最強の名
三時間ほど歩いたところで、私たちは賊のアジトについた。マーティンの言ったように、そこは戦時中に使われていた黒王軍の砦で、中央の土で作られた塔の周りには同じく土で作られた建物が並んでいた。小さいが、ひとつの村くらいの規模があった。そこには
私たちの到着をみるなり、一部の住民が話を聞いていたのだろう、逃げるようにして去って行った。そしてまた一部の男たちは、私たちを敵でも見るかのように睨んでいる。まぁ実際に敵なのだが。
「奴らがあたしらを賊だというならそれでもかまわない。でもね、そうしなきゃあ生きていけなかったんだ。そりゃあ、泥すすって砂かんで生きる道もあったかもしれないよ。でもさ、それで女房や子供を養えると思う? ジリ貧で死んでいくだけじゃないのさ。真面目に生きて死んでいけなんて、それこそ勝ったやつらの都合だよ」
さらにアジトを進んでいくと、マーティンたちの集団が塔の前で待っていた。
「……待ってたぞ、ロッキード」マーティンは言った。
ロッキードはここに着いてから何も言わない。静かに噴火のエネルギーをためている火山のようだった。
「何か言いたげだな」
「ここに来る前、お前らが作った墓場を見てきた」
「……そうか。だが、お前もここに来る途中見たろう、行き場のない民たちを。元々俺たちは自分たちが生きていくためだけに、小さな賊をやっていたんだ。しかし、そんな俺たちに希望を求めてやってくる者が次第に増えてきてな。仕事も仕方なく大きくなっていったというわけさ」
「……お前が
「……俺たちに選べる道なんかなかった」
「ならば死に方を選ばせてやる」
ロッキードの言葉に、砦中が水を打ったように静まり返った。
「……いいだろう」
「待ってくれよ」
集団の中からひとりのオークが進み出た。下あごから伸びている二本の牙の片方が折れている、若葉のように鮮やかな緑色の肌の男だった。焼けた鉄のような明るく赤い色の髪をしている。身長はロッキードより大きいが、体がいささか細かった。だが、細いと言っても、筋肉の締まり具合は、素早くも強烈な攻撃を可能にしそうだ。
鷹のような金色の瞳を輝かせ、自分が世界の中心に立っているかのような自信をたたえて男は言った。
「せっかく噂に聞ききしアンチェインと出会えたんだ。指をくわえて見てるってのも酷なもんだぜ。かつての英雄とやらがどれほどのもんか、俺とちょっくら一勝負してくれよ」
若者に同調して、さらにふたりの男が前に出てきた。もうひとりはオーガだった。ロッキードよりも頭一つどころか、頭二つは大きい。
ロッキードはマーティンを見た。マーティンは肩をすくめた。おそらく話はいっているのだろうが、血気盛んな集団となると、すべてを言葉で押さえるのは難しい。
「……分かった」ロッキードは言った。「で、どうする? 武器か素手か?」
「おいおい、武器だなんて物騒なことは言わないでくれよ。殺し合いをやろうってんじゃないんだ……。」
「俺はお前を殺すぞ」
男たちの顔つきが変わった。
「……いいぜ」
ロッキードの念押しを、若者は脅しと取ったようだ。牙をむき出しにして横に構えた。
ロッキードは両手を前に突き出して構える。ただ両の手のひらを前に出しているだけだが、簡単な攻撃ならあの分厚い手で打ち落とせるだろうし、何より間合いが随分遠く見える。悪くない構えだ。
若者は両手を腰の前に下げたまま、前後のステップを繰り返す。とても軽い。人間に比べればかなり大きいのに、体重を感じさせない動きだ。しかし、地面には砂ぼこりが立っていることから、体重は目方通りと思っていいだろう。
