにはオークが立っていた。

「……何だ?」クロックは訊ねた。

「人間がこんな所で何をやっている?」

「ああ、心配しないでくれ。俺たちは黒王軍の兵士、あんたらの仲間だよ」クロックは頬の右を釣り上げ、黒染めの革の鎧のエンブレムを指さした。黒い双頭の竜がかたどられた紋章つきの装備は、黒王軍兵士の証だった。クロックはそれを内心誇りに思っていた。自分もまた、名誉ある黒王軍の一員なのだと。

「はんっ、お前らが仲間だと? どうせお前ら、旗色が悪くなったらとっとと鞍替えして転生者軍に寝返るつもりだろう?」

「まさかっ」クロックは肩をすくめた

「笑ってんじゃねえよ。噂になってるぜ、俺たちの行動が奴らに筒抜けなのは、お前ら人間が手引きをしたからだってな」

「大丈夫さ、俺たちは黒王に忠誠を誓ったんだ。俺たちの故郷はこの国で、俺たちはこの国の国民だよ」

 どんなに愛想笑いで場を取りつくろおうと、オークの気配は和まない。彼はすでに、多くの友を人間に殺された後だった。

「ふざけるな、お前らの故郷はだ。ここじゃあない。故郷から追い出されてのこのこやってきたのくせに、デカい顔すんじゃねえよ」

「そんな、デカい顔なんてしてないさ兄弟」

「俺を兄弟何て呼ぶんじゃねぇ。いいか、戦闘がおっぱじまって転生者軍とぶつかってるときは、くれぐれも俺に近寄らないことだ」

「ああ、間違えられたら大変だからな」

「ボケが、間違えなくても殺してやるよ。俺は戦争が始まる前から、お前ら外族が気に入らなかったんだ」

 オークは分かったな、と念を押すと去っていった。クロックは、そんな彼の背中を複雑な笑顔で見送った。

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