男と女と女

 ──その晩


 オークの文化がどのようなものかはよくは知らない。昔読んだ本では、彼らの婚姻関係は一妻多夫制になっているのだという。女に強い男が集まり、その中から強い男が女と結ばれ、女と産まれた子供は男たちによって手厚く守られるという彼らの習慣は、強い子供を作り、かつ女と子供の生存率を上げることが目的らしい。ロッキードとの旅の最中にその話を聞いた時は、それは一部の部族がやっていることを、人間の旅行家がことさら強調して書いているのであって、オーク全体を表したものではないと笑っていた。どちらにしても、私たちとは男女観は似ているようで少し違うようだ。

 宿全体が揺れていた。その男と女の息遣い熱さときたら、下手をしたら木造の宿に引火するのではと心配になるほどだ。

 まったくオークの男と女は分からない。あれだけ言い合っていたのに、今では世界を終わらせんばかりの情事にふけっているのだから。私は隣の部屋で、毛布にうずくまりながら雄叫びのような嬌声きょうせいから逃れようとしていた。

 私は部屋の隅にある粗末なタンスを見る。私はあのタンスだ。仕事は引き出しを開けたり閉めたりすること。何十年もその仕事を続けられる。私はこの毛布だ。ただ上に被さって形を変えればいい。何百年だって同じ仕事を続けられる。私は漂う空気だ。窓を開け風が入れば、私は外にあふれ出し、何千年も空を漂える。

 うだうだ考えていると、部屋の壁をぶち破って何かが飛んできた。部屋の真ん中に落ちた物体を見ると、それはタンスだった。壁を解体するのは私の仕事ではない。

 空いた穴から隣の部屋をのぞくと、全裸の男と女が睨み合っていた。女の手にはダガーが。情事の途中で戦闘に入ったらしい。まったくオークの男と女は分からない。

「とんでもないじゃじゃ馬だな」と、腕から血を流すロッキードが言った。

「油断したところを殺ってやろうかと思ったけど、そんな隙は見せちゃくれないか」とフランが言う。

「残念だったな、続きはどうする?」

「どうしてもあたしが欲しいってんなら、ねじ伏せてみな」

「それは」ロッキードはたまらないという顔をした。「ねじ伏せてほしいって意味か。意外と受け身なんだな」

 フランはダガーを逆手に構えた。

「自決なんて奥ゆかしい真似はしないよ。徹底的に最後までやってやるっ」

 自決が奥ゆかしいのか。

「……加勢しよう、フロイラインお嬢さん

 私は壁を越えて隣の部屋に入ると抜刀した。

「おいおいクロウ、これは二人の問題だ」

「睡眠を邪魔されて、おたくが投げたタンスが私にぶち当たりそうになった。やる理由はあるさ」私は平正眼(正面中段の構えから、左足を引いた構え。狭い室内での戦闘に向く)に構えた。

「あと、その汚いをとっととしまえ」

 ロッキードの下半身は、二本の刃を前にしてもなおそそり立っていた。

「勇ましいと言ってくれ」

「……私の戦略を教えておこう。お前さんのを私の刀が狙って、それをかばうお前さんの首をこのお嬢さんのダガーが狙う」

「俺の戦略を教えておこう。俺のにくぎ付けになっているお前らを順番に押し倒すんだ。三人で楽しむってのも悪くはないからな」

「上等」

「……申し訳ないけど、あんたは出ていってくれないかい?」フランが言った。

「なんだと?」

「戦いを穢さないでくれよ。あたしはこいつとでやりたいんだ。“アンチェインを倒した女”、その名誉を曇らせたくない」

「……お前さんがそう言うなら」

 戦士の誇りとやらは知らないが、彼女にも彼女の事情があるのだろう。私は納刀すると、さすがに戦っている隣で寝るのは無理だと、外で飲みなおすことにした。

 宿の裏にあった井戸のふちに腰かけ、革袋の葡萄酒を半分ほど飲んだあたりで、戦いの雄叫びは再び情事の嬌声に変わった。宿は激しく揺れていた。冬眠中の蛙だって目を覚ましそうだった。

 すべてでやってほしかった。


 翌朝、私はふたりを蹴り起こした。ふたりは昨夜の戦いなど嘘かのように、ベッドの上で体を寄り添わせて安らかな顔で寝ていたが、そろそろ時間だ。当人たちが満足していようが私の知ったことではない。

 だが、ロッキードの図体を蹴り飛ばしてもびくともしなかった。逆に私の足がタンスの角に指をぶつけたように痛んでしまった。昨夜から私はひたすら惨めだ。

 私は姿勢を低くすると、抜刀してベッドの足を一本切り落とした。

 一本の足が折れると、ベッドは音を立てて傾いた。そして、たたでさえ二人のオークを支えていたベッドはさらにバランスを崩し、大きな音を立ててすべての足が折れ、を終えたふたりはベッドから転げ落ちた。

「む、むぐぅ……クロウか? ……もう朝か」

 何事もないかのように、ロッキードは目覚めた。

「……とっとと着替えろ」


 私たちはマーティンたちのアジトへ向かうべく出発した。ロッキードとフランは私の前を並んで歩いていた。距離がとても近い。もう少しでふたりの手が触れそうだ。

 オークの女戦士の誇りとやらがどれほどのものか期待したものだったが、なんてことはない、ちょいと強引に押し倒されれば、翌朝にはまんざらでもな表情を見せる、そこら辺の人間の町娘と変わりがなかったようだ。そもそも、昨晩口にしていた名誉などというものも、私を前にした上での建前なのだろう。エルフや人間の騎士の中にも、お偉いさんの目の前でしか誓いを守らない、看板しか頭にない輩だって多い。彼女が例外である理由はどこにもない。だいたい、たった一晩夜伽をしただけでアンチェインの隣に立つ権利があると思っているだけでも、その面の皮の厚さは保証されているようなものだ。だいたい、手が近い。

 私は口には出していないが口数が多い自分自身を恥じて、大きくため息をもらした。

 すると、突然ロッキードが立ち止まった。

 私たちの行く先には、近くの村の住民たちが待っていた。

「……何か用か?」ロッキードは言った。

「……お前さんたち、これから賊どもを討つんだろう?」先頭にいた老人が言った。

「ああ……そうだが」

「……ついてきてくれ」

 老人たちに促されて連れてこられたのは、村の墓場だった。

 老人は言った。「この半年で、ここの墓場は倍以上に増えた。奴らの仕業だ」

「……そうか」ロッキードは言った。

「わしは息子を失った。そこにいる女は夫を……。」

 私は女を見た。まだ未亡人になるには若い女だった。抱いている子供は、まだ言葉も理解しそうにない。

「頼む……奴らを……。」

 老人は跪いた。

「奴らを……あの鬼畜どもを倒してくれ……。」

 ロッキードは片膝をついて、老人の肩に手を置いた。

「……分かった」


 私たちは盗賊のアジトへ向かった。もとより、一本道だったので迷うようなことはなかった。

 無言だった道中で、フランが初めて口を開いた。

「元々、ここいらはあたしらオークの土地だったんだ。それをあいつらが勝ち馬に乗って追い出したんじゃないのさ。あいつらのおかげで流浪の身になった部族は大勢いる、そのあいだにどれくらいのオークがくたばったってんだ。ロッキード、あんたもあたしらのアジトにくれば、マーティンが盗賊をやらなくちゃいけなかった意味が分かるはずだよ」

 ロッキードは何も答えなかった。

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