彼らオークが戦闘においては最強と目される理由がここにある。体だけならばオーガの方が大きいし、東方には竜人がいる。しかし彼らオークは巨体でありながら、ましらのごとく機敏に動ける、バランスの取れた筋力を持っている。体格差でオーガに負けることもあるらしいが、この巨体に加えて素早い動きから繰り出される速くも強烈な攻撃は、他種族の追随を許さないのだ。
仕掛けたのは若者からだった。
中段後ろ回し蹴りからの上段後ろ回し蹴り、連続して大ぶりの蹴りを放ったにもかかわらず、残身はぴたりと止まり決してぶれることがなかった。体幹がかなり強いようだ。
若者は続けて中段、上段の横蹴りを繰り出した。ロッキードの両手で間合いを取っていても、攻撃は確実に当たっていた。
下段蹴り、中段横蹴り、上段後ろ回し蹴り、ばしりとしたたかに体を打つ音が周囲に響く。
見た目には闘争だ。疑いようのない。だが、何か違和感があった。
若者はひたすらに攻撃を繰り出す。距離を取り、ロッキードの反撃を許さない。しかし、距離をとっているために自分の攻撃も決定打にはならない。
さすがにそれに若者も気づいたのか、さらに踏み込んでからの中段後ろ回し蹴りを、さらに上段後ろ回し蹴りを放った。うかつに食らったら、一発で気を失いそうな蹴りだ。仕留めるには悪くない戦法だ。すでに一度見せた手だという点をのぞけば。
上段後ろ回し蹴りがロッキードの額に当たった。踵と頭蓋骨の衝突、しかしそれは骨と骨ではなく、岩石同士がぶつかったかのような鈍い音だった。
その後ろ回し蹴りの終わりにロッキードの手が伸びた。素早い捕食者のように、若者の顔を一瞬にしてヘッドロック(相手の頭を脇に抱え、腕で締め上げる痛めつけの技)で捉える。子供が取っ組み合いでやるような技だが、ことロッキードの剛腕が使うとなると意味が違う。さらにロッキードは尺骨(しゃっこつ:前腕の骨)をねじりこめかみを締め上げ殺傷力を上げていた。若者は両手両足を、まさに捕食者に捕らえられた獲物のようにばたつかせ、生命の緊急事態を周囲に知らせる。しかし、これはもとより決闘のはずだ、どれだけロッキードの体を降参の意で叩こうとも、ロッキードは技を解く気配はなかった。
「ま、まいったぁっ!」
若者はとうとう、降参の言葉を口にした。
しかし、それでもロッキードは技を解こうとしない。本気でこのままやってしまうわけではないだろうか。
「いだぁ! いぎゃあ! い、い、いいいいいっ!」
とうとう降参どころか悲鳴になり、いよいよ若者は両手足どころか体を跳ね上がらせ痛みを訴え始めた。しかし、ロッキードは技を解かない。それどころか……。
「ふん!」
さらにロッキードは腕をねじ込んだ。
「ぴいいいいいいいいいいいっ」
果たして、いくら追い詰められたからといって、大の男がこんな声を上げるのだろうかという、そこに居合わせた者が初めて聞くような悲鳴、いや、泣き声だった。それはあまりにも痛々しく、群衆の一部が顔を反らすほどだった。
とうとう若者は痛みのあまり気絶しかけ、両手両足をだらりと下げた。ロッキードは腕の中の相手の力が抜けたことを知ると、ようやく腕を振って技を解き、若者を地面に放り投げた。
若者は地面に横たわり体を丸め、か細い声で泣き声を上げていた。声だけではなく、目からは絶え間なく涙が流れている。もう、彼は男としては機能しないだろう。ある意味、殺すほどに残酷な決着のつけ方だった。
私はふと道案内をしてくれたフランを見た。ロッキードの強さに惚れていたはずの女は、今は小さく体の一部を震わしていた。それはそうだろう。昨夜自分を抱いたあの腕が、その気になればこの若者と同じ事を自分に実践しうる凶器だったこと、それを彼女は知ったのだ。
先ほどからあった違和感、それは相手を倒そうとする者と殺そうとする者の違いだったようだ。もちろん、命は繋ぎとめておいたが。
高い山を見上げるような圧倒的な決着、怒りよりも呆気と恐ろしさにとらわれ、先ほどまで若者と一緒に前に出ていた男たちからは、いつの間にか闘志が失われていた。
