舞台の幕開け
──三十年前
「よぉ白んぼ、調子はどうだ?」
クロックが町の
「ああ、おかげさまでけっこう売れてるよ」
クロックはまだ後退の兆しのない頭に手を当てて微笑む。不快感を見せるわけにはいかなかった。
「お前らは小手先が器用だからな。まぁ、体自体がちっこいんだが」
鱗肌のフェーンドは太鼓腹をさすりながら笑った。クロックも頭をかきながら愛想笑いをする。
「よぉ、シック。お前なに白んぼと話してんだよ。詐欺でも働こうってか?」と、その様子を見た別のフェーンドがクロックたちに話しかけてきた。
「おいおい、そんな言い方よせよ。外族でもこいつは俺たちの家族みたいなもんだ。他の小
「へっ、どうだかね。どんだけ真面目ぶろうが、白んぼは白んぼだ。こいつの先祖が俺の曾爺さんを殺したかもしれないんだからな」
それでも愛想笑いを崩さないクロックだった。クロックの知人のフェーンド、シックは小さな声で「気にするな」とささやいた。
日没後、フリーマーケットから引き上げると、クロックはしめたばかりの牝鶏を手土産に帰っていった。彼が住んでいるの人間の集落は岩場の多い山間にあった。豪雨が降れば土砂崩れの心配をしなければならないし、農業をやるにも土地が痩せているという、いわゆる捨てられた土地だった。
「……ただいま」
「あら、あなたお帰りなさい」
クロックの妻のレセラは自宅の居間で籠を編んでいた。編んでいる籠の材料の一部かと思わせる華奢な体と貧相な身なりの女だった。痩せているものの目は爛々としていて、その様は機嫌の悪い時のクロックには山羊を思い起こさせた。
「どうだった? 売れた?」とレセラは訊ねた。
不機嫌そうにクロックは牝鶏を台所の籠に放り投げた。
「売れてたらそう言う」
「……ごめんなさい」
「あ、いや、すまん……どうやら気が立ってたみたいだ」
クロックはレセラのかたわらに座り、彼女の肩を抱き、こめかみに口づけをした。
「……嫌なことがあったのね」
「まぁな。……毎日の事さ」
「めげないで、あなたはタフな男よ。例えオークやフェーンドより体が小さくても、ハートは彼らよりもずっと強いもの」
妻の
「おーい、クロック、いるか~?」
家の外からクロックを呼ぶ声がした。昼間のフェーンドのシックだった。
日は沈んでいた。妙な時間に来訪したシックを妙に思いながらクロックは妻を見て、玄関まで出ていった。
「……何だこんな時間に?」
「おお、クロック、申し訳ないが緊急の会合だ」
「緊急の? いったいどうしたんだ?」
「それを話すんだ。まぁ、十中八九、転生者軍の話だろうな」
「転生者軍の?」
「とうとうこの辺りにも転生者軍が来るって話だ」
「なんだって……。」
五王国と黒王同盟は、遠い昔から戦争を続けている。両国の戦争こそがこの大陸の歴史といっていいほどだ。しかし、長きにわたる戦争も、国境を越える越えない程度の争いだったが、五王国側が異界から転生者を呼び寄せて以来、戦局は大きく、速く、そして劇的に動いていた。敗戦し続けている自国の軍の噂は、王都から離れている彼らの村々にも及んでいた。
「分かった、妻に話してくる」
「急げよ」
クロックは妻の元に戻ると、出かけることを伝えた。妻は、頻繁に会合に出席する夫を快く思っていないらしく、小さく笑い「気をつけて」と言うだけだった。
「諸君! 聖戦は最終局面を迎えた! 異界の転生者がレミントアを、我らの聖なる大地を穢さんと、侵攻している! 我々は決意を新たにこの危機を乗り越えねばならなん!」
聖堂の地下では、フェーンドの男が黒王旗を背に演説をしていた。この会合は、憂国青年同盟という、同盟というには大げさな規模だが、愛国心の強い有志の地元の男たちが開いているものだった。もともと彼らの活動は、彼らに聞こえのいい話をする学者や文化人、諸将をカンパで呼びよせ講演をしてもらうというささやかなものだった。しかし、戦争が激化するにつれ活動は過激になり、こうして集会を開き民衆を
「この戦争がはじまり
フェーンドは
「集え諸君! 黒王様は今、救国の兵を募っている! 先ほど王都から使者がお見えになられ、この書状を託されて行かれたのだ! 我こそはと思う者は立ち上がれ! 義憤に燃え、自由を愛した多くの
演説が終わると、熱に煽られた多くの男たちが拳を振り上げて雄たけびを上げた。クロックも周りに合わせ、硬くにぎった拳をかかげていた。その時のクロックは、オークやフェーンドたちと一体になっているという感覚に酔いしれていた。
「俺はもちろん志願する。白んぼ、お前はどうするっ?」
シックがクロックに訊ねた。
「おい、人間かよ……。」と、クロックを見たオークが言った。
「別にいいじゃねぇかよ、なぁ?」
「お、俺は……。」
クロックは従軍を志望した。彼は信じていた。この戦いに参加さえすれば、移民である自分でも、この国で敬意を払ってもらえるようになると。
自宅に帰ると、クロックは近隣に住んでいる人間を集めて、黒王が兵士を募集していることを広報した。
「けどさぁ、クロックさん」住民のひとりが言った。「さんざん私らの事を虐げてきた奴らのために、どうして戦わなきゃあならんのかね?」
「確かに、俺たちはこの土地で肩身の狭い思いをしている」クロックは言った。「しかし、そんな俺たちだからじゃないか。この土地で仲間とみてられていない俺たちが奴らと協力することで、奴らの俺たちに対するまなざしを変えさせることができると思わないか? これはチャンスなんだ。俺たちがこの国の者だと認めてもらえる、千載一遇のっ」
クロックは熱っぽく住民たちに語りかけていた。
「確かにそうかもしれないけど……。」
クロックの剣幕に押され、彼に同調する者も少なくない様子だった。
「みんな想像してみてくれ、この戦いが終わった後、この土地が俺たちの本当の祖国になるんだ!」
年寄りたちは顔を見合わせていた。彼らの人生は、マジョリティに迫害されていた記憶の方が多かったからだ。しかし、血気盛んな若い男たちは、クロックの指し示す未来に憧れを抱いていた。何より、自分たちの子供がこれから育っていくならば、差別はないに越した方が良いのだから。
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