「……さて」ロッキードは言う。「次はどいつだ?」
オークの若者が目をそらした。
「オレが行く……。」
前に歩み出たのは、真っ赤な肌のオーガだった。ざんばらの髪に額から伸びる二本の角。口ときたら、人間の赤子など一飲みできるサイズだ。
でかい、それ以上の形容が見当たらない。そんな怪物がロッキードの前に立った。それだけで勝負は決したと考える者もいるだろう。ロッキードの武勇を知る私ですら、ロッキードの敗北の光景が頭をよぎっていた。
オーガは足を広げると膝を曲げて軽くストレッチをした。そして背を伸ばすと、ゆっくりとロッキードに近づく。
オーガの手がロッキードの肩にふれる。そう思った瞬間、ロッキードは素早くオーガの懐に潜り込み、素早い左右の拳の連打を見舞い始めた。肩の回転だけで放つ、まるで駄々っ子のような左右のパンチだったが、あの馬鹿げたロッキードの肩と背中の筋肉だ。オーガの頭部が
「う……ぐ……。」
十発殴られて、ようやくオーガがロッキードの肩を掴んだ。しかし、ロッキードは腕を回してオーガの手の拘束を弾くと、再び拳の乱打をオーガの顔面に入れ始めた。
まるで拳の連打で体をコントロールされているように、オーガは思うように戦いを展開できないようだった。彼がようやく両腕でロッキードの体を捉えた時、オーガの顔面は血まみれになっていた。
ロッキードの背中に両腕を回し、抱きしめるようにしてオーガは言った。「つ、つかまえたぞ……。」
違う、捕まえたのではない。捕まったのだ。
「ふんっっ!」
オーガはロッキードの背中に回した手首を組み、強引に相手を投げようとした。
「あれっ?」
しかし、体勢を崩したのはオーガだった。オーガはロッキードを投げそこない、片膝をついた。重心が下にあったロッキードの方が有利だった。オーガが自分を投げる瞬間に重心をそらし、バランスを崩させたのだ。
「く……そ……。が!?」
片膝をつき、背丈が同じほどになったオーガの顔面に容赦なくロッキードが拳の雨を降らせる。
何とか立ち上がろうと、オーガが地面に片手をつく。ロッキードはその手を蹴り払い、さらにオーガはバランスを崩す。両膝をついたオーガの顔面にまたもや拳が降り注いだ。
「あ……が……。」
オーガはうつぶせに倒れ、足でいやいやをするようにロッキードを蹴って遠ざけようとする。だがロッキードは器用にオーガの足を抑え、オーガの側面に被さると、止むことなく顔面を殴り続けた。
「い……い……。」
たまらず、オーガは背を向けて体を丸めた。ロッキードはそんなオーガの背中に乗り、後頭部や側頭部を殴り続ける。
もやはそれは闘争ではなく凌辱だった。
戦いを見ていたマーティンが部下に目配せをする。部下はうなずくと、「それまでっ」と言った。
ロッキードは馬乗りになっているオーガから離れた。
誰が見ても勝敗は明白だった。本人を除いては。
「ま、まってくれよぉ!」
オーガは顔から血を滴らせながら立ち上がった。
「オレはまだ負けてねぇよ!」
しかし、誰も彼の弁明に聞く耳は持たなかった。その顔はもう被害者の顔だった。
「頼むよっ、マーティンっ、オレはまだやれるっ」オーガはマーティンに訴える。
「……そうか」
マーティンは静かにうなずくと、オーガの前に歩み寄った。
「マーティン……。」
マーティンはオーガの胴に腕を回して抱きしめた。
「オレはまだ……やれる」オーガが情けない声を上げる。
「……そうか?」
「マー……ぼぎゅっ!?」
オーガは気を失って倒れた。マーティンが胴に回した腕の力だけでオーガを締めつけ気絶させたのだ。
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